あるきろく20200924
2020年9月24日 あるきろく 都道をあるく(第11回)
今回は、初めて2日続けてのあるきろくです。
あるきやすい気候になったこともあり、昨日の疲労感も残っておらず、また今回の都道12号線は距離がそれほど長くないことから、いざ出撃です。
今回の都道12号線は、本線とバイパス支線それぞれの起点が隣接しており、その両方を確認してスタートしようと考えました。
先に、バイパス支線の起点を確認するためにこの交差点に来ましたが、起点を示すものはありませんでした。
実地調査と帰宅してから確認したことで分かったこと。
・都道12号線の道路名称である「武蔵境通り」のバイパス支線は、
この交差点を起点としてるが、国道20号線との交点である
下石原交差点までは、都道19号線であること
・都道19号線は主として「鶴川街道」を名乗るが、下石原1丁目交差点から
下石原交差点までの間は「武蔵境通り」となること
写真に写る矢印看板を見ても、「19 武蔵境通り」となっています。
旧甲州街道である都道119号線を東へ、都道12号線本線の起点である小島町1丁目交差点に向かっています。
頭上の標識からも、次の交差点から都道12号線が武蔵境に向かう様子が分かります。
都道12号線本線の起点となる小島町1丁目交差点です。
何か起点を示すものは?と探しましたが見当たりませんでした。
そんなこんなですが、都道12号線のあるきろくをスタートします。
「主要地方道」というには寂しい雰囲気の道路、そして起点ポストなどもない中での不安なスタートでしたが、その不安を吹き飛ばしてくれる、ありがたい距離ポストです。
甲州街道である国道20号線との交点である小島町交差点です。
その手前には、0.2kmポストを外した跡がありました。
土台も少し欠けています。
この先一旦、バイパス支線と国道20号線の交点である下石原交差点に向かいます。
バイパス支線と国道20号線の交点です。
①「武蔵境通り」の矢印看板に記載の番号が左右で「12」「19」と異なりました
②「主19」「終点」の記載がある距離ポストがありました
③「主12-1」の起点を表す距離ポストがありました
実際に現場に行かないと分からないことはたくさんあるものです。
では、本線に戻ります。
都道12号線は、国道20号線を越えると電気通信大学の敷地に挟まれながら北へ向かいます。
電柱の足元に、距離ポストの跡がありました。
0.4kmポストは埋め込みタイプ。
0.5kmは取り外されていました。
0.6~0.8kmは見当たりませんでした。
0.9kmはカトリック教会のレンガ壁の前にありました。
そして1kmポストは、中央高速自動車道の下で見つけました。
たぶん、これだと思います…たぶん。
ここでバイパス支線と合流します。
合流後の左車線側からバイパス支線を振り返りました。
幅も広く、見通しもよい、走りやすそうな道路でした。
野川を渡ります。
昨日の都道11号線でも、何度か渡りました。
なお、橋の上に1.3kmポストが埋め込まれていました。
深大寺への入口、右折する道は深大寺通りです。
今回あるいてみて思いました。
深大寺に行く、となると、当たり前のように調布駅からバスで、と思っていましたが、たいした距離ではないな、と。
調布駅からまっすぐ歩いてくれば、30分もかからずに着く距離ですね。
30分を長いととるか、短いととるかは人それぞれでしょうが。
2kmポストがありました。
神代植物公園も駅から遠いイメージがあって、頻繁に行こう、という感じではありませんでした。
実際に、今まで1回か2回、バラのきれいな季節に来た、くらいです。
駅から程よい距離の散歩をしながら、と考えれば全然遠くはないし、今後はたびたび訪れよう…かな?
高校受験を控えた中学生の頃(三十数年前)、当時は学区制度があった都立高校ですが、当然ながら自分の学区のそれぞれの高校がどこにあるかは興味のあるところです。
自分の該当する第10学区には十数校あったと思いますが、学区内で最もどこにあるかイメージの湧かない学校でした。
深大寺もそうですが、この辺りにおける位置や距離の感覚がなかったんだろうな、と思います。
野崎八幡前交差点では、都道14号線「東八道路」と交差します。
都道13号線は、あるきろく20200823にも記した通り、現在は欠番となっていますので、次回にあるくのはこの道路となります。
都道134号線「連雀通り」との交点、塚交差点です。
頭上の標識では、都道12号線は直進となっていますが、「新武蔵境通り」を名乗るこちらの通りはバイパス支線とのことです。
本線はここで左折し、都道134号線に少しの間相乗りして行きます。
頭上の標識にある通り、この交差点で改めて「12 武蔵境通り」の表示が表れます。
右折して、武蔵境駅方面に向かいます。
久し振りに訪れた、武蔵野赤十字病院…。
もう7年前になるでしょうか、血尿が出て、街中のクリニックで紹介状を書いてもらい、ここに通院することになりました。
潜血ではなく、トマトジュースのような血尿が出たので、これは人生終わった!と思ったものです。
結果としては大病ではありませんでしたが、出なくなるまで5年くらいかかり、その結果、一時期は重度の貧血になり日常生活にも支障が出てしまいました。
今では血も出なくなり、安穏としておりますが、この病院でおこなった膀胱内視鏡検査の辛い思い出が残っています。
武蔵境駅のすぐ東側で、中央線をくぐります。
中央線をくぐってから、迷いに迷った武蔵境駅周辺です。
何故迷ったかというと、普通の感覚ならば中央線をくぐった後は直進と思うはずです。
でも、下調べによると、線路に沿って駅前ロータリーに向かっている都道12号線。
それはそれで進みましたが、さて駅前に着いた後、北に向かうのにどの道を入っていくのか、またこれで悩みました。
地図で見ると、某ファーストフードチェーン「M」の脇を北上するように見えましたので、その道をあるいていきましたが、正面に立ちはだかる建物。
地図では、建物に遮られることはありません。
一旦、駅前まで戻ります。
都道検索システムを目いっぱい縮尺を大きくすると、「M」脇の道ではなく、一本隣の大手コンビニチェーン「F」の脇の道であることが判明。
それが、この「すきっぷ通り」です。奥には、その向こうに続いていく道も見えます。
200mくらいの商店街を抜けて、「普通の」道路に戻ります。
なかなか難易度の高い武蔵境駅近辺でした。
玉川上水を渡る桜橋にある碑です。
文学作品には疎いものですから詳しく存じ上げませんが、碑に刻まれている文章は「武蔵野」第六章の書き出しとのこと。
「今より三年前の夏のことであった。自分は或友と市中の寓居を出でて三崎町の停車場から境まで乗り、其処で下りて北へ真直に四五丁ゆくと桜橋という小さな橋がある」
三崎町とは、現在の神田三崎町でしょうか。
水道橋駅から武蔵境駅まで電車に乗って、そこからここまであるいた、ということですね。
都道7号線「井の頭通り」と交差します。
「井の頭通り」ですので、都道7号線の支線となります。
双方の矢印看板が立つその足元に、距離ポストが2つ並んでいます。
じっくりと見てみることにします。
7.1kmポストということは、ここまであるいてきた都道12号線の距離ポストですね。
井の頭通りとしての都道7号線支線は、環八通り交点を起点としています。
そこからの距離では、約7kmということで、先程「7.1km」は都道12号線のものだといったそばから怪しくなってきました。
ただし、都道7号線本線である五日市街道の10km地点は、この交差点すぐ近くの武蔵野大学バス停そばにありました。
ということはやはりこの10.4kmも、あるきろく20200723のスタート地点からで、どこかのルート、例えば、関前三丁目交差点から、こちらも都道7号線支線にあたる「新武蔵境通り」(ついさっきまで、都道12号線支線の名称でしたが。)を伝い、関前一丁目交差点で井の頭通りに入り、ここに至る距離、なのでしょうか。距離感としてはしっくりきますが、確証が持てません。
いつの日か、都道7号線については、この辺りの支線巡りをして、丹念に距離ポストを追いかける必要がありそうです。
都道7号線の本線、五日市街道と交差します。
あるきろく20200723には、この交差点の写真をアップしていませんでしたが、撮影履歴に1枚だけ写真が残っていましたので、下に掲載します。
撮影の向きも異なるので、定点観察とはいえませんが…。
この日は途中大雨になりました。
柳橋交差点から先、30kmほどあるきました。
都道12号線は左へ参ります。
8.3kmから100m間隔でしっかりと距離ポストは設置されていたものの、何故にまぁこんなにバラバラか?
同じ種類でそろえた方が、何かと良いかと思うのですが。
「あるきろく 都道をあるく」を始めてから、何度も訪れる田無駅。
今回もまた後程、お世話になります。
都道5号線青梅街道と交差します。
あるきろく20200321で、この道を青梅まであるいています。
終点を目前に控え、丹念に距離ポストを拾うことにします。
終点を示す表示は何もありませんが、矢印看板は片矢印であり、おそらくは終点ではないか、と思われます。
これまで何度か出てきましたが「新武蔵境通り」も並行して北上し、田無町三丁目交差点で都道4号線にぶつかりますが、その最後の数百mが、また都道12号線支線となっています。
都道4号線を東に向かい、こちらに終点を示すものがないかと捜索しましたが、矢印看板すらない状況であったため、写真を撮らずに退散してしまいました。
今更ですが、写真だけでも取っておけばよかったと…。
あるきろく20200315では気付きませんでした。
新宿三丁目交差点から16km地点です。
あるきろく20200315、あるきろく20200321でこの交差点には来ております。
都道4号線と都道5号線が分岐し、都道4号線はここから名称を「所沢街道」と変え、都道5号線は都道4号線から「青梅街道」の名前を引き継ぎリスタートします。
さて、今では当たり前のように目に入る都道5号線の起点ポストですが、当時はどのような扱いであったか、両方の記事を振り返ってみます。
青梅街道と所沢街道それぞれの矢印看板をできるだけ大きく撮ろうとしています。
よって、グラウンドレベルには気持ちが向いていません。
1枚目の写真は、あるきろく20200315と同じアングルを意識したようで、やはりグラウンドレベルは無視です。
2枚目の写真は、二股に分かれ行く街道の様子を収めようと、だいぶ引き気味のアングルでの撮影となっています。
その結果、意識はしていませんでしたが、都道5号線の起点ポストが写りこんでいました。
と、過去の写真も振り返ったところで、今回のあるきろくもここまで。
スマートウォッチの計測によると、田無町一丁目交差点までを含んでですが、
時間:2時間半弱
歩数:15,000歩
距離:11km弱
でした。
次は、今回のあるきろくにも登場した都道14号線をあるきます。
山手通りの清水橋交差点を起点に、国立インター入口交差点まであるきます。
ただ、終点近辺は、ずっと昔から工事中でなかなか完成しない様子です。
普段は車で表面をなぞっているだけなので、この未成区間についても、実際の工事の進捗度合いを見たりしながら、あるきたいと思います。
再三言いますが、都道13号線は欠番です。