あるきろく20210308
2021年3月8日 あるきろく 都道をあるく(第17回)
緊急事態宣言、延長です。
先週土曜日は仕事で新宿にいましたが、昼間も夜も相当数の人出でした。
明らかに多いぞ!と思えるくらい。
暖かかったですし、みんな我慢できなくなっているんでしょうね…。
そんな土曜日とは一転、冬のような寒さの月曜日、今回は都道19号町田調布線をあるきます。
前回のあるきろく20200121、都道18号府中町田線をあるく中で通った交差点です。
今回の下調べもあり、11:04から11:10にかけてこの辺りをうろうろしました。
今回の写真は、11:10撮影の写真と同じように撮ったつもりでしたが、撮影ポイントが少しずれていたみたいです。
まぁ、それは置いておき、スタートです。
前回あるきろく20210121において、予習済みの0.2kmポストです。
11:06に撮影した写真と比較すると、今日の天気の悪さが際立ちます。
0.2kmポストに続き、0.3kmポストも無残な状態を晒していました。
0.4kmポストは無事でした。
無事ではありましたが、頭頂部しか見えておらず、役割を果たし切れていません。
ここまで埋まらないと生き残れない、距離ポストにとっては難儀な路線のようです。
この少し手前から、進行方向の歩道も分離歩道となり、身の危険を感じずにあるくことができるようになりました。
そしてこの交差点に、ヘキサ標識のお出ましです。
0.5kmポストは見当たらず、そして0.6kmポストでやっと距離を確認できました。
が、この距離ポストも、尋常ではない汚れ様。
やはり、この路線の距離ポストは何かが違う…。
ここで右折すると、鶴川駅の東側を抜けてTBSの緑山スタジオ、そしてこどもの国へと向かいます。
真っ直ぐ進むと、丘の上の住宅街へ。
あるきろくは、標識の通り、調布へ向かうべく左折します。
真光寺十字路交差点を左折し、すぐにヘキサを発見。
そこそこいいペースで出てきます。
X字型の交差点です。
この辺りから、坂の勾配がきつくなります。
この坂を上り切ったところが、神奈川県との都県境となります。
ほぼ坂を上り切ったところにあった2.5kmポストです。
草に埋もれていたので、手でかき分けての撮影です。
坂を上り切ったところ、つまり丘陵の尾根に当たる位置で都県境を跨ぎます。
この辺りは再び、分離歩道ではなくなり、また車道も狭くなり、そこそこ危険な環境での歩行となります。
神奈川県に入ると同時に、結構な高低差を蛇行しながら下っていきます。
その途中で見える風景は、小学5・6年生の頃(35年くらい前)に見た、自転車で遠出してこの辺りまで来たときと変わらない風景です。
坂を下り切り、街の雰囲気が戻るや否や、小田急多摩線をくぐります。
新百合ヶ丘からやってきた小田急多摩線と、調布からやってきた京王相模原線は、この辺りでその間隔を急激に狭め、それぞれこの先のトンネルを越えると、多摩ニュータウン内では完全に並行します。
この辺りの線形を地図で見ると、ダウジングのロッドのよう…?
東京都に戻りました。
今回注意すべきは、神奈川県を跨ぐときの距離ポストが どうなっているのか、です。
次に現れる距離ポストの表示が見ものです。
この写真では、右から左へとあるいています。
奥に走る道は、つい最近できた道です。まだ走ったことはありません。
どこにつながる道なのか、とこの作業をしながら地図を見たら、新百合ヶ丘駅のすぐ近くではないですか。驚きました。
この辺りも拡幅するんですね。
この辺りはそれほど混雑するイメージがないのですが、やはり通勤時間帯には動かなくなるのでしょうかね?
神奈川県に入る寸前の距離ポストは2.5kmでしたので、県境あたりで2.6~2.7kmくらいでしょうか。
東京都に戻ってから、ここまで8分あるきました。
時速5kmであるけば、650~700mくらいですね。
足し算すると、ぴったりですね。
これで、前回都道18号線をあるいた際に気付いた都道・県道3号線の距離ポストの???が解明できました。
3.4kmポストと思われます。
この都道19号線では、距離ポストがどうも大切に扱われていないような気がします。
東京都に入って10分ほどあるいてからの「県境」です。
どういうことか、古地図を見て考えてみました。
鶴川街道は昔から三沢川に寄り添っていました。
調布寄りから、この三沢川に沿って集落が点在していましたが、このバス停がある辺りの集落を越えると、先程通ってきた黒川交差点の辺りまで集落がなかった様子。
ということで、この集落が都内最後の集落であることから県境に当たる、として、地名とは別に「県境」という呼び名が根付いてきた?という説を提案します。
3.8kmポストは、一歩下がって都道19号線を見守っていました。
本日3本目のヘキサです。
分離歩道ではなく、よって距離ポストも路傍の斜面に立っていました。
タイミングよく貨物列車が走ってきたので、慌てて撮影を試みたのですが、かろうじて最後の数両のコンテナのみ捉えることができました。
この路線は、多摩川以南はほとんどがトンネルとのことなので、こうやって地上(というか高架)を走るのを見られたことを幸運に思います(少し大げさ)。
高架下で距離ポストの残骸を発見しました。
これがまた、昨日今日破壊されたような感じで、破片が飛び散っているのです。
本当にこの都道19号線の距離ポストは、可哀そうです。
真っ直ぐ行きたい…けど、右側の幅広の道には「19」の数字輝く標識が見える。
この辺りは、新旧の道が、本線・支線として入り乱れています。
これまでも基本線は本線をあるいてきましたが、ここではどちらが本線なのか?
ここは一旦、右側の幅広道路を進むことにします。
左も右も19号です。
左は南多摩尾根幹線道路、右は鶴川街道。
路線名称は異なるも、19号線が入り乱れています。
神王橋からここまで数百mですが、17分かかりました。
途中に某CVSがあるのですが、やはりどれが本線か、支線かを調べようと、雨宿りがてら、そのCVSの軒下をお借りして検索しました。
ありがたいことに、このCVSではWi-fiが飛んでいるのですが、さっさと都道検索システムで調べたいのに、スマホがこのWi-fiにつながりたくてつながりたくて、肝心の都道検索システムに辿り着かず。
軒下で、10分以上過ごしてしまいました。
で、やはり神王橋からの真っ直ぐ旧道(っぽい道)を進むべきと、一旦神王橋へ戻ります。
旧道風情の道を改めて進むことにします。
やはり、こちらを進んで正解でした。
こちらが今もなお本線のようです。
ATMが大変なことになっている某銀行を正面に、幅広い道路を横断します。
横断しながら左に目をやると、南多摩尾根幹線道路がここから始まらんと大きくアピールしています。
少し回り道をしましたが、先ほど一度訪れた交差点を再訪です。
鶴川街道である19号線を進みます。
ここでもまた、直進も19号、左へ入るも19号、というポイントに来ました。
左に入る道が「旧」鶴川街道とありますので、こちらが本線、直進がバイパス支線とみて、左側へ進みます。
もちろん無いよりはある方がよいのですが、ものすごい設置の仕方だと思いました。
左右に交差する道も、19号線です。
先ほど直進したバイパス道と川崎街道を越えて稲城大橋とを結ぶ支線です。
もしかしたらと、横断歩道辺りを見回してみると、素敵なものを発見。
ここまで虐げられてきた距離ポストですが、なんと、こんなに文字がくっきりと見える状態で発見できました。
「あるきろく20200823」10:53東長沼陸橋交差点で、その終点ポストと出会いましたが、ここが始点ということです。
そしてその終点は、実はすぐそこに見えるのでした。
なぜか7.7kmポストだけきれいな状態を維持していました。
というより、最近埋めなおされたのでしょうか?
ここから矢野口交差点までの20mくらいでしょうか、川崎街道との重複です。
川崎街道と直交する鶴川街道ですが、右側は途中で分かれたバイパス道で、左側が多摩川を渡っての調布方面です。
当然ですが、ここから左方向、調布に向かって進んでいきます。
この交差点名称から察するに、交差する品川通りの方が「格」が上ということなのでしょう。
この品川通りは、古代の武蔵国の国府であった府中から、品川を目指す道として成立していたようで、江戸時代に整備されたとされる甲州街道よりも古くから存在するようです。
鶴川街道の成り立ちは分かりませんが、品川通りが圧倒的に強いことには変わりないようです。
旧甲州街道交点の下石原一丁目交差点です。
ここは、あるきろく20200924において、都道12号線および「武蔵境通り」の起点探しとして、最初に立ち寄った地点です。
ゴミ収集車の後方は空き地でした。
一応、終点に到着しました。
が、wikipediaではこの都道19号線を、ひとつ前の交差点下石原一丁目交差点から都道11
9号との重複により小島町一丁目交差点まで行き、そこからは都道12号線との重複となり、甲州街道交点を終点とする記載がありました。
そう長い距離ではないので、そのルートも辿ることにしました。
少なくとも、あるき漏れの無いようにぐるりと周遊してみました。
そんなこんなで、今回のあるきろくはこれまで。
スマートウォッチの計測では、
時間 3時間10分
歩数 約19,700歩
距離 約14km
でした。
さて次回は、東京都道20号・神奈川県道525号府中相模原線をあるきます。
この路線が、自分の実生活に一番馴染みのあるものであり、また、何回かのあるきろくの中で、すでにほぼほぼあるいているコースとなります。
「あるきろく20200113」12:56に撮影して、掲載していました。