あるきろく 20210121
2021年1月21日 あるきろく 都道をあるく(第16回)
新たな年を迎えました。
とはいえ、すでに3週間も経ちましたので、おめでたい雰囲気が残っているわけでもないですが。
また、新年早々に、緊急事態宣言が再び発出され、この先の不安ばかりが脳裡によぎる今日この頃です。
さて、そんな丑年のあるき初めをすることにいたします。
今回は、東京都道18号府中町田線をあるきます。
あるきろくでは毎度おなじみの府中市役所前交差点です。
・都道229号府中調布線(旧甲州街道)
・埼玉県道・東京都道17号所沢府中線(府中街道)終点
・神奈川県道・東京都道9号川崎府中線(府中街道)終点
の交点でもあります。
そして本日あるく
・都道18号府中町田線(鎌倉街道)
と次の次にあるく
・都道20号府中相模原線
は、ここから数百メートルを神奈川県道・東京都道9号線との重用区間として南下します。
これだけの多くの路線が集まるものすごい交差点です。
ということで、本日もスタートします。
早速ですが、起点ポストらしきものは見当たらず…。
いまはラ◯ンド◯ン、むかしはイ◯ー◯ー◯ドーだった建物を右手に、右折方向は鎌倉街道、の標識です。
逆光でほとんど見えませんが。
数百メートル、時間にして5分程度でしたが、共に歩んできた都道9号線とお別れし、西に向きを変えて進むことになります。
府中本町駅入口交差点の目の前には、大きな広場があります。
駅と大國魂神社との間に位置するこの地には、西暦700年頃に、武蔵国司の館が存在したとのことです。
富士山を望むことのできるこの土地に、次は西暦1600年前後、徳川家康が府中御殿を築き、3代将軍家光の頃まで、鷹狩や鮎漁に際し、休憩や宿泊をしたそうです。
本日も起点ポストは見当たりませんでしたが、武蔵国府跡に面した辺りに本日最初の距離ポストを発見しました。
府中市役所交差点からの距離ですね、これは。
重用区間のある都道における距離ポストの設置基準はどうなっているのでしょうか?
あるきろく20201231②では、埼玉県道・東京都道17号所沢府中線をあるきました。
この路線は都道5号新宿青梅線より北の部分で、東京都道・埼玉県道16号線との重用区間です。
17号線では、16号線と分かれたあと、小川町東交差点から南下して初めて、0.2kmポストが出現しました。
そういえば5号線においても、4号線と分かれる田無一丁目交差点に起点ポスト、でしたね。
今後の研究課題とします。
JR南武線、JR武蔵野線の乗換駅で、東京競馬場の最寄駅の一つでもある府中本町駅です。
上記の旅客線に加え、貨物線にとっても重要なポイントということで、路線数の割に駅が広く、また構造が複雑です。
南武線上り(川崎方面)ホームを始めて使う人は、絶対泣きたくなるだろうな、と思います。
その昔、多摩川の砂利採取を目的とする鉄道がこの地を走っていました。
この路線をベースに、中央本線の支線として「国分寺ー東京競馬場前」が開業していましたが、武蔵野線の開通時に、その路線の大半が武蔵野線に編入されました。
北府中駅から南の部分、多摩川に伸びる路線は貨物線として残りましたが、これもいずれ廃止となり、その跡地がこの下河原緑道として整備されました。
最初の1kmは15分でした。
あるきろくとしてはだいぶスローペースです。
下河原緑道は、はじめは通り過ぎたのですが、思い返して戻っての撮影をしたり、そもそも距離の割に撮影数も多い、ということで時間がかかりました。
ゆっくりと、と思う気持ちもありつつ、時間には限りもありますので、ここからはスピードアップしていこうと思うのでした。
分倍河原駅のホームがチラッと見える位置で、京王線をくぐります。
本日も、スタート地点に向かう際、お世話になりました。
中央自動車道をくぐります。
道路であることが分かりやすいよう、車が通るタイミングで写真を撮ろうと思ったのですが、これがなかなか来ない。
平日の9時頃、手前側は都心に向かう車線なので、もっと頻繁に通り過ぎるはずなのに、と思いながら、タイミングを待ったのでした。
ここまで片側一車線の都道18号線でしたが、ここで大きな通りに合流します。
ここを右折すると(ただし、自動車にとっては左折専用の交差点です)、都道17号線バイパスの新府中街道です。
この通りを北上すると、国道20号線(甲州街道)と交差(☞あるきろく20200113)し、その先で都道14号新宿国立線と交差(☞あるきろく20201108)します。
いま京王線では、区部で高架化の工事に取り掛かりつつありますが、この中河原駅は昭和49年に高架化されました。
おじさんと同い年の高架後中河原駅です。
数年前から大絶賛工事中の関戸橋です。
架け替え中の橋は、1937年(昭和12年)に架橋されたもので、長さ375.8m、8m幅の13径間ゲルバーRCT桁橋とのことです。「ゲルバー」と書きましたが、全くそれが何なのか分かりませんが、欄干部分に意匠細工がされていたのは記憶にあります。
2015年に仮設橋の設置工事が始まりましたが、すべての工程が終わるまで16年、あと10年かかる工事だそうです。
関戸橋の真ん中あたりでの撮影です。
これからあるいてく方向、そして少し上流よりを向いて写しました。
上流方向に見える橋は、京王線の多摩川橋梁です。
このあたりで、府中市から多摩市に入ります。
もう少しで新大栗橋交差点ですが、直進方向は都道18号府中町田線、左折方向は都道41号稲城日野線バイパス、右折方向は都道20号府中相模原線です。
都道18号線と都道20号線は府中市役所前交差点からここまでが重用区間。
ここで都道20号線は都道18号線と分かれ、今度は都道41号線と少しの間重用区間として進みます。
新大栗橋交差点のすぐ手前に3.9kmポストがあります。
1枚目は横断歩道を渡る前の写真。
2枚目は横断歩道を渡ってから、振り返っての写真。
3枚目は交差する川崎街道の標識を大きく写した写真。
1枚目の写真において、右側に建つビルに、大きな広告懸垂幕があります。
何年位前からですかね、ここに吊るされるようになったのは。
とてもインパクトの強い、しかし誰をターゲットにした広告なのか、いまいち掴めない不思議な懸垂幕なのです。
なお、この新大栗橋交差点は、あるきろく20200828番外編において「ねずみ男の頭頂部」と表現しています。
交差点を過ぎてすぐ、本日初めてのヘキサ標識がありました。
この後、何本のヘキサに会うことができるでしょうか?
先ほどの3.9kmポストから、交差点を渡った先の歩道橋の下、1kmおきの三面距離ポストの足元だけが残っていました。
車がぶつかったのかな?
でもガードレールは別に曲がっていないし、どうしたのでしょうね。
新大栗橋で都道18号線から分かれた都道20号線は、ここで4kmポストです。
この写真は、あるきろく20200826番外編に掲載しましたが、あるきろくをしていなければ、永遠に距離ポストの存在を知らないままにいたんだろうな…と、この時感じた次第です。
早速、本日2本目のヘキサに出会いました。
と書きましたが、ここにヘキサがあるのは知っておりましたので、これといった感慨はありません。
植え込みに隠れる5kmポストです。
歩道側からはこんな感じですが、車で通るときにははっきりと見えます。
さて、今あるいている鎌倉街道は、多摩ニュータウンの開発に合わせて敷設された新しい道路です。
今は直線化された乞田川ですが、その昔、この辺りでは蛇行しており、その面影として、新大栗橋とヘキサ2号の少し手前の行幸橋との間は、スープ皿のように凹んでいます。
この通りが敷設されるまでの、鎌倉街道としてのメインストリートは、ガソリンスタンドの向こうに見える家々と、さらにその奥に見える木々の間に走っています。
ここには史跡などもあり、その歴史を語ってくれています。
早々とヘキサ第3号です。
諏訪下橋バス停の脇に立っています。
続々と出現のヘキサ標識です。
東京都道・神奈川県道2号線(☞あるきろく20200215)の終端部と比べ、どちらがお祭り度合いが強いでしょうか?
都道18号線は、この乞田新大橋交差点で左折し、方向を南に変えます。
真っ直ぐ進む道は、ここから都道158号小山乞田線、名称「多摩ニュータウン通り」に変わります。
先ほど記した旧来の鎌倉街道は、多摩市役所前を通り、ここで右折した先にある乞田交差点から一方通行の路地に入り2枚目写真の鉄塔の手前に出てきます。そして、多摩ニュータウン通りを横切り、マ◯ドナ◯ドの裏手を通り抜けていきます。
乞田新大橋交差点を左折すると、乞田川を渡る手前にヘキサ標識と京王バス「大橋」バス停と6.1kmポストが3点セットで鎮座しています。
ヘキサは新大栗橋交差点からの2km余りで、もう5本です。
大漁、大漁!
永山から多摩センターに向かって並走する2つの高架をくぐります。
永山と貝取を結ぶさんかく橋です。
多摩ニュータウンは歩車分離の街で、東は聖ヶ丘(だったはず)から西は鶴牧(だったはず)まで、車道を一歩もあるくことなく移動ができる安全な環境です。
そして、さんかく橋の手前には、7本目のヘキサ。
ご存じの通り、多摩ニュータウンは多摩丘陵を切り拓いて建設された街です。
丘に当たる部分に住宅が立ち並び、谷の部分を幹線道路が走ります。
この都道18号線も、永山と貝取の間の谷を走り抜けるわけですが、イメージとしてはフラットな道であると、数年前まで思っていました。
が、大人になったからなのでしょうか、この数年でこの道のあまりの急坂加減に驚くようになりました。今日は、その道を上り続けています。
乞田新大橋と、この後到達する尾根幹線とで、標高はどれくらい異なるのでしょうか。
調べたことがないので、分かりませんが…。
名前の通り東西に走る尾根の上の道、南多摩尾根幹線道路です。
とてつもない幅の中央分離帯を挟んだ道のため、標識でもこんな感じの表示です。
ちなみに、「幻の」東京オリンピックでは、左から右(東から西)に向けて自転車が駆け抜ける予定でした。
「引き」の写真で見ても、地図で見てもお分かりのように、とてつもない幅の中央分離帯です。
皆さん、見えてますか?
この写真にはヘキサは1つだけではありません。
奥に止まっているトラックの荷台の上に、もう一つヘキサです。
3号線&11号線のようなお団子ヘキサはありましたが、ヘキサ密度という意味ではこれが最上級です。
マイホームタウンの多摩市を抜けて、町田市に突入します。
同じように感じている方は絶対に多いと思うのですが、隣り合っている市にもかかわらず、近くて遠い町田市、と昔から感じています。
モノレールは本当に町田まで建設されるのでしょうか?
尾根幹線からだいぶ坂道を下ってきました。
尾根幹線は、本当に尾根を走っていることが分かります。
さて、記念すべき(?)本日10本目のヘキサです。
4kmポストに続いての、破損ポストです。
「おそらく」とはしていますが、これが10㎞ポストです。
2005年に直進方向の綾部原トンネルが開通するまで、ここは丁字路。
全長410mの綾部原トンネルを抜けると、600mほどで新袋橋交差点に到着しますが、これからあるくルートでは、この3~4倍をあるくのではないかと思います。
頂点30度の二等辺三角形の底辺の一部が綾部原トンネル、という感じ。
小野路交差点を左折すると、今日ここまでにはなかった懐かしい雰囲気の景色を見ながらあるくことになります。なにをもって「懐かしい雰囲気」と言っているかは、分かりませんが…。
しばらくはお目にかかることのできなかった距離ポストですが、この11.1kmを皮切りに、再び定期的に出没してくれることになります。
都道18号線はもちろん直進方向ですが、一旦このY字路を左折してみます。
一旦都道18号線から外れ、そこそこ急な坂を上ります。
200mほど進んだところに、思惑通りの距離ポスト。もぎ取られてはいましたが…。
お気付きの通り、ここも都道。
しかも、ここは次回あるくべき東京都道・神奈川県道19号町田調布線です。
この起点が先程の井の花交差点です。
次回のスタート地点の確認をし、起点ポストがなかったので、最初の距離ポストを!ということで少し進んでみたのでした。
下調べ終了!!
先ほどの距離ポストから、ここまで220歩でした。
この写真でも、双方の高さの差が分かります。
さて、再び都道18号線を進むことにします。
大蔵交差点です。
二等辺三角形の頂点部分です。
真っ直ぐ進むと東京都道・神奈川県道57号相模原大蔵町線として、東京都道・神奈川県道3号世田谷町田線とぶつかる金井入口交差点へと至ります。
都道18号線はここで急角度で右折し、東京都道・神奈川県道57号線との重用区間となり、西へ進みます。
ここで12kmです。
今日はいつもより時間がかかっている感覚ですが、ここまでで2時間40分くらいですから、4.5km/hですね。
あるきろくのアベレージからすると、だいぶスローペースです。
小野路交差点から綾部原トンネルを抜けると、この交差点に辿り着きます。
まわりみちしたあるきろくは、時間にして35分、距離にして2.5kmくらいでした。
井の花交差点あたりで、少し時間を費やしはしましたが…。
なお、綾部原トンネルを抜けていたら、750mくらいのようなので8分くらいですかね。
一旦新袋橋まで行きましたが、綾部原トンネルを抜けてのバイパスになるので、旧来の鎌倉街道としての都道18号線をあるくべく、袋橋交差点へ少し戻ります。
この交差点から南方向へ向きを変えてあるいていきます。
ここで新袋橋からのバイパスと合流します。
ここからは、片側1車線の丘越えの道になります。
アグレッシブなリスさんたちが沢山のリス園です。
ミトングローブをはめて、その上にヒマワリの種を置いて、柵の辺りに手を差し出すと、それを掻っ攫っていくリスさん達。
最初のうちはかわいいと思っていたけれど、途中から少し怖くなるくらいのアグレッシブさ。
リス園とそのお向かいの薬師池公園の辺りは、小高い丘になっていて、また樹々も茂っていていましたが、坂を下り、空が広い場所に出ると、お久しぶりのヘキサに出会いました。
東京都道・神奈川県道2号東京丸子横浜線では、終盤に怒涛のヘキサ祭りとなりましたが、通算の数では、今日ほど多くはありませんでした。
11本目、レコードだと思います。
だいぶ拡幅工事も進捗したようですが、以前は車で通るたび、交通量の割に狭い道だな、と思っていましたので、やっと追いついた感じでしょうか。
左から来た東京都道・神奈川県道3号世田谷町田線と合流します。
あるきろく20200308でここを通っていますが、菅原神社交差点での写真はなし。
この時は、合流する手前10:12の写真をアップしていました。
あるきろく20200308当時は、ヘキサばかりに意識が行き、距離ポストを存在を知りませんでした。ということで、この距離ポストも初めて意識に刷り込まれたわけですが、16.3km地点ということです。
でも、あるきろく20200308では、スマートウォッチの計測では26.5kmあるいたことになっていますし、 数字が合いません…そうか!神奈川県道部分はしっかりと抜かれているわけですね!!
都県跨ぎの距離ポストの設置のされ方を、今後はもう少し注意深く観察することにします。
あるきろく20200308は雨でした。
途中、ビニール傘をさしながらあるきました。
この交差点を境にして、鎌倉街道の名称はそのままに、神奈川県道・東京都道52号相模原町田線になります。
つまり、都道18号線はここが終点、とのこと…です。
終点であろう周辺を見渡すも、都道18号線の終点を示すものはありませんでした。
ところが、1枚目の写真。
白い車の後ろの地面に距離ポストらしきものが見えました。
道路を渡って、2枚目の写真。
やっぱり距離ポストでした。
いつも通りに近づいて、3枚目の写真。
都道52号線の距離ポストでした。
ただし、こちらも終点を示す文字は入っていません。
あるくまえの下調べ(=wikipediaなどのネット、道路地図などでの確認作業)では、都道18号線、都道52号線ともに、この分岐付近を終点と認識していました。
が、いま(=この作業中)になり、少しモヤっとした感じがでてきました。
木曽団地東交差点のお知らせ看板に、都道府中町田線は「町田市旭町一丁目」を終点とする幹線道路、って書いてありますが、この交差点は「本町田」「旭町三丁目」「中町四丁目」を分ける地点であり、該当しないのです。「旭町一丁目」はこのままもう少し、先に進んだ地点でした。
もちろん、あるきろく20210121当日は、ここを終点という思い込みと、残念ながら先のお知らせ看板を読み込んでいなかったため、この先旭町一丁目までをあるき、確認をすることができませんでした…。
いつか再訪しての確認が必要です。
ということで、いまいち晴れない気分ではありますが、本日のあるきろくはここまで。
スマートウォッチの計測によると、
時間:3時間34分
歩数:およそ24,500歩
距離:およそ17.5km
でした。
次は、東京都道・神奈川県道19号町田調布線です。
今回通った、井の花交差点を起点に、あるきろく20200924の冒頭でも触れましたが、調布市の甲州街道との交点まであるきます。
ただ、この終点についても、調べるものによりいくつかの答えが出てくるので、実行するまでにもう少し調べておきたいと思います。
町田駅へ向かうついで、あるきろく20200308では探索しなかった距離ポストの所在を確認してみました。
まず一つ、16.7kmポストが埋まっていました。
都道3号線の終点、中町交番前交差点です。
都道47号線(町田街道)との交差点を越えた三角州のような場所に、距離ポストがありました。
これにも、終点の文字はありませんが…。