あるきろく20210814
2021年8月14日 あるきろく 都道をあるく(第25回)
酷暑の続く夏です。
しかし、この週の後半は気温が上がりません。
天気も悪いですが…。
今週は土日で休み、日差しが無くて気温は低い、体調はそこそこ。
さあ、最難関の山梨県道・東京都道33号上野原あきる野線に挑むことにします。
山梨県道・東京都道33号上野原あきる野線が、山梨県上野原市の国道20号線から分岐する地点です。
この分岐点ですがJR上野原駅から、階段、坂道を上り20分ほど歩いての到着です。
ここまでに、結構な体力消耗です。
そんなこんなで、また雨降る中をスタートです。
道端にまで建物が迫っていますが、その背丈は低いので、圧迫感はありません。
建物の合間からその向こうの通りが見えたり、これから向かう山並みが間近に見えます。
とても気持ちの良いスタートを切ることができました。
ここでY字路にあたります。
県道33号線は左側に進みます。
google mapでルート検索をすると、車であれば33号線を選ぶのですが、「徒歩」とすると右側の道を選択します。距離(道のり)が短いのでしょうか?
鶴川の谷を挟んで、この先棡原郵便局の先で合流します。
これから山越えをするというのに、先ほどの分岐からこの鏡渡橋まではずっと下り道。
昔は、川面まで下ってから渡って、そしてまた上って行ったのでしょうか。
さて、この鏡渡橋の手前に、交通表示がありましたが、ご時世柄、交通とは無縁の内容が表示されていました。
また、スタートからここまで距離ポストもヘキサもありませんでしたが、鏡渡橋を渡ったところにこんな表示が。これはなんだ?
あるき始めて26分にして、初めてヘキサにお目にかかりました。
それも上下線ともに同じ場所で初出です。
先ほど鏡渡橋で見かけた謎の表示は、「G」だけでなく「A」が登場しました。
欄干幾分くたびれた感じの棡原大橋です。
竣工が1974年とのことで、おじさんと同い年です。
棡原大橋を渡ってすぐ右手の広場に、「長寿村 棡原」なる碑が建っていました。
昭和43年、甲府市の医師と東北大学名誉教授の報告により、棡原村(当時)は、長寿村として脚光を浴びることになったそうです。
しかし、その報告からの十数年で、急速に短命化も起きたことも後に報告されているそうです。
車社会になり、山奥と市街地がつながるようになることで、生活習慣の変化が極端だったのかもしれませんね。
橋梁名を控えることを失念しました。
地図を見ても、川を渡らないためか(?)、橋梁名称が記載されていません。
左にそれる旧道を目で追ってみましたが、だいぶ自然に還ってしまったようです。
ここに限らず、このようなショートカット新道がこの後もいくつか存在します。
こうして写真で風景を見ると、だいぶ山中に入ってきたように思えますが、時間を見ると、まだ1時間も歩いていないんですね。
都県境である甲武トンネルまで3時間を見込んでいましたが、この辺りから雨も強くなるし、目の前の山々の背の高さに圧倒されて、結構しんどい気持ちで歩いておりました。
若干ではありますが、下り坂となったところで、3本目のヘキサです。
この下り坂の先で鶴川を渡りますが、地図でははっきりとは分からないものの、恐らくそこを底として、その後は上り続けるんだろうな。ずっと道がくねくねしているし。
ここで左折すると、多摩川源流にある人口684人の村(2020年10月現在)小菅村に向かいます。
上野原駅からここまであったバス停も、小菅村方面へとつながります。
つまり、これからあるく道には路線バスは走りません。
倒れたら、そこまでです…。
ここに学校ですか!と思いました。
最初は、学校の看板を見たとき、校舎らしきものが見えず、背後にある木造の建物が校舎なのか?と思いました。
数十メートル道を進むと、コンクリートの校舎が表れましたが、この記事を書くために学校のホームページを検索してみたら、残念なことに平成24年3月31日に閉校してしまったそうです。創立は、なんと明治7年3月11日、ということで138年もの歴史を誇る学校だったのですね。
棡原小学校からもさらに山を上りました。
そりゃ熊も出没するというものです。
「熊出没注意」のインパクトに負けてしまっていますが、ヘキサがひっそりと立っていました。
ここは、急な斜面に数件の人家がありましたが、写真に見えるカーブを左に曲がると、檜原村の秋川沿いに下りるまで、廃屋も含めて何にもありませんでした。
もともと甲武トンネルから先の方が距離があることは分かっていることですが、でも、ここまでの体力&気持ちのすり減り具合から、この23kmは結構つらいものでした。
見えた…。
さようなら、山梨県。
やっと到着しました甲武トンネル。
3時間近くはかかるかと見込んでいましたが、2時間弱で到達できました。
でも地図で見る限り、ここまでの道のりと、檜原村役場までが同じくらいの距離感でしょうか。その先、武蔵五日市駅はまだまだ遠いです。
でも、多分上り道はこれでおしまい。気分を少し楽に、下っていくことにしましょう。
その前に、少し休憩して糖分、塩分、水分の補給です。
汗もたくさんかいたので、Tシャツも着替えます。
休憩を取る前に、トンネルの調査です。
トンネルの長さは954m、そのうち山梨県部分が399m。
そして足元に見える、東京都で良く見る距離ポストっぽいもの…「0.4km」!
写真には収めませんでしたが、この後「0.2km」「0.1km」も埋まっていました。
歩道が整備されているので、安全と言えば安全なのですが、それでもところどころ照明は消えているし、トンネル壁の下から歩道に土砂が流れ込んでいたり、やはりここをあるくことはおすすめしません(笑)。
で、そんな暗闇の中、都県境看板は容易に見つけられましたが、起点ポストも何とか見逃すことなく無事に撮影できました。
これだけで、だいぶ気持ちにゆとりができて、頑張ろうという気持ちになるから不思議です。
では、残り550mほどのトンネルから、早く脱出しましょう。
すぐ目の前に、栗坂トンネルが見えます。
知る人ぞ知る、山奥のヘリポートです。
この角度では分かりづらいですが、Google Earthで見ると「○にH」が良く見えます。
甲武トンネルと栗坂トンネルの間、ヘリポートの向かい側にあった距離ポストです。
これまでは、必ずと言っていいほどに、距離ポストは基点から終点に向かって左側の車線(歩道)にあるものでした。
ここでは、0.6kmポストが道路右側に出現です。
栗坂トンネルは209mとのことですが、ここで気になるのは、この栗坂トンネルと甲武トンネルの完成年月(?)が異なることです。
栗坂トンネルは1985年3月、甲武トンネルは1988年10月とあります。
栗坂トンネル完成以後、甲武トンネル完成以前は、この道はどのようになっていたのでしょうか?
甲武トンネルと栗坂トンネルの間で見つけた0.6kmポストから、12分しか歩いていないのに、なんと27.6kmの表示です。
いろいろな変遷があって、もしかしたら昔の基準に沿ったものかもしれませんが、どこからの距離になるんでしょうか?気になります。
ヘアピンカーブをいくつも経て、だいぶ傾斜が緩やかになったところで、道路の分岐を表す標識です。
左に進むと、数馬を経て都民の森に向かう檜原街道、右に進むと、檜原村役場を通って五日市。今回は、もちろん右に向かいます。
再び路線バスが走る通りに出ました。
仮にケガをしても、何とか帰宅はできそうです。
さて、ちょうど交差点に距離ポストがありました。
数字がはっきり見えませんが、3.2kmと思われます。
では、ここからは秋川の流れに沿って進みます。
時刻表を見たら、2時間に1本程度でした。
やはり、簡単にはリタイアできません。
あるきはじめて3時間ちょっと経ちました。
残りの距離を見ると、この辺りが本日の中間地点になるでしょうか。
ここを始めに、檜原村内ではこの黄色いポストが点在していました。
形はいつも見ている距離ポストと同じ。
色合いも含め、まるで東京都道・埼玉県道16号立川所沢線(→あるきろく20201231)で見たものと同じです。
数字はきれいに読み取れず、これは何を意味するのは不明です。
南郷という地区をあるいています。
ここで写真を撮ったのは、あるものを久し振りに見かけたからです。
それは自動販売機。
棡原小学校で見た壊れた自動販売機以来です。
稼働している自動販売機を最後に見たのはどこだっただろうか、記憶にありません。
五日市もそうですが、檜原市街(村役場あたり?)までもまだ6kmあります。
1時間強かかるかな?
上野原市内にはいくつもありましたが、檜原村でも、川の流れに沿った旧道から、橋を渡した直線化した道路がありました。
災害発生時などのことを考えると必要なんだろうな、と思う一方で、日常生活の中での必要性から見る費用対効果ってどうなんだろう?と考えさせられます。
ここで秋川同士が合流します。
ここまで一緒にあるいてきたのが南秋川。
ここで合流するのが北秋川。
北秋川に沿って都道205号水根本宿線が通っています。
この道は、奥多摩町を起点として山の中を通り、この交差点を終点とするようです。
見つけた終点ポストには、21.96kmの表記。
距離だけではそうでもないですが、場所を考えると歩くには勇気が要ります。
橘橋交差点を右折してすぐ、檜原村役場があり、そのまえに本宿役場前バス停がありました。
ここからは、1時間に1、2本のバスがあります。
もう倒れても大丈夫です。
やはり市村境は人気のない環境でした。
甲州道中でも多くの馬頭観音を見てきましたが、それが何なのか、あまり考えずにいました。
ここでは、その馬頭観音の損傷により、途端に自動車事故が増えた、ということなので、今の時代にもなおそれが残るということは、そういうことなのですね。
いかにもオカルト的ですが…。
残りの距離がこのくらいになると、もう安心です。
あと1時間程度の頑張りです。
ラストスパートしましょう。
この辺りまで来ると、川遊びもできるようになります。
近くには、日帰り温泉施設もあります。
ここにも都道の起点を発見しました。
東京都道201号十里木御嶽停車場線、青梅市の御嶽駅までの道路ということです。
さて、前回あるきろく20210718でも迷いましたが、都道32号線やこの33号線のゴールはどこでしょうか。
武蔵五日市駅前なのか、東町交差点なのか。
31号、32号、33号が集結する東町交差点です。
33号線の距離ポストには、数字は20.75kmの表記。
これまでの蓄積からすると、10m単位の距離表示は終点ポストであるはず。
でも、「終点」という文字は、頭の部分に書いてあるのが見えない。
困りました。
東町交差点から武蔵五日市駅まで、道端を丹念に見ましたが、距離ポストは見当たりません。
でもここまであるいてくれば、都道7号杉並あきる野線のように、実はショートしていた、ということにはなりませんので、これはこれで仕方なし。
ということで、本日のあるきろくはここまで。
スマートウォッチの計測によりますと、およそ
時間:6時間15分
距離:36.5km
歩数:50,800歩
でした。
次は、34号、35号と欠番が続き、したがって東京都道・埼玉県道 36号保谷志木線をあるきます。
西東京市の保谷小学校前交差点を起点に、西武池袋線、東武東上線を越えて、志木市の荒川近くまでの行程となります。
雨は降っていましたが、日差しがないことに加え、気温がそれほど高くなかったので、最難関とみていた山梨県道・東京都道33号上野原あきる野線もクリアできました。
甲州道中をあるく、を先にやっていなかったら、たぶんこの33号線は回避していたんだろうな、と思っています。
やはり経験の積み重ねにより、人間は強くなれるものです。
はて、何を話しているのやら…?