あるきろく20210607
2021年6月7日 あるきろく 都道をあるく(第22回)
梅雨っぽい天気です。
梅雨入り宣言は出ていませんが…。
今回は、都道29号立川青梅線をあるきます。
前回の結びでは、日野橋交差点からあるくか、勝沼交差点からあるくか考えるとしましたが、日野橋交差点からあるくことにしました。
自宅からは京王線、多摩都市モノレールを乗り継ぎ、甲州街道駅からあるいて日野橋交差点へ向かいます。
現在は都道256号線となりましたが、数年前まで国道20号線であった名残りとして、日野橋にはいくつも国道20号線の距離ポストがありました。この辺りは、日本橋から37km前後の位置になるようです。
大型五差路である日野橋交差点です。
まず起点ポスト探しですが、新奥多摩街道である都道29号線の起点ポストはすぐに見つかりました。ご丁寧に、そのすぐ先にヘキサが立っています。
でも今回は、こちらはあるきません。
奥多摩街道である都道29号線をあるくことにしています。
あるきろく20201231もここからのスタートでした。
耳がちぎれそうに寒かったことを思い出します。
奥多摩街道である都道29号立川青梅線は、正面の白い建物の右側です。
一旦交差点を渡り、奥多摩街道とは対角線の位置から写真撮影。
奥多摩街道と甲州街道とが交差する標識を収めます。
2枚目の写真を撮影し、ようやくスタートです。
これを見つけると、気持ちが落ち着きます。
日野橋交差点からここまでは、旧甲州街道でもありました。
旧甲州街道=甲州道中を諏訪から日本橋まであるいたのも、懐かしい思い出です。
ここでは、あるきろく20200113にて10:06に通過しています。
ここで右折して5分ほど歩くと立川駅です。
あるきろくはモノレールの線路の下を通って、西へと進みます。
モノレールの次は中央本線です。
立川駅を出て掘割を走る中央本線を、都道29号立川青梅線が乗り越えていきます。
写真は多摩川方面を写しています。
ここまでの距離ポストは、0.1kmと同じ金色のもので、数字だけが書いてあるものでした。ここで初めて青いポスト(埋め込みは同じですが)で、かつ主要地方道29号であること、そして「支01」との記載がありました。
ということは、新奥多摩街道が本線扱いなのでしょうか?
和田橋北交差点で都道59号八王子武蔵村山線、東京都通称道路名多摩大橋通りと交差します。都道59号線は、八王子市大和田町の国道20号線との交差点から、武蔵村山市内の都道5号線との交差点を結ぶ道路です。来年あたりあるくことになると思います。
そしてちょうどこの交差点に4kmポストがありました。
都道29号線同士、奥多摩街道と新奥多摩街道が交差する交差点です。
ここまで奥多摩街道は河岸段丘の上を崖線に沿ってクネクネとここまでやってきました。一方の新奥多摩街道は、多摩川に近い低地をバイパス新道らしく一直線でやってきました。ここで南北の位置関係が変わります。
JR八高線の線路をくぐります。
それよりも気になる「くじら運動公園」の看板…。
いまから60年前の1961年8月20日、八高線鉄橋付近の多摩川河川敷土中から、全骨格のクジラの化石が見つかったことに由来するそうです。
約200万年前の地層の中から見つかったとのことですが、この頃はこの辺りも海だったということですね。
国道16号線と交差する大きな交差点です。
国道16号線は、緩やかな坂の上で新奥多摩街道とも交差しています。
その交差点を越え、その坂を下ってこっちにやってくる車は、どれも相当なスピードで突っ込んできます。
金色眩しい寺院が突如現れました。
拝島大師は、天台宗の仏教寺院で、正式名称は本覚院というそうです。
本尊として祀る良源は、比叡山延暦寺の中興の祖と言われているそうです。
駐車所の入口から撮影しましたが、この後見かけた南大門の壮大な構えには圧倒されました。
ここでY字路が現れます。
どちらに進んでも都道29号線ですが、奥多摩街道は左側なので、そちらに進みます。
真っ直ぐ進むと、数百m先で新奥多摩街道に合流します。
「福」が「生」まれる縁起の良い名称の福生市です。
江戸時代にはすでに「福生」という地名があったようですが、それより前の時代の文書では「古佐」と記されているものもあるようで、地名としては音が先行し、後から縁起の良い字を当てはめたようです。
とここまで書いてきましたが、東京都西部に馴染みがないと読み方が分からないですかね?
「ふっさ」市と読みます。
1枚目の写真では、直進方向は車両通行止めになっていますが、こちらが都道29号線&奥多摩街道です。
右に曲がると数mで新奥多摩街道である都道29号線に合流します。
どちらを進んでも3枚目の写真、内出交番前交差点の手前で合流し、すぐに都道7号線のバイパスである睦橋通りと交差します。
あるきろく20200723で都道7号線をあるいたときには、ずっと五日市街道をあるきましたので、ここは初出となります。
ここで再び奥多摩街道と新奥多摩街道とは分かれて進むことになります。
鍋ヶ谷戸の由来が、福生市観光協会webサイトにありました。
「きつねと福なべ」という昔ばなしとして。
鄙びた雰囲気漂う踏切です。
あるきろく20200723以来の牛浜交差点。
都道7号線(五日市街道)との交差点です。
都道7号線は、この交差点を過ぎると段丘を駆け下り、多摩川を渡る準備に入ります。
この辺りから玉川上水の流れも開けてきて、空と同じフレームに収まるようになります。晴れていれば、もっときれいに目に映ると思います。
玉川上水に沿って進むこの辺りでは、距離ポストがこのように壁に埋め込まれていました。
今回は立川市をスタートして、昭島市、福生市と来て、ここからは羽村市です。
上に見える「羽村市」の標識の左下に、なんと「羽村町」の標識が。
市制施行が東京都の中でも後発であった(平成3年)羽村市ですが、そうは言ってももう30年が経ちます。
西東京市で見つけた「保谷市」の痕跡よりはマシだろうか…?
(ちなみに、保谷市と田無市の合併による西東京市の誕生は20年前でした。)
あるきろく20200126で通った四谷大木戸までの42.74kmの起点となる、玉川上水羽村取水堰です。
玉川上水は、あるきろくでもたびたび登場しますが、木々に覆い隠された細い流路という雰囲気です。しかし、江戸時代には江戸市中の飲料水確保のため、重要な上水だったのですね。
日野橋交差点から15kmです。
羽村西小学校の脇に立っていました。
この16.6kmポストの先、河辺東交差点で新奥多摩街道と再び合流します。
ひとまず、奥多摩街道側の都道29号線の最後の距離ポストということで。
1枚目の写真は、先ほどの16.6kmポストを過ぎてすぐのところからの撮影です。
右から新奥多摩街道がやってきます。
2枚目の写真は、新奥多摩街道側に移って青梅方面を写しています。
電柱の足元に距離ポストがあるので、それをアップで写したのが3枚目の写真。
「終点」および「支3」の表記と16.55km地点であることがこれで分かります。
ここまであるいてきた奥多摩街道の1.8kmポストに「支1」の表記がありましたが、どれが本線で、支線はいくつあるのか、など、またわからないことが出てきてしまいました。
2つの都道29号線が合流してから最初の距離ポストは16.7km。
ここから来た道を振り返ります。
右が奥多摩街道、左が新奥多摩街道です。
青梅マラソンは昭和42年を第1回として、10kmの部、30kmの部とで実施されている大会です。
公式ホームページを見て知りましたが、「マラソンの普及と強化」を目的に、また昭和39年の東京オリンピックで活躍した「円谷選手と走ろう」を合言葉に、誰もが参加できる大衆マラソンとして始まり、10kmの部には155人、30kmの部には182人が参加した、とのことです。
もちろん第1回大会には参加した円谷選手ですが、次年度の第2回大会に参加することはありませんでした。
あるきろく20200321で、この下の道をあるいていきました。
都道5号線はここから終点まで20分ちょっとでしたが、こちら都道29号線はあとどれくらいあるくのでしょうか?
ここでも都道29号線が二手に分かれます。
奥多摩街道は右手になりますが、支線の起点としてポストが埋まっていました。
18.61km地点です。
JR東青梅駅の南口ロータリーを越えてすぐ、19kmのポストがありました。
植込みに半分顔を隠していたので、手でかき分けての撮影です。
青梅市役所の先で分岐した「支5」と合流します。
ここにあった距離ポストは19.05kmの表示です。
終点が見えてきました。
都道29号立川青梅線の終点、勝沼交差点に到着しました。
先週、あるきろく20210530でもここを通過しています。
ということで今回のあるきろくはここまで。
スマートウォッチの計測では、
時間:3時間45分
歩数:およそ2万9千歩
距離:約21km
でした。
さて次回は、欠番の「30」を飛ばして、都道31号青梅あきる野線です。
これもまた、前回のあるきろく20210530でその起点を通過しています。
また青梅を訪れることになります。