あるきろく20210313
2021年3月13日 あるきろく 都道をあるく(第20回)
気合を入れて、今週4回目のあるきろく。
あいにくの雨です。
背中のリュックも含めて、ポンチョに身を包んでスタートです。
飯田橋交差点を歩道橋で渡り、その歩道橋の下で今一度進むべき道を確認し、もう一つ横断歩道を渡って、起点ポストの撮影です。
神楽坂上の交差点を右折し、神楽坂の商店街に入ります。
自分はあまり馴染みがないのですが、大正から昭和初期にかけては花街としても栄え、また多くの文人に愛され、小説の舞台にもなっていたようですね。
確かに左右に伸びる路地の奥には、風情ある建物などがちらほら見えました。
大雨かつ上り坂ではありますが、最初の1kmは11分と、なかなかのペースで入れました。
写真を撮る短い時間でしたが、両手を使うために傘を置いていたら、すぐにびしょびしょになりました。
交差する通りは、名称の通りに左折すると明治神宮外苑の東側を通り、青山一丁目、六本木を抜けて麻布十番に向かいます。
左右に分かれる道の間の鳥居は、穴八幡宮の入口です。
1062年に、源義家が奥州からの凱旋の途中、この地に兜と太刀を収め、八幡神を祀ったことから始まるようです。
名称の由来は、1641年、社僧が南側の山裾に見つけた横穴から、金銅の御神像が現れたことにあるようです。
明治通りと交差します。
右折すると池袋、左折すると新宿三丁目。
なお、神楽坂よりこの後しばらく東京メトロ東西線の上をあるきますが、この明治通りの下には東京メトロ副都心線が走っています。
その両線が交差する馬場口交差点ですが、ここに両線が接続する駅は作られませんでした。
高田馬場駅前に到着しました。
ガードの上はJR(山手線、埼京線)と西武新宿線、地下には東京メトロ東西線が走っており、とても利便性の高い駅です。
52分で5km到達です。
地図上での予習では、本日の行程は20km程度と読んでいますので、このペースであれば、所要時間は3時間半くらいでしょうか。
ひとまずのゴール目標時刻を10時20分と定め、先を急ぎます。
新宿駅西口を出て、青梅街道を越えると小滝橋通りが北に向かって伸びています。また都営バスの「小滝橋車庫」行をよく見かけることから、この名前には昔から馴染みはありましたが、実際に来たのは初めてです。
山手通りと交差します。
8kmポストは、JR中野駅から北、中野サンプラザの裏手にありました。
飯田橋から東西線なら13分、JR中央・総武線でも18分ですが、あるいてみると1時間半弱でした。
環七通りと交差します。
環七通り本線は、頭上を大和陸橋で越えていきます。
いつもならば、ここから環八通りまでの時間を計測しますが、今回は直進ではないため、これまでより相当に時間がかかると見込んでいます。
距離ポストのすぐ右側には、ごみ収集所があり、ちょうどマンションのごみ置場から管理人さんが運び出しているところでした。
邪魔にならぬよう一応気を使いながらの撮影です。
ちなみに、この5kmも50分といいペースであるけています。
直進も右折も都道25号線となっています。
あるきろくは「旧早稲田通り」とある右折方向を選択し、先に進むことにします。
その前に、交差点脇にあるCVSにてトイレ休憩&温かい飲み物補充をおこないます。
暖かくなってきたと思っていましたが、雨の中を長時間歩き続けると、手もかじかんでくるし、身体も冷えてきます。
先ほどの頭上標識では、直進方向も「25」となっていましたが、CVSを出ると目の前にこのポストが立っていました。
都道438号線は、この交差点を起点として、都道4号線・5号線(青梅街道)の井草八幡前交差点を結ぶ特例都道、であるという資料はあります。
都道検索システムを確認しましたが、やはりここから先は「438」であり、先ほどの頭上標識が誤りなのでしょうか???
本天沼二丁目交差点から、緩やかな坂を上りながら、旧早稲田通りを北上しました。
名称のない交差点ですが、どちらかというと細い方の道へと進みます。
環状八号線を渡ります。
これまで都心から郊外へ向けての放射線状の道をあるいたときには、環七から環八までの時間を計ってきました。
今回は、環七を越えてから道の方角が北向きに変わり、最短距離ではありませんので、参考記録として残すことにしますが、59分でした。
これまでの最短記録は、都道2号東京丸子横浜線の27分でした。
練馬区下石神井にある坂下公園に「所沢道」の記録を残す石標と解説板がありました。
前回の都道24号線と同様、この都道25号線にも地方主要道と言う割には交通量の多くもない細い道があるのですが、古くには江戸と郊外拠点とを結ぶ大切な位置付けにあったことがこれで分かりました。
石神井川を豊島橋で渡り、その先の丁字路である豊島橋交差点を左折します。
丁字路突き当りの奥は少し高台となり、禅定院や石神井公園がひろがります。
謎です。
10kmポストは8:31に通過し、撮影もしています。
ここでの「10km」とは、どこからの10kmを指すのだろう…。
謎の「10km」ポストから2分あるいて、15.2km。
住宅街の電柱のかげに隠れるように立っていました。
40代後半より年上の男性にしか分からない表現をしてしまいました。
さて、9:38とこの9:47の時間および距離ポストを見る限り、9:36の謎の「10km」ポストは、本来は「15km」ポストでありながらも間違って設置されたものであると確信したところです。
谷原交差点以西では富士街道の名称を持つ、都道8号千代田練馬田無線と交差します。
いや、交差というよりも、20~30m程度ですが、一瞬だけ富士街道とご一緒させていただき、すぐに分かれていく、という方が正しい感じです。
丁字でぶつかり左折して、すぐさま右斜めに逃げていく、そんな感じです。
富士街道と分かれた道は、ここまでほとんどの区間で一方通行です。
でも、google mapではいかにも自動車がたくさん走っていそうな太線で表示されています。
「都道」だから、「主要地方道」だから、などを理由に、実態よりも誇張されて表示されているのでしょうかね。
西武池袋線保谷駅のすぐ南に来ました。
都道検索システムでは、保谷駅のホームを挟むようにして南北でつながっているように見えます。
地下をくぐるのか、駅を跨ぐのか、それとも…?
結果としては、保谷駅で分断されていました。
保谷駅東側の踏切に迂回します。
見る地図によっては、この迂回する道に「25」と附番しているものもあります。
電柱と自転車放置禁止標識との間を直進すると、先ほどの壁の位置につながると思われます。
北側につながる都道25号線はこのような感じです。
国土地理院による地図HPより、保谷駅の航空写真を見てみました。
1960年代には、保谷駅のホームも短く、都道25号線の位置に踏切があるのが確認できます。
同じく地理院地図HPより1974年以降の写真を見ます。
保谷駅のホームが長くなっていること、また全体的に駅そのものが東側に若干ながら移動しているように見えます。
これにより、1960年代には存在した都道25号線の踏切もなくなり、道路そのものが分断されてしまいました。
広い通りにぶつかりました。
でも、都道25号線はクリーニング店の左側を抜けるように続いていきます。
なおここは、車止めにより自動車は通れません。
ここでも道路延伸工事をおこなっています。
西東京市ひばりが丘で190m、加えて埼玉県新座市内へと抜けるようですが、ここの看板には、あくまでも東京都内の事業計画しか記されておらず、新座市内に抜けた後、どこでどの通りに接続するのかわからない内容になっています。
で、あるきろくはこの交差点を右折し、北へ方角を変えます。
埼玉県に入るところまで来ました。
切りの良い場所に21kmポストがあった、と思ったら、その足元にもう一つの距離ポスト。
21kmポストと1mも離れていないのに、21.3kmポスト。
石神井で見つけた謎の「10km」ポスト同様に、謎が残るポストです。
埼玉県に入ってからは10分程度でしたが、この栗原交差点が東京都道・埼玉県道25号飯田橋石神井新座線は終点となります。
栗原交差点は、つい2日前のあるきろく20210311でも通りました。
2日前は今日とは違って、とても良い天気でした。
ということで本日のあるきろくはここまで。
スマートウォッチの計測では、およそ
時間:4時間20分
距離:20.5km
歩数:28,500歩
でした。
ん?距離が合わないですな?
距離ポストの数字だけでも21+αになるはずなのですが…。
まぁ、いいか。
さて次回ですが、「26」「27」と欠番が続くため、東京都道・埼玉県道28号青梅飯能線をあるきます。
この路線ですが、実はその大半を、あるきろく20190505においてあるいているのです。
このときは飯能から青梅を通って五日市まであるいたので、逆方向の行程となりますすが、およそ2年ぶりの再訪となることで、いまからとても楽しみにしています。