あるきろく20200823
2020年8月23日 あるきろく 都道をあるく(第8回)
朝も昼も夜も暑い日が続いていましたが、8月22日土曜日の夜、部屋に入り込んでくる北風が涼しいものでした。加えて、翌23日は天気があまり良くなく、最高気温も32℃くらい、とのこと…。
ならば、先週も歩いたばかりだけど、今週もあるきに行こう!ということで、今回は都道9号線&神奈川県道9号線をあるきます。
ただし今回は初めて、都内出発ではなく、神奈川県側から東京都に向けての行程です。
今回の起点は、国道15号線、国道132号線から分岐する宮前町交差点です。まず最初は、「市役所通り」という名称で川崎駅前まで進みます。
川崎駅前で右に曲がります。
100mか200mくらいJRの線路と並行にあるきますが、その線路をくぐる手前に、初めて「府中街道」の標識が登場します。
くぐった先にも、片矢印の「府中街道」標識がありました。
この交差点から国道409号線とともに先に向かいます。
国道409号線は、川崎市の高津区を起点とし、東京湾アクアラインを通り、千葉県成田市まで続く道路です。
この交差点から県道9号線とともに進む道は「府中街道」、多摩川下流方面に進む道は、川崎大師を通ることから「大師道」という名称です。
おにぎり看板を発見しました。
そういえば、都道4号線を最後に自立ヘキサ標識看板にはお目にかかれておりません。
今日もお会いできないままに終わってしまうのでしょうか?
遠藤町交差点、国道1号線との交差点です。
都道を2号線から今回の9号線まであるいてきましたが、国道1号線と出会うのは、2号線をあるいて以来です。
ヘキサ標識の登場前に、おにぎりが2つ目です。
やはり、国道パワーの方が大きいということでしょうか?
今日の行程は、多摩川および南武線とずっとお付き合いしながら、北上していきます。
踏切を渡るとすぐに、本日3つ目のおにぎり。
雰囲気としては国道然としない道ながら、やはり恐ろしや国道パワーです。
早4つ目です、おにぎり。
もしかしたら、国道であることを誇示するために、多く立てているのかも。
あるきろく20200215であるいた都道2号線&神奈川県道2号線と交差します。
多摩川から東京側は「中原街道」、多摩川から横浜側は「綱島街道」の名称でした。
あるきろく20200215では、ここでは写真を撮らずに通過しておりました。
都道&県道2号線と丸子橋で分岐した県道45号線と交差します。
都内では都道2号線が名乗っていた「中原街道」を、神奈川県内では県道45号線が引き継ぎます。
府中までの残りの距離が出てました。
残り21kmということですが、起点から終点までの位置関係では、こすぎごてんみどり歩道橋はここになります。
3分の1を終えたかどうか、という感じでしょうか。
ここから府中までは17km。
こすぎごてんみどり歩道橋から、4kmあるいたことになります。
経過した時間は42分。
起伏もないので、だいぶ速いペースであるいているように思います。
国道246号線と交わる溝口交差点です。
3枚目の写真、国道246号線が起点から15.2kmであることの距離ポスト、発見しました。
交差点の手前には、府中街道の名称とともに県道9号線であることが示されています。
さて、頭上の看板では、この先「409」という数字が出てきません。
先述の通り、国道409号線はこの交差点を起点としており、ついにここからは県道9号線の単独行動となります。
これまで、まとまった緑のない道をあるいてきましたが、ここで鬱蒼とした茂みが登場し、また、お世辞にもきれいとは言えない澱んだ「水溜まり」に出会いました。
この碑が立っていなかったら、謎に包まれたままに立ち去っていたと思います。
年に何回か、川崎まで南武線に乗ることがありますが(今朝も乗りましたが)、失礼ながら、久地駅は名前が出てこないランキング1位と言えそうなくらいに、馴染みがない駅です。名前のインパクトとかもあるのでしょうか?
そんな久地駅を眺めながら、踏切を渡ります。
久地駅さん、ごめんなさい。
この都道をあるくシリーズは、これまで都心から郊外へと伸びる道ばかりでしたが、今回の9号線は南北方向の道路です。
したがって、これまであるいてきた都道(県道)2号線、都道(県道)3号線や、大きな国道(1号線、15号線、246号線)など、多くの幹線道路と交差しました。
そしてここでは、東名高速道路とも交差です。
小さい頃はテレビにコミックスと、楽しませていただきました。
藤子・F・不二雄先生のミュージアムがここにあります。
川崎市内にあることは知っていましたが、ここにあるんですね。
先程通った、二ヶ領用水「久地分量樋」跡の少し手前にある梅林交差点で分岐する新道がこの辺りのメインストリートとなっていて、並行して走る県道9号線は交通量も少なめです。
たまに、川崎方面に車でこの辺りを通りますが、やはりその新道を走るため、ミュージアムの存在には気付きませんでした。
交差点を右に曲がると向ヶ丘遊園駅へのアプローチ。
真っ直ぐ県道9号線を進むと、小田急線を跨線橋で越えていきます。
画面には入っていませんが、もう少し右を向いたところにダイエーがありました。
現在の建物が49年経ったようで、建て替えします!と懸垂幕を出していました。
あるきろく20200308で通過したポイントです。
都道3号線&神奈川県道3号線をあるいたときに通りました。
この地図で見ると、右上から左下に向かってあるいていきました。
撮影角度は異なりますが、オレンジ色のビルでお分かりになると思います。
やっと出会うことができました、ヘキサ標識。
多摩警察署前交差点を過ぎ、多摩消防署の前をあるいていたとき、それこそ消防車に気を取られつつあるいているときに、不意に視界に入ってきました。
川崎市多摩区生田1丁目10番18号で、本日2本目のヘキサ標識です。
縮尺次第のところはありますが、1枚の地図に収まる範囲で2本です。
お祭り認定なるか…?
またしばらくヘキサ標識が見当たらないと思っているうちに、東京都に突入するところまでやって参りました。
地図では、点線が都県境にあたります。
これまでずっと進行方向の左側をあるいてきましたが、一旦右側に移りました。
都県境で、標識に何か変化がないか確認するためです。
この標識は、起点または終点を惹起させる形であり、また、支柱に見える印は川崎市の市章です。
東京都に入ると、ご存じ緑色のイチョウの葉が貼付されています。
再び進行方向左側に戻ると、起点ポストが立っていました。
「0主13」と、間違いなく「主要地方道13号線0km」を表す印です…。
ちょっと待てよ?「13」号線??「9」号線は???
wikipediaによりますと、13号線は欠番であり「整理番号9に変更」とあります。
当路線は、距離ポストにあるように、以前は13号線だったようですが、1号線が6号線となったものと同じ理由でしょうか、神奈川県道のナンバリングに揃える形で変更したのでしょうね。
都道19号線と交差する矢野口交差点です。
ここで注目すべきは、ここまで「府中街道」を名乗っていた名称が、「川崎街道」となっていることです。
東京都建設局のホームページに掲載されている「東京都通称道路名~道路の分かりやすく親しみやすい名称~」には、
・府中街道 起点:稲城市大丸 終点:東村山市久米川五丁目
・川崎街道 起点:日野市日野本町一丁目 終点:稲城市矢野口
とあり、東京都としては公的に、この辺りの都道9号線は府中街道ではなく川崎街道として認めています。
余談ですが、支柱には緑色のイチョウのマーク。10:29の写真では、府中街道矢印標識の支柱に川崎市市章がありました。
JR南武線矢野口駅近くに、ヘキサ標識です。
なお、Google Mapでは川崎街道と府中街道の名称が併記されていました。
広域的には、やはり府中街道が一般的だから、ということでしょうか。
地図では右から左に向かってあるいています。
この交差点は、右に曲がると稲城大橋で多摩川を渡りますが、その橋の上で府中市内に入る道と、中央自動車道の上り線に合流する道の2本に分かれます。
なお、府中市内に入る道は、都道9号線の支線となります。
一方、左に曲がると鶴川方面に向かう都道19号線です。
都道19号線は矢野口交差点でも交差しましたが、ここ東長沼陸橋交差点にやってくる都道19号線は支線となります。
ここには、とてもご丁寧に、都道19号線の支線の7km地点であることと、おまけに終点であることを示すポストが立っていました。
この辺りまで来ると、見慣れた光景となり、だいぶ気分も楽にあるくことができるようになりました。
あるく道も、自動車の1車線分の幅より広く、そして歩行者と自転車を分けてあって、かつ通行量が少ない!ので、快調にあるくことができます。
都道9号線は新大丸交差点を右折し、名称も「府中街道」に戻ります。
「川崎街道」は都道41号線となり、おじさんの住居前、聖蹟桜ヶ丘、高幡不動を通り、甲州道中の日野宿まで向かいます。
早速ですが、都道41号線のヘキサ標識がありました。
また、都県境からしばらくは、距離ポストでは都道「13」号線となっていましたが、ここで見つけた距離ポストは「9」号線となっていました。
是政橋で多摩川を渡ります。
マンションのかげになっていますが、正面には東京競馬場のスタンドが見えます。
多摩川上流を眺める写真では、南武線と武蔵野貨物線の鉄橋が見えます。
その向こうには、おじさんの生活圏が写っています。
右に向かう通りは新小金井街道(都道248号線)です。
数百m進んだ先で、東長沼陸橋交差点で別れた都道9号線支線と合流します。
あるきろくは、東京競馬場の西側をなぞるように進み、府中市街地に入っていきます。
あるきろくに2度ご登場いただいた某呉服店のお嬢様が、歌詞にしたためた辺りです。
中央自動車道をくぐり、東京競馬場の西壁脇に立つ府中街道矢印標識を撮影しました。
某ビール工場も、ここからあるいて数分の場所にあります。
無料で見学でき、無料で数種類のビールを飲むことができる、天国のような場所です。
呼び名とは難しいもので、その時代や誰から見てのものなのか、などなど考えなくてはならないですね。
周辺地域にとってみれば、古代から国府の位置付けにあった府中を目指す道として「府中街道」と呼ぶのでしょうが、府中に住む人からすると、この碑にあるように川崎を目指す道なので「川崎街道」となるわけですね。
こういうの大好きなので、じっくりと勉強したいものです。
さてさて、頭上の近未来絵図は、JR武蔵野線・南武線の府中本町駅から競馬場に向かって、濡れることなく直行できる通路です。
競馬場西門交差点からは、立川崖線(府中崖線とも呼ばれます)を駆け上がるように上ります。上り切った位置に、府中本町駅入口交差点があり、ここで左折する道は「鎌倉街道」の名称で、町田方面に向かいます。
また、ここには武蔵国府跡があり、西暦700年頃には武蔵国司の館が、西暦1600年頃には徳川家康により築かれた「府中御殿」があったそうです。某大手スーパーがここへの移転を計画し、発掘調査を行ったところ、このような発見につながり、結果としてこのスーパーは移転を断念せざるを得なくなったようです。
府中本町駅を過ぎ、府中市役所が見え、さあゴールだ!と思っていたところ、目を疑う表示が。
都道9号線の終点は、府中市役所前交差点であって、旧甲州街道である都道229号線との交点のはず。
なのに、その先国道20号線方面まで、都道9号線が続く表示になっている…?
ちょっとまってよ~!
まず、1枚目の写真から。
府中街道は、この交差点を境に南側(看板では右側)が9号線、北側(看板では左側)が17号線であることを示しています。
2枚目の写真。
あるきろく20200113の「11:19 高札場と問屋場」の写真と同じく、府中高札場を正面からとらえた写真です。
3枚目の写真。
交差点の北側に移動し、そこに立つ府中街道矢印標識を写しました。
1枚目の写真と同様、交差点の南側(看板では左側)が9号線、北側(看板では右側)が17号線であることを示しています。
終点ポストがないかとウロウロしてみましたが、見当たらないので、念のため国道20号線交点まで行ってみることにしました。
念のためここまであるいてきました。
甲州街道と交差する府中街道の矢印看板には「17」の数字しかありません。
Google Mapにおいても府中市役所前より北は「17」となっています。
重用区間ということも考えられなくはないので、一応あるいておきましたが、あまり納得がいかない結末ですなぁ…。
交差点の北側にある街路灯のステッカーを見ると、管理番号は「17」。
交差点の南側にある街路灯のステッカーを見ると、管理番号は「9」。
終わりでグダグダしましたが、とりあえず本日のあるきろくはここまで。
スマートウォッチの計測では、
時間 : 5時間40分弱
歩数 : 約47,700歩
距離 : 約36km
でした。
さて次回は、都道10号線をあるきます。
起点は日本橋交差点で、終点は少しだけ千葉県に入って浦安駅前です。
東側に向かう通りは初めてです。
あるく距離はあまり長くはないようですが、行き来の電車の状況を踏まえながら、実行のタイミングを決めようと思います。
でも今回は、ヘキサもおにぎりもたくさんあったから、良いことにしよう。