あるきろく 〜お散歩日記〜

48歳おじさんの歩き録です

あるきろく20210309

2021年3月9日 あるきろく 都道をあるく(第18回)

 

2021年に入ってから、実施のペースが少し落ちているあるきろく。
ということで、今回は2日続けての実施で巻き返しを図ります。

 

今回は、都道20号・神奈川県道525号府中相模原線をあるきます。

 

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8:22 府中市役所前交差点

あるきろくでは毎度おなじみの府中市役所前交差点です。
都道20号・神奈川県道525号府中相模原線の起点も、この交差点です。
ここから新大栗橋交差点までは、あるきろく20210121であるいた都道18号府中町田線との重用区間となります。
ということで、新大栗橋交差点までは早送りでお届けします。

 

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8:26 鎌倉街道は右折方向を示す標識

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8:27 府中本町駅入口交差点と武蔵国府跡

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8:29 本日最初の距離ポストは0.4km

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8:30 府中本町駅

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8:33 下河原緑道と交差

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8:36 1kmポスト

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8:39 京王線をくぐります

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8:44 中央自動車道をくぐります

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8:51 再び京王線をくぐります

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8:56 関戸橋に差し掛かります

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8:59 関戸橋から多摩市方向、上流方向を眺める

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9:05 都道No.が沢山の標識

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9:06 都道18号との共用が最後になる距離ポスト

ここまで早送りでお届けしましたが、新大栗橋交差点に差し掛かりますので、通常運転に戻ります。
ここで3.9km、次の4kmポストは都道18号、都道20号それぞれにあります。
都道18号は交差点先の歩道橋の下、破壊された状態ではありましたが…。)

 

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9:06 管理番号をめぐる謎

新大栗橋交差点で少し時間を掛けます。
この新大栗橋交差点は、毎日の生活における通り道であるのですが、いろいろと気になることがあるので、共有をしたいと思います。

謎①:照明塔の管理番号が「19」…

都道をあるくようになり分かったことですが、道路に設置されるものに貼付されるステッカーには、その路線番号が管理番号(の親番)として振られています。
新大栗橋交差点は、
 ・都道18号
 ・都道20号
 ・都道41号
が集まる交差点であって、都道19号はここを通ることはないのです。
(昨日あるいたのが、都道19号でした。)
であるのに「19」とは、なぜ?

 

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9:07 管理番号をめぐる謎 その2

向ノ岡大橋から下ってくる都道41号稲城日野線のバイパスを横断しました。
矢印標識に見える川崎街道の名称ですが、「稲城方面41号・日野方面20号」とはなっているものの、ここから一ノ宮交差点までは、都道20号と都道41号の重用区間です。表示上は、上位路線として「20」を記載していると思われます。

謎②:照明塔の管理番号が「21」…

やはり、この交差点に集まる路線番号とは異なる「21」。
加えて都道には21号線が現存しない(欠番)と、お聞きしております。
現在の都道47号八王子町田線が該当したようですが、1982年4月に番号の振り替え(?)があり、欠番となったようです。

 

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9:08 場所に不釣り合いの巨大懸垂幕

企業広告なので、掲載するのが良いかどうか考えましたが、広告主としてもチャネルが広がるわけで、問題ないものと判断し掲載します。
キャッチーな写真と文言。
毎朝、元気付けられながら駅に向かっています(笑)。

 

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9:09 懸垂幕は一つではないんです

真下から撮影したので大変見づらいのですが、CDの告知です。
自分の生活拠点でこんなことも言うのも変ですが、もっと賑わいのあるところで宣伝すればいいのに、といつも思います。
「人類120歳プログラム誕生!」は稲城方面から、「時代の歌手デビュー!」は府中方面から来れば、車の運転者も認識できるのは確かですが…。

 

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9:09 4kmポスト

あるきろく20200826番外編にて、初出の距離ポストです。
「時代の歌手デビュー!」の懸垂幕の真下にあります。
毎日歩いているのに、本当にこの時まで気付きませんでした。
人間とは視界が狭いものです。

 

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9:17 聖蹟桜ヶ丘駅

毎日利用する駅です。
昨日のあるきろく20210308において、都県境から黒川へ下る途中での風景が35年前と変わりない、と書きましたが、この聖蹟桜ヶ丘駅周辺は、その35年くらい前から急激に変化をした記憶があります。
それまでは、駅の北側には広大な面積ながら屋外式のバスターミナルがあり、現在では駅を覆うように建つ全く建物もなく、また川崎街道の南側も、低層の商業施設と屋外駐車場が無作為にあるような感じ(記憶違いもあるでしょうが…)。

青春のポストは「耳◯を◯ま◯ば」をオマージュして設置されたもので、コロナ前はそれなりにファン(?)の方々が訪れていたようで、スタンプカードを持ってウロウロしている様子を見かけました。

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9:26 一ノ宮交差点

あるきろく20190526で野猿街道をあるきましたが、この時は、都道20号線のバイパスである青果市場東交差点をスタートし、この一ノ宮交差点で都道20号本線と合流し、先に進んでいきました。
あるきろくも2年近く続けているということで、飽きずに続けてきた自分をほめてあげたいと思います。 

 

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9:30 宝蔵橋

宝蔵橋で大栗川を渡ります。
大栗川はあるきろく20190511で、源流を求めています。

 

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9:39 左に曲がると日本アニメーション本社

電柱の看板にあらいぐまラスカルです。
この左に向かう道の先に、日本アニメーションの本社スタジオがあります。
また、難しいことは良く分かりませんが、多摩市と日本アニメーションは、地域活性化に関する連携協定書を結んでいるらしく、アニメやキャラクターを活用して聖蹟桜ヶ丘駅周辺に魅力と賑わいを創出し、地域住民にとって誇りとなるまちづくり事業を展開する、ことになっているらしいです。

 

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9:45 殿田橋から眺める母校

再び大栗川を渡ります。
あるきろく20190511でも触れていますが、ここにおじさんの母校があります。
卒業してからもう31度目の春、を迎えます。

 

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9:51 八王子市に突入します

府中市 → 多摩市 → 八王子市の順にあるいています。
この後、少しだけ町田市をあるき、相模原市へと向かいます。

 

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9:53 T京大学を眺めながら進みます

都道20号の北側の丘陵にT京大学のキャンパスがあります。
おじさんが小学生の頃は、まだこの丘陵だけにまとまっていましたが、気が付くと、近辺に領地を拡大し、目の前のようないかつい建物を建てたかと思うと、終いにはタワーマンションも真っ青な高層ビルまで建てました。この高層ビル、是政橋(← あるきろく20200823)からも見えるほどです。
ちなみにおじさんの卒業した小学校は、数年前に児童数減少により廃校となりましたが、その土地も現在はT京大学のものとなり、付属小学校が建っています。

 

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10:00 多摩都市モノレールを見上げる堰場交差点

モノレールが通るようになってこの辺りの景色も変わり、また公共交通機関の体系も変化しました。
小学生の頃の記憶には、聖蹟桜ヶ丘駅からここ堰場行きのバスがあったような気がします。また、京王相模原線が多摩センター止まりであった時代には、聖蹟桜ヶ丘駅からここ堰場を経由する由木折返場行きというのが標準形であったように記憶しています。
いまは堰場行きはないし、由木折返場行きも一日数本の絶滅危惧種になってしまいました。

 

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10:18 10kmポストは植垣のなか

頭が少しだけ見える状態でも、もう見逃すことはありません。
府中市役所前交差点からここで10kmです。
地図上では、大栗川を挟んで南側に大きな通りが走っていて、この辺りで最も接近します。この通りは、都道158号小山乞田線、通称は多摩ニュータウン通りです。
9時過ぎに新大栗橋交差点で都道18号線と分かれました。
都道18号線は乞田新大橋交差点で左折し町田方面へと向かいますが、多摩ニュータウン通り乞田新大橋交差点からそれを引き継ぐように直進し、そしてこの堀之内あたりで、出会いこそしませんが急接近するようになります。

 

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10:21 大栗川橋北交差点

都道155号町田平山八王子線と交差します。
あるきろく20190526でもこの交差点の写真を撮っていました。
「急坂を登ると、某薬科大学があります。」と記しています。

 

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10:36 野猿街道はここから坂道を上っていきます

一ノ宮交差点から、都道20号線は野猿街道としてここまでやってきましたが、野猿街道都道160号下柚木八王子線となって、野猿峠越えに挑んでいきます。

 

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10:41 由木折返場

先ほど、堰場交差点で熱く語ってしまいましたが、ここが由木折返場です。
いまもなお、ここを通るバスの数は多いのですが、ここから50mくらい離れたところに、普通のバス停然として設置されています。この折返場(転回場)を始発とするバスは、平日の3本しかないようです。

 

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10:42 爆音がしたので見上げてみると

10機ほどの編隊が北に向かって飛んでいきました。

 

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10:48 大田平橋

20190511あるきろくでもここで写真を撮っています。
この時は、一段低い、川辺の散策路をあるいていますが。
この時も、水があまりきれいでない印象を持ったようですが、今回も同様です。
今回は、なぜだか分かりませんが泥水が流れています。

 

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11:07 道路をくぐる大栗川

大田平橋で泥水が流れていたのは、川の中にショベルカーが入り、流路を整えていたからでした。
そんな大栗川ですが、この都道20号線をくぐって道路の向こう側に移動します。

 

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11:18 15kmポスト

15kmポストは、ちょうど多摩美術大学の入口にありました。
車道からは植垣の中に透けて見えますが、歩道側からは隠れてしまって見えません。
写真で見えているのは、フレームの外で一生懸命枝葉を押さえ込んでいるからです。

 

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11:19 大栗川の上流端看板

あるきろく20190511では、ここまで近付くことができませんでした。
塀の上のバス停からの撮影でした。
今回は、つくしが生える草地をフラフラっとあるき、気が付いたら看板を目の前にしていました。

 

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11:26 鑓水交差点が見えてきました

右も左も国道16号です。
ここから先、国道16号に乗っかりながら相模原まで向かいます。

 

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11:30 終点ポストを発見

なかなかお目にかかれない終点ポストですが、気合を入れて探したら、ありました。
「府中相模原線」なので、ここに終点ポストがあるのも考え物ですが、都道20号線の単独区間としては終点、ということでもしかしたら…と探した次第です。
植垣に埋もれているからなのか、「終点」の文字もしっかりと残っています。

 

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11:30 鑓水交差点を左折します

ここを走る国道16号はそんなに交通量が多くはありません。
正面の丘の向こうにバイパスが走り、多くの車はそちらを通るようになりました。

 

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11:42 町田市に突入します

町田市に突入します、ということより、こんなに低い位置に市境看板があることに驚きました。

 

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11:43 おにぎりby16号

この看板も何かおかしい。
歩道にあって、そしてこの看板も高さが低い。
まるでド◯え◯んを見ているようなアンバランスさ。

 

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11:45 国道の距離表示

都道と同じ形の距離ポストも、100m間隔で並んでいましたが、ピッタリkmポストは都道のものより立派というか洗練されているというか、分かりやすいというか、まぁそんな感じです。

 

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11:50 相原交差点

都道47号八王子町田線との交差点です。
高尾駅の東側で甲州街道と交差する形で分岐し、町田駅の南東に向けて走る路線です。
そういえば、ですが、都道3号線をあるいたとき、そして都道18号線をあるいたとき、町田市の中町交差点で、町田街道都道47号線と出会っておりました。

 

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11:51 神奈川県に突入します

有名な境川を渡ると、神奈川県相模原市です。
境川を渡ると」と書きましたが、流路と都県境が一致しておらず、川を挟んで飛び地状態になっている場所がとても多いことで有名です。
ここも、「神奈川県ですよ!看板」は橋の向こうにありますが、地図に見える境界線は東京都寄りに少し膨らんでいます。

 

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11:58 16号バイパスとの合流点

正面の白い車は、あるいてきた国道16号から、バイパスに合流せんと右(写真では奥)来る車列が切れるのを待っています。
おじさんも年に何回か、ここで合流しようと試みますが、大型ダンプが坂の上からものすごいスピードで突っ込んでくるので、何度通っても慣れることができません。

 

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12:00 横浜線の踏切手前で、国道413号線分岐標識を見る

神奈川県道525号線の終点は、相模原市緑区西橋本五丁目の国道413号分岐点と、予習において把握をしました。
となると、この先横浜線の向こうに、ゴールがあるということになります。

 

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12:02 国道413号分岐点

国道16号線の高架橋の下で、なんとも味気ない丁字路なのですが、ここで分岐する国道413号線は山中湖へと向かう壮大なスケール(?)の路線です。

ということで、最後の方は国道16号線との重用区間ということでしたが、都道20号・県道525府中相模原線のあるきろくはここまで。

スマートウォッチの計測によると、
 時間:4時間20分
 歩数:約27,000歩 
 距離:19.3km
でした。

 

さて次は、21~23号線が欠番ということなので、都道24号練馬所沢線をあるきます。
都道8号線で通過した谷原交差点をスタートして、こちらも毎度おなじみの所沢市の金山町交差点を目指します。


 

 

 

あるきろく20210308

2021年3月8日 あるきろく 都道をあるく(第17回)

 

緊急事態宣言、延長です。
先週土曜日は仕事で新宿にいましたが、昼間も夜も相当数の人出でした。
明らかに多いぞ!と思えるくらい。
暖かかったですし、みんな我慢できなくなっているんでしょうね…。

 

そんな土曜日とは一転、冬のような寒さの月曜日、今回は都道19号町田調布線をあるきます。

 

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9:19 井の花交差点

前回のあるきろく20200121、都道18号府中町田線をあるく中で通った交差点です。
今回の下調べもあり、11:04から11:10にかけてこの辺りをうろうろしました。
今回の写真は、11:10撮影の写真と同じように撮ったつもりでしたが、撮影ポイントが少しずれていたみたいです。
まぁ、それは置いておき、スタートです。

 

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9:23 0.2kmポスト

前回あるきろく20210121において、予習済みの0.2kmポストです。
11:06に撮影した写真と比較すると、今日の天気の悪さが際立ちます。

 

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9:24 0.3kmポストも欠損してます

0.2kmポストに続き、0.3kmポストも無残な状態を晒していました。

 

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9:26 0.4kmポストに苦笑

0.4kmポストは無事でした。
無事ではありましたが、頭頂部しか見えておらず、役割を果たし切れていません。
ここまで埋まらないと生き残れない、距離ポストにとっては難儀な路線のようです。

 

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9:29 鶴川四丁目交差点

この少し手前から、進行方向の歩道も分離歩道となり、身の危険を感じずにあるくことができるようになりました。
そしてこの交差点に、ヘキサ標識のお出ましです。

 

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9:30 完全形の0.6kmポストも…

0.5kmポストは見当たらず、そして0.6kmポストでやっと距離を確認できました。
が、この距離ポストも、尋常ではない汚れ様。
やはり、この路線の距離ポストは何かが違う…。

 

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9:42 真光寺十字路交差点

ここで右折すると、鶴川駅の東側を抜けてTBSの緑山スタジオ、そしてこどもの国へと向かいます。
真っ直ぐ進むと、丘の上の住宅街へ。
あるきろくは、標識の通り、調布へ向かうべく左折します。

 

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9:42 本日ヘキサ標識第2号

真光寺十字路交差点を左折し、すぐにヘキサを発見。
そこそこいいペースで出てきます。

 

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9:45 真光寺交差点

X字型の交差点です。
この辺りから、坂の勾配がきつくなります。
この坂を上り切ったところが、神奈川県との都県境となります。

 

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9:53 サミット近くの距離ポスト

ほぼ坂を上り切ったところにあった2.5kmポストです。
草に埋もれていたので、手でかき分けての撮影です。

 

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9:54 神奈川県に突入します

坂を上り切ったところ、つまり丘陵の尾根に当たる位置で都県境を跨ぎます。
この辺りは再び、分離歩道ではなくなり、また車道も狭くなり、そこそこ危険な環境での歩行となります。

 

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9:57 タイムスリップ

神奈川県に入ると同時に、結構な高低差を蛇行しながら下っていきます。
その途中で見える風景は、小学5・6年生の頃(35年くらい前)に見た、自転車で遠出してこの辺りまで来たときと変わらない風景です。

 

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10:03 黒川交差点と小田急多摩線の高架

坂を下り切り、街の雰囲気が戻るや否や、小田急多摩線をくぐります。

 

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10:09 若葉台駅南交差点と京王相模原線の高架

新百合ヶ丘からやってきた小田急多摩線と、調布からやってきた京王相模原線は、この辺りでその間隔を急激に狭め、それぞれこの先のトンネルを越えると、多摩ニュータウン内では完全に並行します。
この辺りの線形を地図で見ると、ダウジングのロッドのよう…?

 

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10:12 東京都に戻ります

東京都に戻りました。
今回注意すべきは、神奈川県を跨ぐときの距離ポストが どうなっているのか、です。
次に現れる距離ポストの表示が見ものです。

 

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10:16 若葉台入口交差点

この写真では、右から左へとあるいています。
奥に走る道は、つい最近できた道です。まだ走ったことはありません。
どこにつながる道なのか、とこの作業をしながら地図を見たら、新百合ヶ丘駅のすぐ近くではないですか。驚きました。

 

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10:19 道路拡幅用地取得済

この辺りも拡幅するんですね。
この辺りはそれほど混雑するイメージがないのですが、やはり通勤時間帯には動かなくなるのでしょうかね?

 

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10:20 3.3kmでした

神奈川県に入る寸前の距離ポストは2.5kmでしたので、県境あたりで2.6~2.7kmくらいでしょうか。
東京都に戻ってから、ここまで8分あるきました。
時速5kmであるけば、650~700mくらいですね。
足し算すると、ぴったりですね。
これで、前回都道18号線をあるいた際に気付いた都道・県道3号線の距離ポストの???が解明できました。

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10:21 どうも大切にされていないんですよね…

3.4kmポストと思われます。
この都道19号線では、距離ポストがどうも大切に扱われていないような気がします。

 

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10:23 「県境」バス停

東京都に入って10分ほどあるいてからの「県境」です。
どういうことか、古地図を見て考えてみました。
鶴川街道は昔から三沢川に寄り添っていました。
調布寄りから、この三沢川に沿って集落が点在していましたが、このバス停がある辺りの集落を越えると、先程通ってきた黒川交差点の辺りまで集落がなかった様子。
ということで、この集落が都内最後の集落であることから県境に当たる、として、地名とは別に「県境」という呼び名が根付いてきた?という説を提案します。

 

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10:26 一歩控えめな距離ポスト

3.8kmポストは、一歩下がって都道19号線を見守っていました。

 

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10:36 久しぶりのヘキサ

本日3本目のヘキサです。

 

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10:40 5kmポスト

分離歩道ではなく、よって距離ポストも路傍の斜面に立っていました。

 

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10:43 武蔵野貨物線の高架

タイミングよく貨物列車が走ってきたので、慌てて撮影を試みたのですが、かろうじて最後の数両のコンテナのみ捉えることができました。
この路線は、多摩川以南はほとんどがトンネルとのことなので、こうやって地上(というか高架)を走るのを見られたことを幸運に思います(少し大げさ)。

 

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10:45 ちょうど高架の下をあるいていたら…。

高架下で距離ポストの残骸を発見しました。
これがまた、昨日今日破壊されたような感じで、破片が飛び散っているのです。
本当にこの都道19号線の距離ポストは、可哀そうです。

 

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10:47 神王橋

真っ直ぐ行きたい…けど、右側の幅広の道には「19」の数字輝く標識が見える。
この辺りは、新旧の道が、本線・支線として入り乱れています。
これまでも基本線は本線をあるいてきましたが、ここではどちらが本線なのか?
ここは一旦、右側の幅広道路を進むことにします。

 

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11:04 稲城福祉センター入口交差点

左も右も19号です。
左は南多摩尾根幹線道路、右は鶴川街道。
路線名称は異なるも、19号線が入り乱れています。
神王橋からここまで数百mですが、17分かかりました。

途中に某CVSがあるのですが、やはりどれが本線か、支線かを調べようと、雨宿りがてら、そのCVSの軒下をお借りして検索しました。
ありがたいことに、このCVSではWi-fiが飛んでいるのですが、さっさと都道検索システムで調べたいのに、スマホがこのWi-fiにつながりたくてつながりたくて、肝心の都道検索システムに辿り着かず。
軒下で、10分以上過ごしてしまいました。

で、やはり神王橋からの真っ直ぐ旧道(っぽい道)を進むべきと、一旦神王橋へ戻ります。

 

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11:08 神王橋リターンズ

旧道風情の道を改めて進むことにします。

 

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11:10 5.8kmポスト

やはり、こちらを進んで正解でした。
こちらが今もなお本線のようです。

 

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11:12 稲城一中南交差点

ATMが大変なことになっている某銀行を正面に、幅広い道路を横断します。
横断しながら左に目をやると、南多摩尾根幹線道路がここから始まらんと大きくアピールしています。

 

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11:15 稲城福祉センター入口交差点 先ほどとは反対側から

少し回り道をしましたが、先ほど一度訪れた交差点を再訪です。
鶴川街道である19号線を進みます。

 

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11:19 再び分岐点

ここでもまた、直進も19号、左へ入るも19号、というポイントに来ました。
左に入る道が「旧」鶴川街道とありますので、こちらが本線、直進がバイパス支線とみて、左側へ進みます。

 

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11:21 無理やり感満載の距離ポスト

もちろん無いよりはある方がよいのですが、ものすごい設置の仕方だと思いました。

 

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11:29 稲城大橋下新田交差点

左右に交差する道も、19号線です。
先ほど直進したバイパス道と川崎街道を越えて稲城大橋とを結ぶ支線です。
もしかしたらと、横断歩道辺りを見回してみると、素敵なものを発見。
ここまで虐げられてきた距離ポストですが、なんと、こんなに文字がくっきりと見える状態で発見できました。
「あるきろく20200823」10:53東長沼陸橋交差点で、その終点ポストと出会いましたが、ここが始点ということです。
そしてその終点は、実はすぐそこに見えるのでした。

 

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11:30 東長沼陸橋交差点はすぐそこでした

左右に走る都道9号川崎府中線とJR南武線の高架、です。

 

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11:31 6.9kmポスト

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11:37 7.4kmポスト

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11:41 7.7kmポスト

なぜか7.7kmポストだけきれいな状態を維持していました。
というより、最近埋めなおされたのでしょうか?

 

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11:43 川崎街道との合流

ここから矢野口交差点までの20mくらいでしょうか、川崎街道との重複です。

 

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11:45 矢野口交差点

川崎街道と直交する鶴川街道ですが、右側は途中で分かれたバイパス道で、左側が多摩川を渡っての調布方面です。
当然ですが、ここから左方向、調布に向かって進んでいきます。

 

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11:46 南武線をくぐります



矢野口駅の東側で、南武線の高架をくぐります。

 

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11:49 多摩川原橋

多摩川を渡ると、調布市に入ります。

 

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12:05 鶴川街道交差点

この交差点名称から察するに、交差する品川通りの方が「格」が上ということなのでしょう。
この品川通りは、古代の武蔵国国府であった府中から、品川を目指す道として成立していたようで、江戸時代に整備されたとされる甲州街道よりも古くから存在するようです。
鶴川街道の成り立ちは分かりませんが、品川通りが圧倒的に強いことには変わりないようです。

 

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12:12 下石原一丁目交差点

甲州街道交点の下石原一丁目交差点です。
ここは、あるきろく20200924において、都道12号線および「武蔵境通り」の起点探しとして、最初に立ち寄った地点です。

 

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(参考)あるきろく20200924 8:56

ゴミ収集車の後方は空き地でした。

 

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12:13 10.3kmポスト

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12:14 10.4kmポスト

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12:16 終点10.45kmポスト

一応、終点に到着しました。
が、wikipediaではこの都道19号線を、ひとつ前の交差点下石原一丁目交差点から都道11
9号との重複により小島町一丁目交差点まで行き、そこからは都道12号線との重複となり、甲州街道交点を終点とする記載がありました。
そう長い距離ではないので、そのルートも辿ることにしました。

 

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12:22 都道119号に入り、小島町一丁目交差点を目指す

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12:24 小島町一丁目交差点

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12:26 都道12号調布田無線の0.1kmポスト

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12:29 小島町交差点を左折し、下石原交差点を目指す

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12:30 再びの下石原交差点

少なくとも、あるき漏れの無いようにぐるりと周遊してみました。

 

そんなこんなで、今回のあるきろくはこれまで。

 

スマートウォッチの計測では、
時間 3時間10分  
歩数 約19,700歩
距離 約14km
でした。

 

さて次回は、東京都道20号・神奈川県道525号府中相模原線をあるきます。
この路線が、自分の実生活に一番馴染みのあるものであり、また、何回かのあるきろくの中で、すでにほぼほぼあるいているコースとなります。

 

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(おまけ) 12:36 甲州道中小島の一里塚

「あるきろく20200113」12:56に撮影して、掲載していました。








 



 

 

あるきろく 20210121

2021年1月21日 あるきろく 都道をあるく(第16回)

 

新たな年を迎えました。
とはいえ、すでに3週間も経ちましたので、おめでたい雰囲気が残っているわけでもないですが。
また、新年早々に、緊急事態宣言が再び発出され、この先の不安ばかりが脳裡によぎる今日この頃です。

さて、そんな丑年のあるき初めをすることにいたします。
今回は、東京都道18号府中町田線をあるきます。

 

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8:41 府中市役所前交差点

あるきろくでは毎度おなじみの府中市役所前交差点です。
都道229号府中調布線(旧甲州街道) 
・埼玉県道・東京都道17号所沢府中線(府中街道)終点
・神奈川県道・東京都道9号川崎府中線(府中街道)終点
の交点でもあります。

そして本日あるく
都道18号府中町田線(鎌倉街道
と次の次にあるく
都道20号府中相模原線
は、ここから数百メートルを神奈川県道・東京都道9号線との重用区間として南下します。

これだけの多くの路線が集まるものすごい交差点です。
ということで、本日もスタートします。

早速ですが、起点ポストらしきものは見当たらず…。

 

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8:44 鎌倉街道は右折方向を示す標識

いまはラ◯ンド◯ン、むかしはイ◯ー◯ー◯ドーだった建物を右手に、右折方向は鎌倉街道、の標識です。
逆光でほとんど見えませんが。

 

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8:46 府中本町駅入口交差点

数百メートル、時間にして5分程度でしたが、共に歩んできた都道9号線とお別れし、西に向きを変えて進むことになります。

 

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8:47 武蔵国府跡

府中本町駅入口交差点の目の前には、大きな広場があります。
駅と大國魂神社との間に位置するこの地には、西暦700年頃に、武蔵国司の館が存在したとのことです。
富士山を望むことのできるこの土地に、次は西暦1600年前後、徳川家康が府中御殿を築き、3代将軍家光の頃まで、鷹狩や鮎漁に際し、休憩や宿泊をしたそうです。

 

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8:48 本日最初の距離ポストは0.4km

本日も起点ポストは見当たりませんでしたが、武蔵国府跡に面した辺りに本日最初の距離ポストを発見しました。
府中市役所交差点からの距離ですね、これは。

重用区間のある都道における距離ポストの設置基準はどうなっているのでしょうか?
あるきろく20201231②では、埼玉県道・東京都道17号所沢府中線をあるきました。
この路線は都道5号新宿青梅線より北の部分で、東京都道・埼玉県道16号線との重用区間です。
17号線では、16号線と分かれたあと、小川町東交差点から南下して初めて、0.2kmポストが出現しました。
そういえば5号線においても、4号線と分かれる田無一丁目交差点に起点ポスト、でしたね。

今後の研究課題とします。

 

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8:49 府中本町駅

JR南武線、JR武蔵野線の乗換駅で、東京競馬場の最寄駅の一つでもある府中本町駅です。
上記の旅客線に加え、貨物線にとっても重要なポイントということで、路線数の割に駅が広く、また構造が複雑です。
南武線上り(川崎方面)ホームを始めて使う人は、絶対泣きたくなるだろうな、と思います。

 

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8:54 下河原緑道と交差

その昔、多摩川の砂利採取を目的とする鉄道がこの地を走っていました。
この路線をベースに、中央本線の支線として「国分寺東京競馬場前」が開業していましたが、武蔵野線の開通時に、その路線の大半が武蔵野線編入されました。
北府中駅から南の部分、多摩川に伸びる路線は貨物線として残りましたが、これもいずれ廃止となり、その跡地がこの下河原緑道として整備されました。

 

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8:56 1kmポスト

最初の1kmは15分でした。
あるきろくとしてはだいぶスローペースです。
下河原緑道は、はじめは通り過ぎたのですが、思い返して戻っての撮影をしたり、そもそも距離の割に撮影数も多い、ということで時間がかかりました。

ゆっくりと、と思う気持ちもありつつ、時間には限りもありますので、ここからはスピードアップしていこうと思うのでした。

 

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9:00 京王線をくぐります

分倍河原駅のホームがチラッと見える位置で、京王線をくぐります。
本日も、スタート地点に向かう際、お世話になりました。

 

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9:05 中央自動車道をくぐります

中央自動車道をくぐります。
道路であることが分かりやすいよう、車が通るタイミングで写真を撮ろうと思ったのですが、これがなかなか来ない。
平日の9時頃、手前側は都心に向かう車線なので、もっと頻繁に通り過ぎるはずなのに、と思いながら、タイミングを待ったのでした。

 

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9:13 中河原駅北交差点

ここまで片側一車線の都道18号線でしたが、ここで大きな通りに合流します。
ここを右折すると(ただし、自動車にとっては左折専用の交差点です)、都道17号線バイパスの新府中街道です。
この通りを北上すると、国道20号線甲州街道)と交差(☞あるきろく20200113)し、その先で都道14号新宿国立線と交差(☞あるきろく20201108)します。

 

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9:13 再び京王線をくぐります

いま京王線では、区部で高架化の工事に取り掛かりつつありますが、この中河原駅は昭和49年に高架化されました。
おじさんと同い年の高架後中河原駅です。

 

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9:20 関戸橋に差し掛かります

数年前から大絶賛工事中の関戸橋です。
架け替え中の橋は、1937年(昭和12年)に架橋されたもので、長さ375.8m、8m幅の13径間ゲルバーRCT桁橋とのことです。「ゲルバー」と書きましたが、全くそれが何なのか分かりませんが、欄干部分に意匠細工がされていたのは記憶にあります。
2015年に仮設橋の設置工事が始まりましたが、すべての工程が終わるまで16年、あと10年かかる工事だそうです。

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9:27 関戸橋から多摩市方向、上流方向を眺める

関戸橋の真ん中あたりでの撮影です。
これからあるいてく方向、そして少し上流よりを向いて写しました。
上流方向に見える橋は、京王線多摩川橋梁です。
このあたりで、府中市から多摩市に入ります。

 

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9:33 都道No.が沢山の標識

もう少しで新大栗橋交差点ですが、直進方向は都道18号府中町田線、左折方向は都道41号稲城日野線バイパス、右折方向は都道20号府中相模原線です。
都道18号線と都道20号線は府中市役所前交差点からここまでが重用区間
ここで都道20号線は都道18号線と分かれ、今度は都道41号線と少しの間重用区間として進みます。

 

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9:34 3.9kmポスト

新大栗橋交差点のすぐ手前に3.9kmポストがあります。

 

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9:36 新大栗橋交差点

1枚目は横断歩道を渡る前の写真。
2枚目は横断歩道を渡ってから、振り返っての写真。
3枚目は交差する川崎街道の標識を大きく写した写真。

1枚目の写真において、右側に建つビルに、大きな広告懸垂幕があります。
何年位前からですかね、ここに吊るされるようになったのは。
とてもインパクトの強い、しかし誰をターゲットにした広告なのか、いまいち掴めない不思議な懸垂幕なのです。

なお、この新大栗橋交差点は、あるきろく20200828番外編において「ねずみ男の頭頂部」と表現しています。

 

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9:37 ヘキサ標識第1号

交差点を過ぎてすぐ、本日初めてのヘキサ標識がありました。
この後、何本のヘキサに会うことができるでしょうか?

 

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9:38 4kmポスト、のはず

先ほどの3.9kmポストから、交差点を渡った先の歩道橋の下、1kmおきの三面距離ポストの足元だけが残っていました。
車がぶつかったのかな?
でもガードレールは別に曲がっていないし、どうしたのでしょうね。

 

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(参考)あるきろく20200826番外編 掲載写真

新大栗橋で都道18号線から分かれた都道20号線は、ここで4kmポストです。
この写真は、あるきろく20200826番外編に掲載しましたが、あるきろくをしていなければ、永遠に距離ポストの存在を知らないままにいたんだろうな…と、この時感じた次第です。

 

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9:42 ヘキサ標識第2号

早速、本日2本目のヘキサに出会いました。
と書きましたが、ここにヘキサがあるのは知っておりましたので、これといった感慨はありません。

 

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9:48 5kmポスト

植え込みに隠れる5kmポストです。
歩道側からはこんな感じですが、車で通るときにははっきりと見えます。
さて、今あるいている鎌倉街道は、多摩ニュータウンの開発に合わせて敷設された新しい道路です。
今は直線化された乞田川ですが、その昔、この辺りでは蛇行しており、その面影として、新大栗橋とヘキサ2号の少し手前の行幸橋との間は、スープ皿のように凹んでいます。
この通りが敷設されるまでの、鎌倉街道としてのメインストリートは、ガソリンスタンドの向こうに見える家々と、さらにその奥に見える木々の間に走っています。
ここには史跡などもあり、その歴史を語ってくれています。

 

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9:54 ヘキサ標識第3号

早々とヘキサ第3号です。
諏訪下橋バス停の脇に立っています。

 

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9:58 ヘキサ標識第4号

続々と出現のヘキサ標識です。
東京都道・神奈川県道2号線(☞あるきろく20200215)の終端部と比べ、どちらがお祭り度合いが強いでしょうか?

 

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10:01 乞田新大橋交差点

都道18号線は、この乞田新大橋交差点で左折し、方向を南に変えます。
真っ直ぐ進む道は、ここから都道158号小山乞田線、名称「多摩ニュータウン通り」に変わります。

先ほど記した旧来の鎌倉街道は、多摩市役所前を通り、ここで右折した先にある乞田交差点から一方通行の路地に入り2枚目写真の鉄塔の手前に出てきます。そして、多摩ニュータウン通りを横切り、マ◯ドナ◯ドの裏手を通り抜けていきます。

 

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10:02 ヘキサ標識第5号

乞田新大橋交差点を左折すると、乞田川を渡る手前にヘキサ標識と京王バス「大橋」バス停と6.1kmポストが3点セットで鎮座しています。
ヘキサは新大栗橋交差点からの2km余りで、もう5本です。
大漁、大漁! 

 

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10:04 手前:京王相模原線、奥:小田急多摩線

永山から多摩センターに向かって並走する2つの高架をくぐります。

 

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10:14 ヘキサ標識第7号とさんかく橋

永山と貝取を結ぶさんかく橋です。
多摩ニュータウンは歩車分離の街で、東は聖ヶ丘(だったはず)から西は鶴牧(だったはず)まで、車道を一歩もあるくことなく移動ができる安全な環境です。
そして、さんかく橋の手前には、7本目のヘキサ。

 

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10:23 埋もれる8kmポスト

ご存じの通り、多摩ニュータウン多摩丘陵を切り拓いて建設された街です。
丘に当たる部分に住宅が立ち並び、谷の部分を幹線道路が走ります。
この都道18号線も、永山と貝取の間の谷を走り抜けるわけですが、イメージとしてはフラットな道であると、数年前まで思っていました。
が、大人になったからなのでしょうか、この数年でこの道のあまりの急坂加減に驚くようになりました。今日は、その道を上り続けています。
乞田新大橋と、この後到達する尾根幹線とで、標高はどれくらい異なるのでしょうか。
調べたことがないので、分かりませんが…。

 

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10:29 南多摩尾根幹線道路

名前の通り東西に走る尾根の上の道、南多摩尾根幹線道路です。
とてつもない幅の中央分離帯を挟んだ道のため、標識でもこんな感じの表示です。
ちなみに、「幻の」東京オリンピックでは、左から右(東から西)に向けて自転車が駆け抜ける予定でした。

 

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10:31 多摩卸売市場前交差点

「引き」の写真で見ても、地図で見てもお分かりのように、とてつもない幅の中央分離帯です。

 

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10:34 ヘキサ標識第8号&第9号

皆さん、見えてますか?
この写真にはヘキサは1つだけではありません。
奥に止まっているトラックの荷台の上に、もう一つヘキサです。
3号線&11号線のようなお団子ヘキサはありましたが、ヘキサ密度という意味ではこれが最上級です。

 

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10:35 町田市に突入

マイホームタウンの多摩市を抜けて、町田市に突入します。
同じように感じている方は絶対に多いと思うのですが、隣り合っている市にもかかわらず、近くて遠い町田市、と昔から感じています。
モノレールは本当に町田まで建設されるのでしょうか?

 

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10:42 ヘキサ標識第10号

尾根幹線からだいぶ坂道を下ってきました。
尾根幹線は、本当に尾根を走っていることが分かります。
さて、記念すべき(?)本日10本目のヘキサです。

 

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10:47 おそらく10kmポスト

4kmポストに続いての、破損ポストです。
「おそらく」とはしていますが、これが10㎞ポストです。

 

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10:52 小野路交差点

2005年に直進方向の綾部原トンネルが開通するまで、ここは丁字路。
全長410mの綾部原トンネルを抜けると、600mほどで新袋橋交差点に到着しますが、これからあるくルートでは、この3~4倍をあるくのではないかと思います。
頂点30度の二等辺三角形の底辺の一部が綾部原トンネル、という感じ。

 

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10:58 11.1kmポストは埋め込みタイプ

小野路交差点を左折すると、今日ここまでにはなかった懐かしい雰囲気の景色を見ながらあるくことになります。なにをもって「懐かしい雰囲気」と言っているかは、分かりませんが…。
しばらくはお目にかかることのできなかった距離ポストですが、この11.1kmを皮切りに、再び定期的に出没してくれることになります。

 

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11:04 井の花交差点

都道18号線はもちろん直進方向ですが、一旦このY字路を左折してみます。

 

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11:06 もぎ取られた距離ポスト

一旦都道18号線から外れ、そこそこ急な坂を上ります。
200mほど進んだところに、思惑通りの距離ポスト。もぎ取られてはいましたが…。
お気付きの通り、ここも都道
しかも、ここは次回あるくべき東京都道・神奈川県道19号町田調布線です。
この起点が先程の井の花交差点です。
次回のスタート地点の確認をし、起点ポストがなかったので、最初の距離ポストを!ということで少し進んでみたのでした。
下調べ終了!!

 

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11:08 急坂の都道19号線から井の花交差点を見下ろす

先ほどの距離ポストから、ここまで220歩でした。

 

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11:10 左18号、右19号

この写真でも、双方の高さの差が分かります。
さて、再び都道18号線を進むことにします。

 

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11:15 大蔵交差点

大蔵交差点です。
二等辺三角形の頂点部分です。
真っ直ぐ進むと東京都道・神奈川県道57号相模原大蔵町線として、東京都道・神奈川県道3号世田谷町田線とぶつかる金井入口交差点へと至ります。
都道18号線はここで急角度で右折し、東京都道・神奈川県道57号線との重用区間となり、西へ進みます。

 

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11:19 12kmポスト

ここで12kmです。
今日はいつもより時間がかかっている感覚ですが、ここまでで2時間40分くらいですから、4.5km/hですね。
あるきろくのアベレージからすると、だいぶスローペースです。

 

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11:27 新袋橋交差点

小野路交差点から綾部原トンネルを抜けると、この交差点に辿り着きます。
まわりみちしたあるきろくは、時間にして35分、距離にして2.5kmくらいでした。
井の花交差点あたりで、少し時間を費やしはしましたが…。
なお、綾部原トンネルを抜けていたら、750mくらいのようなので8分くらいですかね。

 

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11:29 袋橋交差点

一旦新袋橋まで行きましたが、綾部原トンネルを抜けてのバイパスになるので、旧来の鎌倉街道としての都道18号線をあるくべく、袋橋交差点へ少し戻ります。
この交差点から南方向へ向きを変えてあるいていきます。

 

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11:32 バイパスと合流

ここで新袋橋からのバイパスと合流します。
ここからは、片側1車線の丘越えの道になります。

 

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11:42 まちだリス園と13.8kmポスト

アグレッシブなリスさんたちが沢山のリス園です。
ミトングローブをはめて、その上にヒマワリの種を置いて、柵の辺りに手を差し出すと、それを掻っ攫っていくリスさん達。
最初のうちはかわいいと思っていたけれど、途中から少し怖くなるくらいのアグレッシブさ。

 

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11:53 久しぶりのヘキサ標識第11号

リス園とそのお向かいの薬師池公園の辺りは、小高い丘になっていて、また樹々も茂っていていましたが、坂を下り、空が広い場所に出ると、お久しぶりのヘキサに出会いました。
東京都道・神奈川県道2号東京丸子横浜線では、終盤に怒涛のヘキサ祭りとなりましたが、通算の数では、今日ほど多くはありませんでした。
11本目、レコードだと思います。

 

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12:02 木曽団地東交差点

だいぶ拡幅工事も進捗したようですが、以前は車で通るたび、交通量の割に狭い道だな、と思っていましたので、やっと追いついた感じでしょうか。

 

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12:08 菅原神社交差点

左から来た東京都道・神奈川県道3号世田谷町田線と合流します。
あるきろく20200308でここを通っていますが、菅原神社交差点での写真はなし。
この時は、合流する手前10:12の写真をアップしていました。

 

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12:09 この距離ポストは都道3号線のもの

あるきろく20200308当時は、ヘキサばかりに意識が行き、距離ポストを存在を知りませんでした。ということで、この距離ポストも初めて意識に刷り込まれたわけですが、16.3km地点ということです。
でも、あるきろく20200308では、スマートウォッチの計測では26.5kmあるいたことになっていますし、 数字が合いません…そうか!神奈川県道部分はしっかりと抜かれているわけですね!!
都県跨ぎの距離ポストの設置のされ方を、今後はもう少し注意深く観察することにします。

 

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12:12 都道3号線はここで左折、の交差点

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(参考)あるきろく20200308 10:17

あるきろく20200308は雨でした。
途中、ビニール傘をさしながらあるきました。

この交差点を境にして、鎌倉街道の名称はそのままに、神奈川県道・東京都道52号相模原町田線になります。
つまり、都道18号線はここが終点、とのこと…です。

 

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12:18 都道52号線の距離ポスト

終点であろう周辺を見渡すも、都道18号線の終点を示すものはありませんでした。
ところが、1枚目の写真。
白い車の後ろの地面に距離ポストらしきものが見えました。
道路を渡って、2枚目の写真。
やっぱり距離ポストでした。
いつも通りに近づいて、3枚目の写真。
都道52号線の距離ポストでした。
ただし、こちらも終点を示す文字は入っていません。

あるくまえの下調べ(=wikipediaなどのネット、道路地図などでの確認作業)では、都道18号線、都道52号線ともに、この分岐付近を終点と認識していました。

が、いま(=この作業中)になり、少しモヤっとした感じがでてきました。
木曽団地東交差点のお知らせ看板に、都道府中町田線は「町田市旭町一丁目」を終点とする幹線道路、って書いてありますが、この交差点は「本町田」「旭町三丁目」「中町四丁目」を分ける地点であり、該当しないのです。「旭町一丁目」はこのままもう少し、先に進んだ地点でした。

もちろん、あるきろく20210121当日は、ここを終点という思い込みと、残念ながら先のお知らせ看板を読み込んでいなかったため、この先旭町一丁目までをあるき、確認をすることができませんでした…。
いつか再訪しての確認が必要です。


ということで、いまいち晴れない気分ではありますが、本日のあるきろくはここまで。

 

スマートウォッチの計測によると、

時間:3時間34分

歩数:およそ24,500歩

距離:およそ17.5km

でした。


次は、東京都道・神奈川県道19号町田調布線です。
今回通った、井の花交差点を起点に、あるきろく20200924の冒頭でも触れましたが、調布市甲州街道との交点まであるきます。
ただ、この終点についても、調べるものによりいくつかの答えが出てくるので、実行するまでにもう少し調べておきたいと思います。


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(おまけ1)12:23 都道3号線16.7kmポスト

町田駅へ向かうついで、あるきろく20200308では探索しなかった距離ポストの所在を確認してみました。
まず一つ、16.7kmポストが埋まっていました。

 

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(おまけ2)12:36 都道3号線17.6kmポスト

都道3号線の終点、中町交番前交差点です。
都道47号線(町田街道)との交差点を越えた三角州のような場所に、距離ポストがありました。
これにも、終点の文字はありませんが…。

 

あるきろく20201231②

2020年12月31日 あるきろく 都道をあるく(第15回)

 

東京都道・埼玉県道16号立川所沢線をあるき終え、すぐさま折り返し、埼玉県道・東京都道17号所沢府中線をあるきます。

 

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8:47 金山町交差点

早速のスタートです。

 

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9:29 東京都に突入します

金山町交差点での折り返し後、コンビニでの小休憩もあり、先程より10分程度多くの時間をかけて、都県境まで戻ってきました。

 

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9:34 久米川町交差点

久米川町交差点を右折し、府中街道の標識通りに進みます。

 

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9:52 東村山駅東口交差点

西武新宿線と西武国分寺線が分岐する東村山駅の東側です。
実は先ほど、都道16号線を所沢へ向かう道中、駅前ロータリーに入り、志村けんさん関連のものがないか探しましたが、見つけることができませんでした。
駅の反対側、西口ロータリーにも行ってみましたが、こちらでも分からず。
いま改めてネット検索してみると、東口ロータリーにある三本のケヤキの木が、その昔志村さんの広報活動へのお礼として植樹された記念樹とのことで、この案内看板がバス停そばにあったようです。もちろん気付くことはできませんでした…。

 

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10:02 野口橋交差点

新青梅街道との交差点である野口橋交差点まで戻ってきました。
先ほど都道16号線をあるいたときの写真に対し、対角線上からの撮影となります。
なお、都県境や久米川町交差点から、距離ポストを探しましたがここまでは一つもありません。

 

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10:11 西武多摩湖線をくぐります

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10:15 西武拝島線をくぐります

立て続けに高架線をくぐるわけですが、この西武拝島線は電車の見える方向に、とても急なカーブがあることで有名なスポットです。
地図を見れば良く分かりますが、短い距離で90度方向を変えます。
詳しいことは分かりませんが、曲線半径175mであるそうです。

 

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10:42 小川町西交差点

都道16号線を逆走する形で都道17号線をあるいてきました。
この交差点で都道16号線とお別れし、地図上でも都道17号線として表記されます。
右折すると、都道5号線に間借りする都道16号線として日野橋交差点に向かいますが、あるきろくは左折し府中へと向かいます。

 

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10:44 小川町東交差点

いま改めて思うこと。
小川町西交差点と小川町東交差点の間、数十mは、16号線なのか17号線なのか?
そもそも5号線との重複区間でもあるので、とてもややこしいのですが。

 

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10:47 都道17号線としての最初の距離ポスト

小川町西、小川町東の両交差点付近では距離ポストは見つけられませんでしたが、0.2kmポストを見つけることができました。
この後は、基本的に100m間隔でしっかりと設置されていました。

 

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10:54 津田塾大学

津田塾大学の正門前を通過します。
通りを挟んだ反対側も林になっていて、この一帯が落ち着いた武蔵野の風景に染まっています。

 

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10:55 久右衛門橋

玉川上水にかかる久右衛門橋を渡ります。
この橋の起源は、徳川幕府第8代将軍吉宗の時代、新田開発が奨励されていましたが、玉川上水南側で新田開発がおこなわれたことに伴うもの、のようです。
現在架かる橋は、昭和7年3月に架橋されたとのことで、レンガアーチによる構造となっています。

 

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10:59 上水本町交差点

都道7号線(五日市街道)と交差します。
「あるきろく20200723」では、この交差点での写真はありませんが、8時50分過ぎに通過したことが、前後の写真から分かります。

 

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11:12 西武国分寺線の踏切を渡ります

今日は何度も西武鉄道の線路と交わりましたが、これで打ち止めです。
なお、この踏切を渡る際、後ろから走ってきたライトバンが一時停止することなく、相当なスピードで踏切を渡っていきました。
運転していたおばさま、よろしくないですよ!

 

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11:20 JR中央本線をオーバークロス

JR西国分寺駅の上を越えていきます。
写真はJR中央本線のホーム、東京方を向いての撮影です。
この背後には、府中街道と並走するJR武蔵野線のホームがあります。

 

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11:35 府中栄町三丁目交差点

「あるきろく20201108」であるいた都道14号線と交差します。

 

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11:39 府中刑務所

高い塀です。
門の前には大きなスペースが広がります。
なお、こちら(刑務所敷地西側)は正門ではなく、正門は敷地東側にあるそうです。

 

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11:52 甲州街道との交差点が近付いてきました

国道20号線甲州街道)との交差点が近付いてきました。
この交差点を越え、数百m進んだ先の府中市役所前交差点が都道17号線の終点です。

 

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11:54 寿町三丁目交差点

府中駅付近の甲州街道はいつも混んでいます。
車の多さに対して道幅があまり広くないので、府中駅より東側へ車移動をするときには、甲州街道はほとんど走りませんね。
甲州街道都道229号線)や東八道路都道14号線)を使うことが多いですね。

 

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11:56 たぶん最後の距離ポスト

見落としがなければ、これが最後の距離ポスト。
甲州街道を越えて、京王線の高架をくぐってすぐの場所にあります。
終点はもう目の前です。

 

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12:00 府中市役所前交差点

「あるきろく20200113」で甲州道中をあるいたとき、「あるきろく20200823」で川崎から神奈川県道・東京都道9号線をあるいたときに続いての府中市役所交差点です。
都道17号線もここが終点です。
この交差点廻りの状況については、「あるきろく20200823」でさんざん調べて記載していますので、ここでは割愛しますが、時代は移っても、交通の要衝として欠かせないポイントであり続けるこの交差点はすごい!と感嘆します。

 

ということで、埼玉県道・東京都道17号所沢府中線のあるきろくはここまで。

 

スマートウォッチの計測によると、

 時間:3時間13分

 歩数:約 22,000 歩

 距離:約 15.7 km

でした。

 

日野橋交差点を起点とする東京都道・埼玉県道16号線を含んだ、本日一日のトータルでは、

 時間:約 6時間半

 歩数:約 44,650 歩

 距離:約 32 km

でした。

 

 

さて次回は、都道18号府中町田線をあるきます
その起点は、何とこの府中市役所前交差点なのですが、このまま引き続き都道18号線までいっぺんにあるく、はいたしません。
身体と時間とに少し無理がありますので、日を改めて実行します。

なお、都道18号府中町田線の大半が通称「鎌倉街道」であり、鎌倉街道上ノ道(鎌倉古道)に並行する道路です。
終点は東京都道・神奈川県道3号世田谷町田線との交点とのことで、以前お目にかかった景色と再び出会えます。

あるきろく20201231

2020年12月31日 あるきろく 都道をあるく(第14回)

 

年の瀬です。
晦日です。
新型コロナウイルスの流行という、あまりにも大きな出来事にすべてを左右された一年でしたが、本当にあっという間に過ぎ去っていこうとしています。

そんな一年のあるき収めをすることにいたします。
今回は、東京都道・埼玉県道16号立川所沢線をあるきます。

 

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5:21 スタート地点へ向かう道中

都道16号線の起点は、日野橋交差点です。
今回は、JR南武線矢川駅から甲州街道を西へ、スタート地点に向かいます。
頭上の標識看板の通り、日野橋交差点は、甲州街道は左折、新奥多摩街道は直進、右斜め方向に奥多摩街道、そして右方向に今回のターゲット都道16号線、ここからの道路通称「立川通り」が走る大きな交差点です。
なお、奥多摩街道は「あるきろく20200113 甲州道中をあるく(7日目)」にて向こう側から逆方向にあるいてきました。

 

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5:25 日野橋交差点と起点ポスト

今回はしっかりと起点ポストを写真に収めることができました。
実は数日前に車で通り、ここに起点ポストが鎮座していることを確認しておりました。
大寒波襲来の朝、フードをすっぽりと被り、所沢へ向けてスタートです。

 

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5:40 JR中央本線南武線をくぐる

中央線・南武線を線路の南側から北側へとくぐります。

 

 

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5:47 曙橋交差点

中央線・南武線をくぐり、東橋交差点を左折した先の曙橋交差点です。
写真では奥方向が立川駅、左方向がここまであるいてきた都道16号線です。
日中はいつも賑わっている立川駅周辺ですが、こんなにも静かで、人気のない立川駅周辺は初めてです。

 

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6:18 砂川九番交差点

都道7号線、五日市街道と交差します。
「あるきろく20200723」でこの交差点を通過しましたが、写真には撮っていませんでした。
なお、20kmポストの写真と砂川七番交差点との間に当たります。

 

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6:18 都道7号線の20.8kmポスト

砂川九番交差点で写真を撮ったその足元に、距離ポストがあったので撮影しました。

 

 

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6:26 小川橋

玉川上水を渡る小川橋です。
写真では辛うじて見えますが、鬱蒼とした茂みに肉眼では川面が見えませんでした。

 

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6:42 都道5号線(青梅街道)と合流

「あるきろく20200321」であるいた青梅街道を逆方向に、しばらく間借りしてあるきます。
1枚目の写真の左端に写っている距離ポストは、都道5号線の9kmポストです。
都道4号線と分岐する田無一丁目交差点からの距離です。

 

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6:50 小川寺バス停

「あるきろく20200321」でも撮影したポイントです。
直線の続く青梅街道で、視覚的にも明らかな曲線が久し振りに現れたことを記しています。

 

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7:00 西武国分寺線の踏切を渡ります

「あるきろく20200321」では、タイミングよく通過する電車を撮影できましたが、今回は、手前の信号あたりをあるいているとき、電車が行ってしまいました。
残念ですが、踏切から線路を写すのでした。

 

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7:03 小川町西交差点

しばらくの間、青梅街道を逆走しての道中でしたが、この交差点でお別れし、所沢へ向けて北上していきます。
ここから道路愛称は府中街道となります。
この府中街道の名前は、数十メートル先の小川町東交差点から府中に向けて都道17号線として南下します。

 

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7:06 再び都道16号線としての距離ポスト

小川町西交差点を左折、北上を始めすぐに見つけました距離ポスト。
ここは8.3kmですが、ちなみに立川通りが青梅街道に合流する直前の距離ポストは6.5kmでした。青梅街道との並走区間は、およそ1.7kmと思われます。

 

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6:41 これが青梅街道合流前の6.5kmポスト

 

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7:17 西武拝島線をくぐります

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7:22 西武多摩湖線をくぐります

この辺りは、西武鉄道の路線が複雑に絡み合っています。
たまにしか利用しない人にとって、効率の良い移動のための乗り継ぎを考えた時には、難易度の高い路線であるといつも感じています。
西武鉄道ホームページでその歴史を見ても、幾多の合併を経て今があることが分かります。

 

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7:30 野口橋交差点

もう一つの都道5号線、新青梅街道と交差します。
この辺りの新青梅街道は、本家の青梅街道と比べ、道幅も広く、走りやすそうな道路となっています。

 

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7:32 西武新宿線の踏切を渡ります

わずか15分の間に、西武鉄道の3路線(拝島線多摩湖線新宿線)と交差したことになります。
また、7:00に踏切を渡った西武国分寺線とは、小川町西交差点を左折して以来、ずっと200mくらいの距離を保ちながら並走しています。
この至近距離の中に、これだけの路線が詰め込まれていることからも、たまの利用者には難易度が高いと思うのです。

 

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8:08 府中街道として最後の距離ポスト

都道4号東京所沢線と合流する久米川町交差点に至る、最後の距離ポストは13.7kmでした。

 

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8:09 久米川町交差点

「あるきろく20200315」10:40に訪れて以来の久米川町交差点です。
前回は、新宿三丁目交差点からここまでをあるいてきました。

 

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8:16 都道4号線の最後の距離ポスト

前回あるいたときにはヘキサ標識ばかりに気持ちが行っており、距離ポストの存在などつゆほどもありませんでした。
したがって全く気付くこともなくあるいておりましたが、埼玉県との境に最も近い、すなわち都道4号線としての最後の距離ポストはこれで、その距離は24.2kmでした。
なお、都道4号線に合流して以来、都道16号線の距離を示すものは存在しませんでした。

 

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8:17 都県境に到達

柳瀬川を渡り、埼玉県に突入します。

 

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8:18 埼玉県道の起点ポストを発見

これも前回は気付くことができませんでした。
まぁ、そもそもガードレールの裏側に鎮座しておりますので、余程興味をもって探さない限りは見つけられないのでしょうが。
足元の埋め込みはともかく、ポストのレトロ感が半端ありません。

 

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8:19 ヘキサ標識

「あるきろく20200315」では10:45にこの写真を撮影していました。
ここから金山町交差点を目指して埼玉県道4号線を進みます。

 

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8:38 距離ポストを発見

見つけてしまいました、距離ポストです。
これもまた、植込みとガードレールとの隙間に隠れているのを発見しました。
距離ポストには「9」という数字のみですが、県境からの距離は900mではないよなぁ…と思い、後ほど地図で確認しての推測は1.9km。
都道の距離ポストも、「km」の数字は小さく、「(100)m」の数字が大きいですので、そういうことかと自分を納得させるしかありません。

 

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8:44 金山町交差点が見えてきました

終点はもう目の前です。

 

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8:45 金山町交差点

ついに金山町交差点に到着です。
すると、ここでも前回は全く気付かなかった埼玉県道の終点ポストが。
それも、起点ポストとは違って、気付かない方がおかしいというようなあからさまなロケーションでした。
写真を見ると、左奥にもう一本、黄色いポストが見えますが…。

 

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8:46 もう一本の終点ポスト

こちらもレトロ感満載の文字です。
ポストの文字を基に埼玉県道浦和所沢線を、そして先程の頭上の標識を基に埼玉県道179号線を検索してみましたが、経緯が複雑すぎてよく理解できません。
wikipediaによると「かつてはこの道路が浦和所沢バイパスとして指定されていたため、今でも幹線の至るところに当時使われていた浦和起点のキロポストが現存している」とのことです。

 

ということで、東京都道・埼玉県道16号立川所沢線のあるきろくはここまで。

 

スマートウォッチの計測によると、

 時間:3時間21分

 歩数:約 22,650 歩

 距離:約 16.3 km

でした。

 

 

さて次は、都道17号線をあるきます、となるのですが、都道17号線は今回と同様に都県跨ぎの主要地方道、埼玉県道・東京都道17号所沢府中線であり、その起点は金山町交差点、すなわちここです。

 

よって、このまま折り返し、府中に向かってスタートします。
が、それは「あるきろく20201231②」にて。

あるきろく20201206

2020年12月6日 あるきろく 都道をあるく(第13回)

 

およそ1ヶ月ぶりのあるきろく。
今回は都道15号線府中清瀬線をあるきます。

 

 

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5:55 府中駅から旧甲州街道をあるいて向かう

京王線府中駅から、「あるきろく20200113」であるいた旧甲州街道を通り、都道15号線の起点である八幡宿交差点に向かいます。
頭上の標識には、東京競馬場と対になる方向に都道15号線「小金井街道」の文字が見えます。

 

 

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6:00 都道15号線起点 八幡宿交差点

今日は、とても寒い朝でした。
風も冷たく、写真を撮る都度手が凍えます。
さて、起点ポストは見当たりませんでしたが、代わりに甲州街道「府中宿新宿入口」の碑を見つけました。
府中宿は、新宿、番場宿、本宿の三町で構成されていました。
では「八幡宿」は?となりますが、これは「あるきろく20200113」でも記載の通り、農業を中心とした村落の名称であり、宿場ではありませんでした。
では、清瀬に向けてスタートします。

 

 

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6:02 本日初めての距離ポスト

起点にポストが見当たらないといささか不安になりますが、それでもすぐに距離ポストが現れると安心するものです。
今日は、0.2kmポストが最初でした。

 

 

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6:03 小金井街道入口交差点

国道20号線甲州街道との交差点です。
甲州街道から見た名称として、小金井街道入口となったのでしょう。

 

 

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6:05 北南建前交差点

交差点の名称を見ただけでは、何の意味を持つのか全く分からない交差点です。
地図を見て合点がいきました。
「東京都建設局北多摩南部建設事務所」前、ということでしたか。
なお、都道15号線はこの交差点を右斜め方向に進みます。

 

 

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またもバラバラな距離ポストコレクション

北南建前交差点の後に確認できた距離ポストは、またしても(☜20200924あるきろく)バラバラでした。

 

 

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6:14 小金井街道 解説碑

甲州道中の時(あるきろく20200113)も、都道9号線(あるきろく20200823)でも、府中市内では、由来を解説する碑が充実していました。
今回も、立派な碑が立られていました。
(書いてある内容は、今回に限って言うとたいしたものではありませんでしたが…)

 

 

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6:31 前原交番前交差点

都道14号線東八道路との交差点です。
前回のあるきろくで、この交差点を通っています。

 

 

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6:31 こんなところに距離ポスト

前原交番前交差点の横断歩道を渡っていると、中央分離帯に2.7kmポストが鎮座しておられました。
なかなか滑稽な風景ではありました。

 

 

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6:46 武蔵小金井駅

府中から武蔵小金井まであるいたのは初めてでしたが、このくらいの時間で着くんですね。思っていたほどかからなかった、という感想です。
中央線が高架になる前は、車でこの通りを走ると、この手前の前原坂あたりから、必ずと言っていいほど渋滞が発生していた記憶があります。

 

 

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6:54 上水公園入口交差点と5kmポスト

この形の距離ポストは、見落としていなければ本日初めてです。
5kmを54分、そこそこいいペースであるけていますかね?

 

 

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6:59 小金井橋交差点と小金井桜の碑

都道7号線五日市街道との交差点です。
あるきろく20200723でここを通り、小金井桜の碑を撮影していますが、その写真は、夏であったこともあって草生しています。

 

 

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7:03 小金井公園西門

 小金井橋を越えると、しばらく小金井公園小金井カントリー倶楽部に挟まれて進みます。
道路は大きな樹木が立ち並び、ゆるく下る道であるため壮大な眺めです。
その樹木の東向こうには、小金井公園の大きな芝生の広場が見えています。

 

 

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7:04 小金井カントリー倶楽部 入口

政財界要人の人気も高いといわれ、その会員権価格の高さがしばしばニュースにもなる名門ゴルフコースです。
駐車場がちらっと見えましたが、高級車の展示場か!と思わせるもの。
世界が異なります…。

 

 

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7:15 都道253号線と交差します

あるきろく20200321およびあるきろく20200723でも出会った、風変わりな都道多摩湖自転車歩行者道」です。
多くの人がここをあるき、花小金井駅に向かっているようでした。

 

 

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7:16 花小金井駅脇の踏切

西武新宿線花小金井駅の脇を、踏切で渡ります。
朝日で逆光になり見にくい写真ですが。

 

 

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7:20 花小金井交差点

都道5号線青梅街道との交差点です。
以前この交差点を通った、あるきろく20200321の写真では7:25撮影となっています。
(アングル合わせをしなかった!)
偶然ですが、ほぼ同じ時間に通過しています。

 

 

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7:29 花小金井四丁目交差点

再度都道5号線との交差点を迎えます。
こちらは新青梅街道です。
あるきろく20200321では、両者が並行する場所においては、新青梅街道ではなく青梅街道をあるきましたので、この交差点はあるきろく初出です。
新青梅街道の方が、道幅も広く整備されていますので、交差点の規模もこちらの方がこちらの方が大きい感じがしました。

 

 

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7:41 前沢交差点

都道4号線所沢街道との交差点です。
以前この交差点を通った、あるきろく20200315の写真では9:50撮影となっています。
あるきろく20200315では、新宿3丁目から所沢までをあるいています。
この写真もまた、アングル合わせをしないままに撮影してしまいました。

 

 

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7:47 東久留米中央町郵便局と10kmポスト

五日市街道(小金井橋)から48分、西武池袋線花小金井駅脇踏切)から31分、都道5号線新青梅街道花小金井四丁目)から18分、所沢街道(前沢)から6分でここに至りました。
地図の縮尺ははっきりしませんが、均等のペースであるけているでしょうか?

 

 

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8:02 松山三丁目交差点

府中から平行してきた(1回だけ交差していますが…)新小金井街道と(再び)交差します。
地図(都道検索システム)では交差点の左右(押出し橋方面、こばとの森方面)ともに「15」号線になっていますが、矢印標識では、ここを境に押出し橋側が15号線支線、こばとの森方面は40号線となっています。
正誤としては、実地確認を優先して判断してよいでしょうか?

 

 

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8:09 清瀬駅脇の踏切を渡ります

西武池袋線清瀬駅西側の踏切を渡ります。
朝日は写り込んでいませんが、またしても逆光となりました。
後ほど帰宅時に利用をさせていただきます。

 

 

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8:13 用心しながら距離ポストを写真に収める


これまで終点に距離ポストがあることはまれであり、正確な距離を測定できずにいます。
したがって清瀬駅を越えてからは、距離ポストのすべてを撮影することにしました。
そして結果として、この距離ポストが最終となりました。

 

 

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8:14 頭上の標識では、「15」の行く先がない

目の前の交差点では、交差する左右への道は都道40号線、真っ直ぐ進む先は都道24号線となります。
すなわち、都道15号線の終点となる交差点が見えてきました。
なお、ここはすでに都道24号線との重複区間なんです、一つ手前の交差点から。

 

 

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8:16 郵便局前交差点

都道40号線志木街道との交差点である郵便局前です。
都道15号線は、ここで終点です。
周辺を丹念に調べましたが、終点ポストはありません。
正確な距離が見えないことから、最後に出会った12.5kmポストへ戻ることにしました。
実は本日、いくつかの距離ポスト間で歩数を指折り数えました。
本日のあるき方では、100mを110歩~115歩であるいていました。
郵便局前交差点から12.5kmまで戻る際の歩数は220歩、つまりおよそ200mということになりますので、距離ポストが終点にあったならば「12.7」となるものと思われます。


さてさて、ということで、本日のあるきろくはここまで。

 

スマートウォッチの計測によると、   

   時間:2時間16分

   歩数:およそ18,500歩

   距離:13.4km

でした。

本日の距離数値は、だいぶ精緻に出ていますね。
これまでの計測にも自信をもって良いでしょうか?

 

 

さて次は、都道&埼玉県道16号線立川所沢線をあるきます。
甲州街道奥多摩街道新奥多摩街道が集まる日野橋交差点を起点とし、都道4号線&埼玉県道4号線の終点であった所沢市の金山町交差点を終点とする道路です。

 

悩ましいのは、この金山町交差点が都道&埼玉県道17号線所沢府中線の起点でもあることなのです。
つまり、日野橋から所沢まで行き、その足で府中に戻るべきか?
それとも別々の日程であるくか?です。

 

まとめて歩くには、底冷えのする明け方前からのスタートは必須です。
別日程とするならば、わざわざ所沢(最寄駅は西所沢駅)まで移動が必要となります。
本当に悩みどころです…。

 

あるきろく20201108

2020年11月8日 あるきろく 都道をあるく(第12回)

 

お久しぶりのあるきろく。
今回は、西新宿を起点として府中方面へと向かう都道14号線をあるきます。

 

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5:42 山手通り 清水橋交差点

スタートは山手通りから方南通りとして分岐する清水橋交差点です。
最寄駅は都営地下鉄大江戸線の西新宿五丁目で、地上に出て2~3分あるいて到着です。

 

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5:44 清水橋とは?

清水橋交差点で起点ポストを探しましたが見当たらず。
次に、川も流れていないのに何故「清水橋」なのかが気になり、周辺をキョロキョロ。
橋のモニュメントを見つけ、撮影。
1960年過ぎまでは神田川支流の和泉川が流れていて、本当の橋が架かっていました。
昔の写真(地理院地図/1945~1950の航空写真)には、はっきりと写っていました。

 

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5:49 0.3kmポスト

起点ポストがなく不安な気持ちでのスタートでしたが、本日初めての距離ポストに出会いました。

 

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5:55 東京大学教育学部附属中等教育学校と1kmポスト

校門から数十メートル先のバス停「東大附属」に1kmポストがありました。
校門前を5:55に通過、1kmポストは5:57の通過です。

 

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6:04 丸ノ内線がいっぱい

東京メトロ中野車両基地です。
車両基地の中野検車区と、車両工場の中野工場から構成されるそうで、ものすごく広い敷地にたくさんの車両と建物がありました。
日曜日だったことも幸いしました。

 

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6:13 方南町交差点

都心から郊外に向けてのあるきろく恒例の環七通りです。
ここから環八通りとの交差点まで、今回はどれくらいの時間がかかるでしょうか?

 

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6:27 大宮八幡宮

平安時代中期の武将、源頼義により1063年に建立された神社で、「東京のへそ・子育厄除八幡さま」として親しまれているそうです。

 

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6:32 井の頭通りと合流します

この交差点で井の頭通りと出会い、しばらくの間一緒に北西方向へ進みます。
吉祥寺付近では井の頭通りは都道7号線支線であることは、これまでも何度か触れてきましたが、この辺りでは都道413号線を名乗っています。
ちなみに2枚目の写真は、井の頭通りからあるいてきた道を振り返っての写真です。

 

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6:42 浜田山駅入口

ここで都道413号線とはお別れして、名称も人見街道となり、西へ向かいます。

 

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6:53 環八通りとの交差点

恒例の「環七→環八」時間ですが、今回は40分でした。
都道3号線は39分、都道4号線は42分でした。

 

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7:08 京王井の頭線を渡ります

久我山駅の脇で踏切を渡ります。
写真には収めませんでしたが、富士見ヶ丘駅寄りの井の頭線神田川との間には、沢山の電車が停泊していました。

 

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7:15 牟礼橋

本日の最難関ポイント、牟礼橋です。
上北沢駅入口交差点で国道20号線と分かれた放射5号線は、都道14号線バイパスでもあるのですが、玉川上水にかかるここ牟礼橋で合流します。
ただし、合流の仕方が地図を見ただけでは良く分からないポイントなのです。

 

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歩行者及び車による玉川上水交差部周辺の交通動線(経路)

地図で見る限り、車道同士は合流していないように見え、都道14号線はどのように引き継がれるのか、と不思議に思っていました。

 

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人見街道はどこまでが都道14号線なのか?

都道検索システムの地図でも、人見街道と放射5号線の両14号線は交わりません。
そして、人見街道における都道14号線は御嶽神社の手前、信号機まで至らずに途切れており、そこから都道110号線に変わっています。

 

 

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7:25 14号線→110号線の境目はどこ?

地図(都道検索システム)ではこの辺りで110号線に変わるのですが、何もそれを示すものはありません。
向こうに見える信号機の位置や、右側へ向かう道(と記しましたが、その先は民家の敷地に入るシャッターがありました)との関係から、この辺りと推測する限りです。

 

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7:22 御嶽神社バス停と距離ポスト

時間が前後しますが、先に信号機の向こうにあるバス停まで行って、何かないかと探しました。すると、御嶽神社バス停の足元に距離ポストを発見しました。
都道110号線の9.2kmポストでした。
都道110号線は14号線とは逆方向、つまり府中からこの牟礼橋付近14号線との交点までを、ほぼほぼ人見街道として走る路線です。
少しだけ違和感があったのは、これまで距離ポストは、すべて起点から終点方面に向かって左車線側にあったのですが、110号線としてみるならば右車線側にあることです。更には、14号線のこれまでの距離とほぼ同じであることからも、14号線と110号線の境界がどこなのか、14号線として人見街道から放射5号線・東八道路への接続がどうなっているのか、などなど分からないことだらけで、この辺りを10分以上ウロウロしてしましました。

 

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7:28 東八道路の左車線側に移り、起点方向を振り返る

さて、そろそろ前に進むことにします。

 

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7:40 新川天神社

祭神は菅原道真公であり、もとは野川村天神山に鎮座していたものを、寛永16年(1640年)に当地に遷座しました。現在の社殿は、昭和32年改築のもののようです。

 

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7:43 東八道路に移って初めての距離ポスト

10.1kmポストがありました。
東八道路に移ってからは初めての距離ポストです。

 

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7:48 新川交番前交差点

都道117号線は、起点が世田谷区内の国道20号線交点、そして終点をこの交差点とする道路です。なお、吉祥寺通りの名称は、この交差点を挟んで、三鷹の森ジブリ美術館井の頭恩賜公園を通り、さらには吉祥寺駅前を経て青梅街道へと至ります。

 

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8:09 野崎八幡前交差点

あるきろく20200924、都道12号線を調布から田無へ向かう際に通りました。
9:46に同じ角度で写真を撮りました。

 

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8:22 人見街道都道110号線)と交差します

都道14号線とは切り離すことのできない、人見街道都道110号線と交差します。
人見街道は府中方面から野川公園の南側に沿ってここに至り、三鷹方面へと進みます。

 

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8:25 秋を感じる風景 野川公園の中を走る都道14号線

緩やかに右にカーブを曲がると、奥にはきれいな山並み、道路の両側には緑から紅葉に変わりつつある樹木が連なっていました。
とてもきもちのよい風景です。

 

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8:36 ヘキサ第1号発見!

久し振りにヘキサ標識と出会いました。
都道11号線をあるいたとき、都道3号線との重複区間でお会いして以来です。

 

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8:46 府中運転免許試験場と多磨霊園と距離ポスト

多摩地域に住む方であれば、誰もが一度は来たことがあるであろう府中運転免許試験場。その南側には、有名な物故者も多く眠る多磨霊園があります。
そして、ここに16kmポストがありました。

 

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8:50 ヘキサ第2号発見!

14分で2本目に出会いました。
このあともまだ会えるのでしょうか…。

 

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8:58 前原交番前交差点

17kmの距離ポストを越えてすぐ、都道15号線との交差点である前原交番前交差点に到着しました。
次回のあるきろくは、この都道15号線を府中市の八幡宿交差点から清瀬市に向けてあるくことになります。

 

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9:36 府中栄町三丁目交差点

都道14号線はこの府中栄町三丁目交差点では、立体交差により都道17号線である府中街道と、おまけにJR武蔵野線をくぐります。
地上の交差点では、南北に走る府中街道と丁字路として交差します。
立体交差は歩行禁止ですので、丁字路交差点で横断歩道を渡り、武蔵野線のガード下をくぐって向こう側に進みます。

 

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9:38 武蔵野線をくぐる

こんな感じの歩道が設けられています。
トンネル内の蛍光灯にも、都道14号線の管理ステッカーが貼ってありました。

 

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9:44 ヘキサ第3号発見!

本日3本目のヘキサ標識です。
お祭り認定とまではいきませんが、見つけるたびにテンションが上がりますね。

 

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9:48 西原町一丁目交差点

都道17号線バイパス、「新」府中街道との交差点です。
現在完成している東八道路としては、ここまでとなります。

 

今日は、この先国立府中インター入口交差点まで、道路予定地を追いかけます。

 

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9:52 事業計画の看板と、隙間から見る予定地の現況

西原町一丁目交差点から1,300m向こうの国立府中インターチェンジ入口交差点までが事業予定地となります。衝立の向こう側には、すでに車が走れそうなスペースが広がっています。

https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/content/000007415.pdf

少々古い資料ですが、東京都北多摩南部建設事務所の事業概要説明会資料が見つかりましたので、URLを貼付します。

 

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9:58 西原町交番の近く

一枚目の写真は、東八道路方面を眺めたものです。
この地図をじっくり見ると、西原町一丁目交差点から、何も建物がない空白地帯が道路形状になって表現されています。

 

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10:04 西原町公園近く

写真からは除いていますが、ポツンポツンと家屋が残っています。

 

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10:06 富士見通りより一本北側の路地

JR南武線を越えるためのアプローチ部分です。

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10:18 国立府中インター入口交差点から事業計画地を望む

国立府中インター入口交差点に到着しました。
都道14号線としては、事業計画区間も含め、ここが終点になります。
歩道橋の上から、事業計画地を望みます。

東八道路は「東京八王子線」として、この先、国道20号線日野バイパスを抜け、圏央道の高尾山ICにまで至る都市計画道路です。この計画自体は、昭和21年(1946年)に決定したとのことで、70年以上経った今もなお継続中の壮大な計画事業になっています。

 

ということで、本日のあるきろくはここまで。

スマートウォッチの計測によると、
 時間 : およそ4時間半
 歩数 : およそ36,000歩
 距離 : 25km弱
でした。

 

次は、都道15号線をあるきます。
先ほど交差した際にも記しましたが、旧甲州街道上にある府中市の八幡宿交差点から、清瀬市に向けてあるきます。