2024年10月27日 あるきろく 都道をあるく(第41回)
10月3回目のあるきろく。
今回は、あるきろくではお馴染みの所沢市金山町交差点から、村山貯水池を抜けて立川市に向かう、埼玉県道・東京都道55号所沢武蔵村山立川線をあるきます。
あるきろくのスタートに先立ち、本日は投票日でしたので、投票所に行ってきたわけです。
投票開始時刻は7時ですが、6時20分頃からここでその開始を待ちました。
ご存知の方も多いと思いますが、その日の最初の投票人には、投票開始前に投票箱が空っぽであることを、投票立会人とともに確認するセレモニーがあります。その権利をゲットすべく、早くから並んだ、というわけです。
おかげさまで、7月の東京都知事選挙に引き続き、この投票所での一番乗りを果たし、投票箱の底を眺めてきたのでした。
皆さんは投票に行きましたか?
あるきろくでは3回目の訪問でしょうか、多くの路線が交わる五叉路の交差点、金山町交差点です。
前回、前々回の様子を振り返ってみましょう。
あるきろく20201231は、16号線と17号線のダブルヘッダーでしたので、訪問回数としてはこれまでに2回、今回が3回目になります。
金山町交差点最寄りの西所沢駅を、踏切から覗きます。
西武池袋線から西武球場前に向かう路線が分岐する駅なので、広い島式ホームがあります。
本日のヘキサ1本目です。
ここは所沢市山口。
まだ新しい道路と交差をします。
埼玉県道4号東京所沢線のバイパスです。
南東方向はまだ車線のすべてを使い切っていないようですが、北西方向は丘を切り拓いて通した立派な道路に見えます。
そして今回、やっと理解ができたのですが、東京都道・埼玉県道4号東京所沢線には、このバイパス以外にも支線があるとのことでしたが、実は今回あるく埼玉県道・東京都道55号所沢武蔵村山立川線と、この岩崎交差点まで重用区間だったようです。
岩崎交差点を過ぎてすぐ、立派な構えの寺院がありました。
曹洞宗の寺院であり、平安時代末期から戦国時代にかけて武蔵武士の一員として活躍した山口氏の菩提寺として、室町時代初期に建立されたとされています。
「西武球場に向かう電車だ!」と見送ったあと、ガードの土台に貼り付けられた看板を見て一瞬考えました。
「西武狭山線?」
慌てて地図を確認しました。
ずっと路線名を意識なんてしていませんでしたが、西武球場前に向かう路線は、西武狭山線って名前だったんですね。
元は、現在は狭山湖底に沈んだ勝楽寺村にありましたが、山口貯水池が造られることにより昭和4年に、現在地に移されたとのことです。
下山口駅を少し越えたところで、19分振りのヘキサ。
ここは所沢市山口。
瑞岩寺で名前の出た山口氏によって築かれたとされる山口城です。
この城跡には石垣がなく、土塁の上に木や竹の柵を造り、幅が広く深い堀ををめぐらせて侵入者をふせいでいたそうです。
「中」氷川神社とされるのは、大宮にある「武蔵国一の宮氷川神社」と奥多摩にある「奥氷川神社」の間にあるためであり、この二社とともに「武蔵三氷川」と呼ばれ、さらに地理的に一直線に並び、本社・中社・奥社の関係になっている、とのことです。
緩やかな坂を上り始めたところでヘキサとご対面。
ここは所沢市上山口。
陽射しが眩しいベルーナドームです。
50歳おじさんにとっては「西武ライオンズ球場」の方がしっくりきます。
スタンドからも見える周辺の緑が、後楽園や神宮とは異なる趣を持っていて良かったんですけどね。
このタイプは初めて見ましたね。
これまでにも、旧字体で「埼玉縣」と書かれた石標はいくつも見てきましたが、頭にプレートが貼られていたものはありませんでした。
ここまで5km、55分であるいてきています。
ベルーナドームを過ぎて、坂道の勾配がよりきつくなってきました。
ここは所沢市上山口。
地図上では、多摩湖北交差点の少し手前(埼玉県寄り)に、都県境があるように見えるのですが、現地ではそのサインを見つけることができませんでした。
多摩湖北交差点を右折して進みます。
少し離れたところからでも目に入る五重の塔と、一際目立つ朱色の門。
五重の塔は千体観音堂とも呼ばれ、中には千体観音像が安置されているとのことです。
右折方向には狭山湖。
ここから先は、左に多摩湖(村山貯水池)、右に狭山湖(山口貯水池)の間を進んでいきます。
多摩湖のそばにあるので、文字は違えど「たまこ」神社と読むのかと思いきや、「たまのうみ」神社なのだそう。
この辺りは、道路が都県境になっています。
段差注意の看板は埼玉県管理。
道路脇のフェンスをみても、東大和市(東京都)でありながら道路管轄は所沢警察署となっています。
センターラインで管理者を分けるわけにもいかないですしね。
このヘキサも「埼玉県道」として立っています。
ここは所沢市勝楽寺(?)。
もう一回地図を見てみると、都県境は道路の南端に沿っているのかしら?道路はまるまる埼玉県内にある?
そうであるならば、ここまでの区間、管理が埼玉県側であったことに合点がいくのですが、でもここで東京都に入るとのこと。でも地図上の都県境(赤い線)はやはり同じ位置を辿っていますね。
東京都の距離ポストが登場しました。
先ほどの都県境看板付近で、起点ポストの有無を確認し忘れました...。
0.7kmポストから0.1kmごとに距離ポストが設置されていました。
「主37」とありますが、1994年に「55」に変更されたとのこと。
なお、0.1kmを何歩であるけるのか、久しぶりに計測。
以前に計測した時と変わらず、110歩でした。
距離ポストと戯れながら坂道を下り切ると、右手にかたくりの湯が見えました。
10年くらい前に一度だけですが、入浴したことがあります。
外観は何らか変わりなく、またコミュニティバスも来ていたので、普通に営業しているかと思ったら、2023年4月から休館中なんですってね。2023年度からの指定管理者に応募する事業者がなかったとのことですが、武蔵村山市は2025年度中の再開を目指しているとのこと。
いまは野山北公園自転車道の一部として活用されている横田トンネルです。
この自転車道はその昔、村山貯水池、山口貯水池の建設のため、羽村市の多摩川から砂利を運搬するために設けられた軽便鉄道の線路跡地です。
都道をあるき終えたら、このような線路跡地あるきもおもしろいでしょうね。
東京都道55号所沢武蔵村山立川線はここで左折し、わずかの区間ですが、青梅街道と重複して進みます。
青梅街道との重複はわずか300mほどで終わり、この市役所東交差点でお別れです。
東京都道55号所沢武蔵村山立川線は、ここから立川市に向かって南下していきます。
市役所東交差点を右折した東京都道55号線は、進行方向左側には歩道がありませんでした。
しかしながら、埋設式の距離ポストがしっかりと整備されていて、何か嬉しくなってしまったわけです。
こちらも東京都道5号新宿青梅線である新青梅街道との交差点です。
あるきろく20200321では青梅街道をあるき、バイパス的な性格の新青梅街道はあるいていませんので、この交差点はあるきろくではお初となります。
三本榎交差点を越えた先も、距離ポストがほぼほぼ設置されていました。
江戸街道との交差点です。
江戸街道というと至る所にありそうな名称ですが、ここはその昔「成木往還」と呼ばれ、青梅街道ができるまでは、成木や小木曽から築城用の石灰を江戸に運ぶ道として使われていたようです。
とにかく広大な敷地。
ゴールが近づいた気がします。
武蔵砂川駅の東側で踏切を渡ります。
一枚目が西向きで武蔵砂川駅方面、二枚目が東向きで玉川上水駅方面。
2つ続けて少しだけ上等(?)な距離ポスト。
金色ポストにお目にかかったのはいつ振りでしょうか?
玉川上水にかかる金比羅橋。
近くに金比羅山、金刀比羅神社がありますので、これらとセットしての命名でしょうか。
一般的には五日市街道として親しまれている、東京都道7号杉並あきる野線と合流しました。
今回の、埼玉県道・東京都道55号所沢武蔵村山立川線の終点です。
終点を示す距離ポストはありませんが、矢印標識が片方だけを向いています。
あるきろく20200723でここを通過した時は大雨でしたが、今日は心地よい秋晴れの下、無事にゴールしました。
ということで本日のあるきろくはここまで。
時間 : 2時間37分
距離 : 13.7km
歩数 : 約16,000歩
でした。
さて次回は、神奈川県道・東京都道56号目黒町町田線をあるきます。
「目黒町」とは何処だ?からのスタートです。