あるきろく 〜お散歩日記〜

48歳おじさんの歩き録です

あるきろく20220619

 

2022年6月19日 あるきろく 都道をあるく(第35回)

 

中2日で、この6月3度目となるあるきろく。
前回とは異なり、暑い夏空に迎えられた朝です。
まだ6月ですが…。

 

今回は、東京都道・埼玉県道49号足立越谷線をあるきます。

 

7:32 国道4号との分岐ポイント

足立区西保木間という住所において、国道4号線と分岐する形で、東京都道・埼玉県道49号足立越谷線はスタートします。
国道4号線は一般的には日光街道と呼ばれ、ここでも頭上を越える大道路ですが、最寄り駅である東武スカイツリーライン竹ノ塚駅からここまでは、庶民的な雰囲気漂う日光街道の旧道をなぞりながら到達しました。
矢印看板は否が応でも視界に入りますが、まずは起点ポストを探しましょう。

 

7:33 0kmポスト

国道4号線を見送った後、人間で言えば股間から太ももに握り拳一つ分くらいの位置に距離ポストがありました。数字は「0」。本日のあるきろく、ここがスタート地点となります。

 

7:37 はや都県境です

距離ポストが表れましたが、何と黄色。
過去には所沢市内でみた距離ポストが黄色でした。浦和市内でも見ましたね。
数は多くありませんが、埼玉県の距離ポストは黄色の認識です。
他には、檜原村でみた距離ポストにも、いくつか黄色がありました。
でも、東京都内の距離ポストは、基本的には青色のはずです。
ですが、すでに黄色。もう埼玉県に入ってしまったか?と思いましたが、このポストの位置はまだ東京都。数m先の川を渡る最中に、埼玉県に入ります。頭上の看板も、川を渡った先で「埼玉県 草加市」の表示です。
距離ポストの色はさておき、スタートから数百mのみで埼玉県に突入です。

 

7:42 谷塚駅近く

今回の行程は、東武スカイツリーラインに沿って、となります。
竹ノ塚駅から起点ポストまでは20分程度あるきましたが、谷塚駅は、交差点から見える位置に駅舎がありました。

 

7:53 ヘキサ第1号

本日のヘキサ第1号です。
本日はゴールするまでに、何本のヘキサに出会えるでしょうか?
ヘキサも気になりますが、それ以上に気になることがありました。
企業広告であるので大きく写真を撮ることは控えましたが、この辺りの電柱のすべてに、とあるおせんべい屋さんの看板が掛けられていました。
ここは草加市。そうか!草加せんべいの広告か!!

 

7:56 今様草加宿 標柱

ここで、Y字に道が分かれます。
左手に進む道が日光街道の旧道であり、また草加宿の入口としての表示でしょうか、「今様草加宿」と記載の標柱が立っておりました。

 

8:01 草加駅近く

次の交差点を左折すると、そこに草加駅があります。
谷塚駅から草加駅まで、およそ20分の距離でした。

 

8:12 松尾芭蕉翁像と河合曾良像とせんべい発祥の地碑

おせん公園という名の公園です。
それほど大きな公園ではありませんが、情報量がものすごく多いです。
まず、松尾芭蕉河合曾良は、奥の細道への歩みでここ草加を訪れたことを表現したものとのこと。
せんべい発祥の地碑は、草加せんべいの本家本元を全国にPRする目的で、建立されたそうです。驚くべきは、「『草加煎餅協同組合』と『草加地区手焼煎餅協同組合』の2つのせんべい組合が、市民から募金を募って」ということ。草加という特定の地域内にですら2つの協同組合があったんですね。

 

8:15 谷古宇橋

右側に流れる綾瀬川との間に、立派な松の木が並んでいます。
その並びの中に、観光地でしか見たことのないような、アーティスティックな木造橋が表れました。
圧巻です。

 

8:17 色剥げの距離ポスト

谷古宇橋の交差点脇にありましたが、元が黄色であったこと以外、何も分からないほどに傷んでいます。

 

8:18 圧巻の松並木

この松並木を見て、初めて気づきました。
東武伊勢崎線松原団地駅の「松原」って、これか!
漠然と眺めるだけではダメですね。文字にはやはり意味があるのです。

 

8:19 ヘキサ第2号

緑色に青いヘキサは映えますね。
本日2本目のヘキサです。
ここは草加市栄町。

 

8:23 獨協大学前駅近く

そうか!(今回2度目!)名前変わったのか!!
頭上の標識には、明らかに上から貼りましたよ的な感じで、獨協大学駅前の名称が見えました。もちろん、その下には松原団地駅の名前が隠れているわけで。
ちなみに、松原団地駅は1962年12月に開業し、2017年4月に獨協大学前駅に改称された、とのことです。

 

8:24 草加松原

獨協大学前駅への改称により、「大学のあるまち」として地域のイメージアップにつなげるとともに、草加松原を、「おくのほそ道の風景地」として名勝地・観光地化PRすることも含んで副駅名としました。
これにより駅名表示は、「獨協大学前〈草加松原〉」となっています。

 

8:30 外環道と交差します

頭上を東京外環自動車道が越えていきます。
この辺りで、少しだけ松並木が寂しくなってきたような気がします。
もう終わりでしょうか?

 

8:36 新田駅近く

獨協大学前駅から13分程度で、新田駅近くまでやってきました。
なお、「ニッタ」ではなく「シンデン」とのことです。

 

8:40 ヘキサ第3号

ヘキサ第3号に出会いました。
ここは、草加市金明町。

 

8:42 綾瀬川を渡る

綾瀬川を渡ります。
橋にも、地図にも橋の名称記載が見当たりません。
名もなき橋ですか?
端を渡るとそこは越谷市

 

8:51 蒲生駅近く

新田駅から15分、蒲生駅近くまでやってきました。
あらためて地図を眺めてみると、この辺りの地名は面白いですね。
蒲生に始まり、蒲生茜町、蒲生旭町、蒲生愛宕町、蒲生寿町、蒲生西町、蒲生東町、蒲生本町、蒲生南町と、蒲生づくし、蒲生祭りです。
どうしてこうなったのか、については、これから調べてみようと思います。

 

8:51 ヘキサ第4号

前の写真にもチラッと写り込んでいますが、ここでヘキサ第4号です。
ここは、越谷市蒲生寿町。

 

9:01 南越谷駅近く

正面にガードが見えてきました。
頭上の標識には南越谷駅の文字。
少し待つと、JR武蔵野線の旅客列車と貨物列車とが通り過ぎました。
皆さんご存知の通り、JR武蔵野線と交差する東武鉄道の駅名は、何故だか同一名称にはしていません。
ということで、双方が交差する位置にある、東武鉄道の駅は新越谷駅となります。

 

9:02 ヘキサ第5号

そのガードに近付くと、ヘキサが表れました。
本日5本目ですが、4本目まで記載のあった住所表記がありませんでした。

 

9:11 ヘキサ第6号

ヘキサ、本日6本目です。
ここでは再び、住所表記が復活しました。
ここは、越谷市瓦曽根。

 

9:17 越谷駅近く

道路脇の建物などを見ると、南越谷(新越谷)駅近辺の方が栄えている雰囲気ですが、越谷市の中心はどこですか?と聞かれたら誰もが越谷駅の辺り、と答えそうな雰囲気です。
はい、すべて雰囲気で話をしていますが、実際に行ってみると、その雰囲気を感じていただけるのではないか、と思います。
で、実際のところはどうなのでしょう?
古地図で、以前の市街地形成を調べてみようと思います。

 

9:23 距離ポストコレクション

アスファルトが後から盛られて、根元が埋まってしまいました。

 

9:26 続・距離ポストコレクション

東京都の距離ポストは、設置位置がある程度一定ですが、埼玉県は本当にいろんなところにあります。そもそも数もまばらですが…。

 

9:28 元荒川橋

元荒川にかかる元荒川橋です。
名前の通り、もともとは荒川の本流だったようですが、治水のため江戸時代初期に流路の付け替えがされ、現在に至るようです。

 

9:35 北越谷駅近く

南越谷(新越谷)・越谷ときて北越谷です。
多摩地区の住人としては、年に何回かだけ見かける東京メトロ日比谷線の行き先に、その駅名があることくらいでしか認識がないところです。
今日は、だいぶ遠くまでやってきたな、という感覚です。

 

9:42 ヘキサ第7号

前回のあるきろく20220616では、神奈川県内で6本のヘキサにお目にかかりましたが、今回はその本数を超えました。
これまでに最も本数が多かった都道(県道)は何号線だったか?振り返って整理しなくてはダメですね…。
ここは、越谷市大房。

 

9:51 ヘキサ第8号

一本の支柱にたくさんの看板がかかっているように見えますが、歩行者専用を示す標識は別の支柱で、その陰にヘキサがあります。
ここは、越谷市大里。

 

9:55 どれをとっても国道4号線

この先の交差点が終点、というニオイが漂ってきます。
左も右も、そして直進方向もすべての表示が国道4号線

 

9:58 下間久里交差点

左右に走る大きな通りは国道4号線
そして直進方向も国道4号線です。
今更ですが、もともとはここまでの東京都道・埼玉県道49号足立越谷線が旧国道4号であり、この先直進方向は、ここで左右に交差する新国道4号ともいえる草加バイパスが完成したのちも、ここまでの東京都道・埼玉県道49号足立越谷線とは違い、国道として生き永らえている、ということのようです。

 

ということで、本日のあるきろくはここまで。

 

時間:およそ2時間30分

歩数:およそ15,700歩

距離:およそ13km

 

でした。

 

 

さて次回は、東京都道・千葉県道50号東京市川線をあるきます。
「48」号以降、しばらくは都県跨ぎの路線が続きます。
次も、東京東部から東方向、ということで、少しだけ行き来が大変ですが頑張ります。