あるきろく20220320
前回から2ヶ月経ちました。
そして、すっかり春めいてきました。
でも、明け方はまだまだ冷え込む中でのあるきろくです。
電車に乗ること1時間40分かけて、奥多摩駅に到着です。
4両編成の車両から降りてくる人はみな、登山の恰好です。
軽装なのは、自分ともう一人だけ。
その方は、駅を降りると奥多摩湖の方へジョギングで去っていきました。
奥多摩駅を降り、都道45号奥多摩青梅線の起点となるポイントまで、およそ2kmあるきます。
青梅街道である国道411号を川向うに望みながら、おじさんは都道184号奥多摩あきる野線をあるきます。
ちなみに、手袋を持ってこなかったのですが、寒くて寒くて大変でした。
起点ポストはありませんが、地図を見る限り、ここが起点と思われます。
平成27年に開通した多摩川南岸道路城山工区ですが、地図上の道路には「45」が記載されています。
また、奥多摩駅方面からここに至るまでの街路灯は「管理番号184」となっており、やはり、ここを起点とみるのが良いようです。
のっけから、長大トンネルです。
1,908mです。
25分くらいトンネル内をあるくのは、退屈だろうなぁ…と思いつつ、突入します。
トンネル突入後、10分経過しました。
ここまでの感想です。
新しいトンネルということもあり、照明も明るく、怖さはありません。
救急車が1台通り抜けていきました。
耳を塞がずにはいられないほど、の音の大きさ・響き方でした。
また、音が大きいのには閉口ですが、面白かったのは、旧車マニアさんたちがたくさん奥多摩方面へ向かっていたこと。
昭和40年代、50年代であろう車たちが、20~30台くらい通り過ぎていきました。
エンジン音はうるさいのですが、見た目で楽しませていただきました。
城山トンネルは、微妙に湾曲したトンネルで、常に壁を目にしながらあるいていたのですが、ここでやっと先が見えた、というか、出口が見えてきました。
21分でトンネルを脱出できました。
常に緩い下り坂であったことも、この時間で脱出できた要因であると思います。
さて、トンネルを出るや否や将門大橋が眼前にあらわれ、多摩川を渡ります。
将門大橋を渡ると、この標識が立っていました。
奥多摩ってもっと標高があるのかと思っていました。
ここは、高尾山より300m低い位置なんだ…。
将門大橋を渡ってから先は、まだ多摩川南岸道路の未着工区間であり、一旦多摩川北岸側の国道411号線に合流し、東に進むことになります。
頭上の標識に、この先の丁字路にて、国道411号線から都道45号線が分岐することが示されています。
古里駅前交差点に到着です。
信号待ちをしていたら、古里駅で下車し、御岳山に向かうと思しき老夫婦から「御岳山の登山道は…」と尋ねられました。
リュックサックを背負っていたら、仲間だと思いますよね。
でもごめんなさい、山登りには興味はないんです。
ただ、道をあるくのが好きなだけなのです。
さて、この分岐点に、何とまぁ起点ポストです。
多摩川南岸道路が部分的にでも完成し、そこが都道45号線となる以前は、まさしくここが起点だったということですね。
やっといつものあるきろくらしくなってきました。
1.1kmポストです。
ここまで、距離ポストはなかった(気付かなかった)ですが、やっとお目見えの距離ポストは、一段高いところにありました。
将門大橋と同じ標識です。
海から74.1kmということで、将門大橋から3.8km下ってきました。
標高は260mということで、こちらは30m下ってきました。
また、頭上の標識の通り、橋の向こうには常に国道411号線が並行しています。
今回あるくは自治体は2つ。
奥多摩町と青梅市のみです。
ここで早くも青梅市に入ることになります。
地図の通り、曲がってからもまだ先ではありますが、御岳山ケーブルカー乗り場へ誘う道となります。そして、ここにおいて、御嶽神社と名称が飾られ、鳥居が立っているのです。鳥居を正面から撮影するのを忘れてしまいましたが…。
頭上の標識通りですが、まず延長25mの払沢トンネルがあり、そのすぐ隣に延長89mの御岳トンネルがあります。
2つでひとつのような、そんなトンネルでした。
この辺りまで来ると、道の両側には絶えず建物があるようになり、山間からは抜けたような感じです。
この吉川英治記念館の背後もそうですし、この後吉野梅郷(梅の公園)あたりは、緑の木々だけでなく、明るい色合いの木々が多く目につきました。近くまで寄って、花そのものを愛でなかったのが少し心残りではあります。
ここで再び国道411号線と合流します。
今回はどちらかというと、国道411号線の方から近付いてきて、一緒にしてあげた感じです。
都道31号青梅あきる野線をあるいた、あるきろく20210718で6:00に通った交差点です。
3枚目の写真は、その時と同じアングルで撮ってみたのですが…。
そういえばヘキサ標識に出会っていません。
先におにぎりと出会いました。
特に標識はないのですが、地図を見る限り、ここで国道411号線から分かれ、北上することになります。
まるで市道かのごとき標識で「下奥多摩橋通り」との記載です。
残りの距離もわずかです。
下奥多摩橋で多摩川を渡ります。
奥多摩町内でみた多摩川に比べると荒々しさは薄れてきましたね。
頭上の標識に、「青梅街道」都道5号新宿青梅線の表示があります。
この交差点は、ほぼほぼ2年前の、あるきろく20200321で通っていますね。
この交差点は記録として残していませんでしたが、前後の時間関係から推測すると12:15頃に通過しています。
最初のうちは、手は凍え、まだ冬の装いが必要であった今回のあるきろくですが、ここまで来るとうっすらと汗ばむような陽気、まさしく春を迎えた感じです。
今回は始まりもそうでしたが、終わりもまた距離ポストなど、都道45号に関する表示はなく、少し不安な気持ちを抱きつつの終了です。
なお、この撮影をしている背後には大きなコインランドリーがあり、なんとも言えないよい香りが漂っているのでした。
ということで、本日のあるきろくはここまで。
奥多摩駅からあるいては来ましたが、あくまでも起点をまこご橋であるとして、
時間:3時間26分
歩数:およそ22,600歩
距離:およそ20km
でした。
さて次回は、都道46号八王子あきる野線をあるきます。
高尾駅前からサマーランドの方へ向かう路線ですね。
3月中にあるけるといいな…。
あるきろく20220123
2022年1月23日 あるきろく 都道をあるく(第30回)
いつの間にやら新年を迎えていました。
毎日毎日、とても寒くて困っています。
さて、前回から2ヶ月半ぶりのあるきろくです。
今回は、都道44号瑞穂富岡線をあるきます。
JR八高線の箱根ヶ崎駅からあるいて10分弱。
あるきろく20200321であるいた、都道5号青梅街道との交差点です。
もう1年10ヶ月も前のお話です。
この名前のない交差点が、今回のスタート地点となります。
なお、起点ポストはなく、お出迎えしてくれたのは、街道名表記の矢印標識です。
都道44号瑞穂富岡線は、東京都通称道路名では岩蔵街道。
青梅市の岩蔵温泉へと至る路線です。
したがってこの交差点名は、国道16号瑞穂バイパスからみた名称となりますね。
起点からここまで、いつもの通り、進行方向左側の歩道をあるいてきました。
実はこの1kmポスト、進行方向右側の歩道にありました。
ここまで、一つも距離ポストが見当たらず、不思議に思っていたのですが、普通であれば進行方向左側にあるはずの距離ポストが、ここでは右側にあったようなのです。
そしてこの先も、しばらくの間、進行方向右側の歩道に埋まっているのでした。
起点ポストもなかったので、ひとまず、見つけることができて良かった…。
都道179号所沢青梅線と交差します。
余り幅の広い道ではありませんが、国道16号線と並ぶように走る路線であるからか、大型トラックが数多く走っていました。
今日はここまで、道路脇には畑か、倉庫か、工場か、というような感じでした。
特に、岩蔵街道交差点から物見塚交差点までの間では、季節にはシクラメンが多く咲くようで、「シクラメン街道」とお手製の看板がいくつも立っていました。
さて、突然に野球場が見えてきましたが、周りの景色と調和していません(笑)。
不思議な光景です。
その手前の広大な空き地は、農林水産省の土地のようで、立入禁止の札が下がっておりました。
青梅スタジアムを過ぎるとすぐ、そこそこ急な坂道となり、頭上に高架道が現れます。地図を見ると、国道468号と記されているのですが、これは首都圏中央連絡自動車道、つまり圏央道でした。
普段から「圏央道」とは言っておりましたが、この文章を書くにあたって、初めてその正式な名称を知りました!
圏央道をくぐるところで、都道44号線はクランクしており、先ほどの交差点は「青梅インター入口」、こちらの交差点は「青梅インター入口第二」となっておりました。
ここで3.5km、時間にして37分。
ぼちぼちのペースでしょうか…。
交差する側の路傍に距離ポストを見つけました。
「支・終点 3.81km」とありました。
調べてみると、東京都道・埼玉県道63号青梅入間線の支線の終点ということが分かりました。
それほど遠くない将来にあるくことになりそうです、都道63号線。
霞川、というようです。
地図で追いかけてみると、青梅市根ヶ布にある霞池を水源として、入間川に注ぐ15kmちょっとの川でした。
この辺りはそうでもありませんが、下流に進むにつれ、整備はされているのでしょうが、昔の流路がそのままのような、そんな地図からの印象でした。
ここまでにも、開けた場所からたびたび富士山が見えましたが、ここで見た富士山には、あたまの上に輪っかのような雲が浮いていました。
これって、この後の天気を指し示す合図でしたっけ?
富士山を傍目に緩やかな坂道をあるいていると、このバス停が目に入りました。
なんと「峠下」です。
この先の道のりが、どんなに険しいものか、覚悟を抱かせる名前のバス停でした。
先ほどの「峠下」バス停からあるくこと4分。
さほど険しいとも感じることなく、切通し的ながらも頂点となる交差点に着きました。
そこから先は、長い下り坂です。
さて、この頂点では、左に大きなグラウンドなどを抱えた某宗教施設、右には山道への入口がありました。その先に「七国峠」があるそうです。
先ほどのバス停名は、こちらの峠の下を表しているのでしょうね。
さて、この七国峠とは、青梅市と飯能市を結ぶ峠であり、見晴らしがよく「七つの国が見える峠」ということから、この名前がついたとのことです。
なお、「七国峠」とネット検索すると、関東近郊だけでもそこそこの数が出てきますね。よくある名前のようです。
15分ほど緩やかに坂を下り続けると、頭上に標識、都道44号線が二手に分かれるお知らせです。
現地に到着すると、右側に温泉街の入口を示す櫓があります。
で、この先の進む道ですが、実は右に逸れゆく一車線の道路こそが、都道44号瑞穂富岡線の本線であり、真っ直ぐ進む道路が支線の扱いとなります。
古い地図を見ると、確かに昔から存在する道は右の道なんですよね。
ということで、ここから温泉街の方へあるいていきます。
何軒かの旅館やスナックの跡を見つつあるきます。
いまも経営されている旅館は1軒だけでしょうか。
5分程度で、温泉街と言いますか、旅館群を過ぎ、黒沢川に架かる湯場橋に到達します。
文字通り、温泉場に架かる橋、ということからの命名のようですね。
さて、折角ですので「岩蔵温泉」の名前の由来も調べてみました。
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が「身の安全を祈願して、岩でできた蔵に武具を納めた」という伝説から、「岩蔵」という地名となった、らしいです。
湯場橋で黒沢川を渡るとすぐ、岩蔵温泉交差点で東京都道・埼玉県道28号青梅飯能線に合流します。
そうです、この交差点が都道44号瑞穂富岡線の終点となります。
起点をあらわすポストもありませんでしたが、終点をあらわすポストも見当たりません。
ということで、都道44号瑞穂富岡線のあるきろくは【一旦は】ここまで。
時間:1時間28分
歩数:およそ11,000歩
距離:7.8km
でした。
ちなみに前回この交差点を訪れた20210530あるきろく、と同じアングルから写真を撮影してみました。
このときは、右に曲がると温泉パラダイスがあると信じての記載をしていますね。
さてさて、温泉街の入口で分岐した都道44号支線もあるいてみよう!とここから後戻りをすることにしました。
分岐まで戻ってきました。
今回はあまり見ることのできなかった距離ポストですが、何故だか支線については、このように起点表示がありました。
これにより、この分岐まで、箱根ヶ崎駅近くの起点から7.32kmであることが分かりました。
視線を支線に移します。
韻を踏んでみました。
さて、この支線といいますか、新しい道と言いますか、こちらは山を切り拓いて(切り崩して)通した道のようです。
この分岐からしばらくは、登り道になります。
先ほどは山と言いましたが、丘程度の起伏を越えて、5分ほどで東京都道・埼玉県道28号青梅飯能線の新岩蔵大橋交差点に到達です。
こちらは終点ポスト完備であり、7.76kmとのこと。
分岐点からでは、0.43kmということになります。
これまでは、支線のある路線においては、両方をあるくことが現実的に難しいこともあり、本線(もともとある路線)優先であるいてきましたが、今回は、分岐後それぞれの距離が短いことからコンプリートすることができました。
ということで、都道44号瑞穂富岡線のあるきろくはここまで。
時間:1時間45分
歩数:およそ11,800歩
距離:およそ8.7km
でした。
次回は、都道45号奥多摩青梅線をあるきます。
実は少しだけ厄介に感じておりまして、2016年度に国道411号線のバイパス道路にあたる道路が、都道45号線として開通していますが、これのほぼすべての区間がトンネルであること。
そして細かい分岐支線がいくつもあるようで、全容を地図だけでは捉えづらいこと。
少し勉強してから、挑む予定です。
おまけ
今回のゴールは、電車の駅から遠く、この地を通るバスも1時間に1本程度。
次のバスまでだいぶ時間があるので、結局はあるき続けることにしました。
東京都道・埼玉県道28号青梅飯能線を青梅方向に進みます。
この交差点近くにあるバス停から、東青梅駅までバスに乗車しました。
おわり
あるきろく20211107
2021年11月7日 あるきろく 都道をあるく(第29回)
秋を迎え、あるきやすい気候にもかかわらず、しばらくあるくことができず、少しだけストレスのたまる日々を過ごしておりました。
ひと月半振りのあるきろくです。
都道43号立川東大和線の起点は、立川市の羽衣町二丁目交差点です。
今回は、JR南武線の西国立駅からあるいて起点を目指します。
いまあるいている都道145号立川国分寺線から、北に(画像上は左に)分岐するのが都道43号線となります。
起点に到着しました。
起点ポストを探しますが、見当たりません。
しかし、片矢印型の「43」標識が、車線の両側にありました。
では、都道43号立川東大和線のあるきろく、スタートです。
これまでにもありましたが、起点ポストがない場合にも、0.1kmポストからしっかり設置されているケースが多く、この都道43号線も同様でした。
そして秋空を見上げると、そこには国立市に入るお知らせがありました。
中央快速線の天井付近がちらっと見えます。
その昔、一度だけ、この車検事務所(多摩自動車車検登録事務所)に来たことがあります。
ここで車検をしてもらったわけでもないと思うし、何で来たんだっけなぁ?
多摩車検事務所前交差点を左折して、都立立川国際中等教育学校と立川市立第二中学校に面して西に向かって歩き、数百メートル進んだ先で、再度進路を北に変えます。
立川二中前交差点を右折してしばらく、1.5車線の道路となりました。
立川市立第二中学校の敷地が途切れると、今度は陸上自衛隊東立川駐屯地の広大な敷地が現れます。それを右手に見ながら北に進みます。
昨年の大みそかにあるいた東京都道・埼玉県道16号立川所沢線と合流します。
ほんの少しの区間ですが、都道43号線は、この都道16号線と重用します。
都道16号線は南から北に向かう路線ですが、都道43号線はここから南に向かって、その道を間借りします。
都道16号線に合流して100メートルもあったでしょうか。
早速この交差点を右折して、再び北上を続けます。
ここからは、芋窪街道という東京都通称道路名もついてきます。
スタートから27分で2kmポスト到達です。
まずまずのペースであるいています。
左から合流する道路も都道43号線&芋窪街道です。
ここから上北台駅までは一本の路線ですが、南端・北端ともに、枝分かれしている都道43号線です。
正面から左にかけてモノレールの線路、高い建物はほかになく突き抜けるような青い空、気持ち良い空間です。
そして、ここに3kmポストを発見です。
多摩都市モノレールに乗っていると、立川市内では、柴崎体育館、そしてこの泉体育館と二つも体育館名の駅があります。
市民体育館が複数あるのもすごいですが、偶然とはいえ、それを結ぶモノレールもすごいです。
都道7号杉並あきる野線との交点に、砂川七番駅があります。
あるきろく20200723以来の砂川七番です。
今日はとても良い天気ですが、あるきろく20200723のときは、ずっと雨に祟られ、特にこの砂川七番辺りでは、文字通りの土砂降りに襲われました。
あの日は良く歩きました…。
玉川上水を渡ってすぐ、多摩都市モノレールと西武拝島線の乗換駅でもある、玉川上水駅に到着します。
これまでにも何度も玉川上水と絡んできました。
鬱蒼とした景色が多かったように思いますが、ここは駅近ということもあるのか、きれいに整備されています。
やっと良いタイミングで、モノレール車体を収めることができました。
多摩センターから上北台へ向かう列車です。
とてもきれいな駅名称ですが、これは、ここで交差する道路名称が「桜街道」であることに因ります。
多摩都市モノレールの「現在の」北端である上北台駅です。
都道43号の南端・北端が枝分かれをしていることは、先ほど記しましたが、北端の枝分かれはこの交差点からとなります。
モノレールの駅をまっすぐ進む新道と、左に分かれる旧道です。
あるきろくは、基本的には旧道を進むことにしておりますので、左側の道に向かうことにします。
名称こそ「上北台駅」ですが、駅前のバス停というには寂しすぎます。
時刻表を見て、ますます寂しくなりました。
平日の6時台に2本のみ、土日・休日は「運行しません」と記載されています。
巷で言うところの免許維持路線というやつでしょうか。
なお、ここで6.4kmです。
終点まであとどれくらいでしょうか?
上北台駅バス停を過ぎてすぐ、交通量の多い大通りに当たりました。
都道5号新宿青梅線でもある、新青梅街道です。
歩道橋から新宿方面を眺めると、モノレールの延長線上に当たる先ほど別れた道にも、都道43号、芋窪街道の記載があります。
さてこの交差点ですが、あるきろくでは、先ほども記した通り、二股路線はバイパス(新道)ではなく旧道をあるきますので、あるきろく20200321ではこの地点は通らず、本日終点の芋窪交差点で交わる青梅街道をあるきました。
新青梅街道を越えて10分、青梅街道と芋窪交差点で交わりました。
そして、ここが都道43号立川東大和線の終点となります。
普段なら、もうこれで終わりとするのですが、枝分かれした路線とは遠く離れているわけでもないので、青梅街道を介してもう一方の終点に向かうことにします。
都道5号新宿青梅線の13.7kmポストがありました。芋窪交差点との位置関係はご覧の通りです。
あるきろく20200321当時は、距離ポストへの意識がほとんどなかったため、この距離ポストには目を落とすことなく、先を進んでいきました。
今こうして見てみると、ここで13.7kmということは、都道4号新宿所沢線と分岐する田無町一丁目交差点からの距離のようですね。
13.6kmh都道5号線のもの。
頭上には、次の交差点を右に曲がると、芋窪街道&都道43号線だよ、の表示です。
枝分かれする北端のもう一方の終点である、蔵敷公民館北交差点です。
標識も青梅街道のものとは異なり、片矢印型ですね。
この道をあるき、先ほど分岐した上北台駅の南側まで戻ります。
向こうの方に、モノレールの駅が見えます。
再度、新青梅街道を越えます。
上北台駅まで戻り、枝分かれする都道43号の北端については、両路線をコンプリートしました。
ということで、本日のあるきろくはここまで。
実はスマートウォッチが故障しまして、距離はGoogle Mapを使って、歩数はスマホによる計測となります。
羽衣町二丁目交差点から芋窪交差点まで
時間:1時間29分
歩数:およそ8,800歩
距離:7.7km
蔵敷公民館北交差点から上北台駅まで
時間:15分
歩数:およそ1,350歩
距離:1.1km
でした。
次は、都道44号瑞穂富岡線となります。
瑞穂町の箱根ヶ崎駅近くから、青梅市の岩蔵温泉へ向けての路線です。
始点は都道5号新宿青梅線(青梅街道)、終点は都道28号青梅飯能線をあるいた際に通っています。
年内に是非あるき終えたいと思います…。
あるきろく20210925
2021年9月25日 あるきろく 都道をあるく(第28回)
またカラッとは晴れない日が続き、朝晩は涼しいというより冷え込むという表現の方がよくなってきた感じです。
昨日の晩「あるきにいっていいよ」との承諾が出ましたので、自宅に最も近い都道である41号稲城日野線を堪能することにいたします。
今日はスタート地点までバスでの移動です。
市跨ぎのため本数がさほど多くない(だいたい100分おき)聖蹟桜ヶ丘駅~稲城駅のバスを待ちます。
春日神社を10:04に通過するバスを待ちますが、なかなか来ません。
その時間を利用して、パチリパチリと撮影です。
10分ほどのバス移動、JR南多摩駅前で下車します。
南多摩駅からあるいて2~3分で、起点と思われる大丸交差点に到着です。
神奈川県道・東京都道9号川崎府中線でもこの辺りはあるいていますが、路面と植込みの中を、距離ポストを求めて丹念に探ります。
都道9号線の距離ポストはいくつかあるのですが、都道41号線のものはありません。
ちなみに1枚目の写真は、旧川崎街道との交差点で、小さく写る緑色の標識が目印になっています。
ここで都道9号線とはお別れです。
東京都通称道路名の標識においては、ここまで都道9号線、ここから先が都道41号線の表示になっています。
そして交差点を越えてすぐ、ヘキサ第1号が聳え立っています。
左手に稲城市立病院が見えてきました。
その手前には大丸公園。
その向こうには、米軍施設。
道路の反対車線側には産廃処理場や水処理施設など。
新大丸交差点を境に、人家が全くなくなります。
都道7号杉並あきる野線をあるいた際に、横田基地でも同じような看板を目にしました。
当然ながら米国人が書いたものでしょうか、改めて読んでみると、英語を習いたての中学生が忠実に直訳しました、的な日本語に仕上がっています。
学生の頃によく読んだ、宝島社のVOWを思い出しました。
ここで多摩市に入ります。
ちなみに多摩市はこの11月に50歳を迎えます。
さて、相変わらず左側は米軍施設、しかし右側にはゴルフ場が現れました。
正面に見えるトンネル状の屋根は、不意に飛んでくるであろうゴルフボール除け、であると思われます。
この交差点をサミットに、この先はジェットコースターの如く下っていきます。
休日の午前中には、サイクリストがこの坂を攻めにやってきます。
この交差点を左折すると、聖蹟記念館や都立桜ヶ丘公園、また某通信教育のCM(○ずが歌っていました)やドラマの撮影によく使用されるゆうひの丘があります。
曇っているため写真では認識しづらいですが、この先、多摩川沿いから遠くは秩父連山方面まで、眼下に大パノラマが広がります。
ここから車歩分離となり、歩道は一段下がった位置になってしまいますが、車で走るととても景色がよく、それだけでご飯が3杯食べられます。
車道が壁になってしまいますが、それでも歩道からでも、この景色が拝めます。
晴れていれば、もっとクリアに見渡せるのですが…。
ここで車道と合流します。
なお、ここを走る路線バスは、坂を上る方向は当然ながら高い位置の車道を走りますが、坂を下る方向はあるいてきた歩道と並行する側道を走ります。
歩道橋の上から撮影しました。
正面バイパス、左本道です。
大型車両は直進しますが、路線バスはバイパスは通らず本道へと入っていきます。
バイパスに入ってすぐヘキサが現れます。
そして植込みの中に数カ月前に見つけた3.7kmポストを、改めて探し出して撮影です。
これだけを撮影して、交差点に戻り、本道に向かいます。
犬の散歩などでよくあるくところですが、こうやって写真に撮ってみてみると、古くからある道だなぁ、という雰囲気が漂ってきます。
1時間半前にバスを待った春日神社バス停まで戻ってきました。
実はこのバス停、歩道橋の下にあります。
そして、この歩道橋の下には、あるきろく20200828番外編に登場した距離ポストが再度登場です。
そして、この距離ポストの表記は「4(km) 『都(道)』 41(号線)」であり、よくお見掛けする「4 主 41」ではありません。
都道18号府中町田線との交点である行幸橋(みゆきばし)です。
ここから新大栗橋交差点までは、都道18号線を逆行する形での重複区間となります。
行幸橋から新大栗橋交差点方面です。
真っ直ぐに敷かれた新しい道(とはいえ50年くらいは経つのかな?)ですが、わざわざ作ったような窪みが存在します。
あるきろく20210121にも書きましたが、平行して流れる乞田川が蛇行していた名残で、それこそ目の前の窪みに川の流れがあったものです。
左から、先ほど向ノ岡交差点で分かれたバイパスが下ってきます。
この交差点では「18」「20」「41」の3つの都道が集います。
あるきろく20200828番外編では、これら都道に囲まれたところをねずみ男に喩えましたが、この交差点はその頭頂部に当たります。
あるきろくでは何回目の登場でしょうか。
毎日通勤時に必ず通るところにある距離ポスト。
であるのに、あるきろくを始めてからその存在に気付いた距離ポスト。
数十m手前の新大栗橋交差点から、一ノ宮交差点までの1.5kmほどは、都道20号線との重用区間として進みます。
アニメ映画「耳をすませば」には、この駅周辺から桜ヶ丘住宅地の風景描写がたくさん出てきます。
ということで、聖蹟桜ヶ丘駅の電車接近メロディは、その主題歌であるカントリー・ロード(1番線はAメロ、2番線はサビ)です。
個人的には、古畑任三郎以前の田村正和さんが出演されていたTBSドラマ「男たちによろしく」のロケ地であったことの印象が強く残っています。
ここで都道20号線とは別れ、久しぶりの単独行動となります。
京王線と並行しながら、高幡不動方面を目指します。
梅の花をはじめ、季節季節の花々が咲き乱れる庭園、京王百草園の最寄駅です。
とはいえ、百草園までは歩いて15分くらい、それもとっても急な坂道(→自転車で上ることはまず不可能!)を上り続けての行程となります。
しかし、だからこそ、その見晴台からの眺めは絶景です。
ちなみに、小学生の頃によく、裏側にあった造成中の崖側からこっそり園内に侵入して、四季の移ろいを堪能していました。ごめんなさい。
都道41号線の距離ポストとしては、行幸橋手前の4.1kmポスト以来、2.7kmぶりです。
頭上にはモノレールの近未来ポイント、高幡交差点です。
モノレールの開通以前、開通以後では、高幡不動を中心とする交通体系にはだいぶ大きな変化が生じました。もう20年経つのですね。
一旦、高幡不動駅の駅ビルに立ち寄りトイレ休憩をしたため、少し時間がかかっての高幡不動尊です。
駅前から参道をあるけば近道にもなり、雰囲気も味わえたのですが、都道41号線をきれいにトレースしなくてはなりませんので、経路をはずれた地点に戻ってからの高幡不動尊でした。
直進方向は都道173号線となって、引き続き京王線と並行して高尾方面に向かいます。
都道41号線はここで右折し、京王線を跨ぎ、浅川を渡り、甲州街道に向けて北上します。
この後、高幡不動駅を13:00に発車する特急新宿行きです。
この橋を潜ってすぐ、高幡不動駅に滑り込みます。
高幡橋を渡った先では、都道41号線は左にカーブします。
真っ直ぐ進む道の方が、後からできた道で、幅も広くきれいです。
浅川の堤防上の道は、20190519あるきろくで浅川を源流までたどった際に通りました。
現・国道20号線と交差します。
左折方向には、土日や年末には途轍もなくごった返す某鮮魚店があり、その先には壁のような急坂が聳え立ちます。
高低差は30mくらいあるようです。
中央自動車道の下に「銃猟禁止区域」なる古めかしい看板がありました。
数十年前ならいざ知らず、令和の時代に、ここで猟銃で獲物を狙うハンターが要るとは思えず、何のために立っているのか不思議でなりませんでした。
いま「銃猟禁止区域」を検索してみたら、いまでは法律改正を受け「特定猟具使用禁止区域」と言うらしく、東京都の都市部のほとんどがその区域として指定されています。
そして、多摩川沿いには「鳥獣保護区」が指定されていて、ちょうどこの都道41号線がこの両者を分ける位置にあることが分かりました。
つまり、道路の右手は「鳥獣保護区」、左手は「特定猟具使用禁止区域」であり、それを示すための看板ということのようです。
頭上の標識を見ると、この先の交差点は丁字路です。
ぶつかる通りは都道256号線の甲州街道です。
10.9kmポストを見つけてすぐ、川崎街道入口交差点において甲州街道に合流です。
20200113 あるきろく 甲州道中をあるく(7日目)で通って以来です。
ここを左に曲がってすぐ、日野宿本陣があります。
ということで、本日のあるきろくはここまで。
スマートウォッチの計測では、
時間:2時間50分
歩数:およそ16,300歩
距離:およそ11.8km
でした。
さて次は、都道43号立川東大和線です。
起点・終点ともに、電車の駅から離れているのかな…。
距離は長くないですが、そういう意味では少し大変かもしれません。
立ち寄って、いろいろな資料を拝見しました。
甲州道中(それも旧道)の地図を地元の方々で編集したというリーフレットがあり、区間は限定されるものの、すごく詳しく表されていました。
以前はここには置いていなかったそうですが、これを先に手に入れていれば、甲州道中のあるきろくも、もう少し充実したものになっていたかもしれません。
1枚目の写真は、日野宿交流館の前から道路越しに撮影したものです。
2枚目はその重厚な門構えをパチリ。
4枚目は、天皇の足跡を記す石柱です。
20200113あるきろくでは、道路越しの撮影しかしませんでしたので、1年8ヶ月の年月を経て、その内部を見るに至りました。
あるきろく20210919
2021年9月19日 あるきろく 都道をあるく(第27回)
朝晩はだいぶ乾いた、涼しい風が吹き抜けるようになりました。
前日は台風の影響で、風は弱いものの、ものすごい量の雨が降りつけました。
でも、今日は台風一過、良い天気。
ということで、埼玉県道・東京都道40号さいたま東村山線をあるきます。
スタート地点は、さいたま市の県庁前交差点です。
そこまで、JR武蔵浦和駅から住宅街を抜け、中山道(国道17号線)に出て、歩いて向かいました。
県庁前交差点が近くなり、頭上の標識で県道40号線の方向が示されています。
1枚目は、ここまであるいてきた方向そのままに撮影しました。正面が埼玉県庁でしょうか。
2枚目は、これからあるいていく県道40号方面です。
3枚目、4枚目は、起点ポストなどないか?と道路端を眺めて、見つけたものです。
石標は、この先もそこそこの数を見つけました。
道路台帳基準点は見つけにくい色でもありますが、この先数か所で見ることができました。
では、東村山に向かってスタートします。
フェンスの向こうは、国立埼玉大学教育学部附属中学校です。
さて、あるきろくでは、基本的に進行方向左側、つまり車と同じ側をあるいていきますが、このヘキサは進行方向右側のものなので「第1号」と表現するのはちょいと違うと思っております。
緩やかに坂を下ると、右手に噴水のある沼(池)の周りに緑多き公園が。
そして写真には写っていませんが、ものすごい数のランナー、ウォーカーが日曜日の朝を楽しんでいました。
埼京線と東北・上越・北陸新幹線の線路をくぐり、西へと進みます。
それにしても、見慣れないほどに高さのある高架橋です。
貨物線としての武蔵野線が東北本線とつながるための線路ですね。
デルタ線の別の「辺」が目の前にあります。
その手前に、進行方向にあるものとしては第1号となるヘキサ出現です。
これまで所沢市内でいくつか見つけた黄色い距離ポストが、頭だけ出していました。
数字も文字も、何も読み取れませんでした。
その傍らには、スタート地点にもあった石標が、こちらも3分の2くらいが埋まった状態で鎮座。
2本目のヘキサです。以降、進行方向の本数だけで数えます。
よくよく見ると、ポールに小さいステッカーで「⇦新座方面」って書いてあります。
ここは、さいたま市桜区田島。
首都高を大きな交差点でくぐると、すぐその先に第3号登場です。
ここも、さいたま市桜区田島。
「県道」…。
なぜに「40」でないのか?
今日のヘキサは背が高い。
ここも、さいたま市桜区田島。
荒川を渡る秋ヶ瀬橋へのアプローチ部分です。
緩やかな上り坂だからか、向こうに見える空と雲との塩梅が海原にも見え、何か幻想的に感じています。
ここは、さいたま市桜区西堀。
荒川の上で、さいたま市から志木市に入ります。
橋の向こうには、東武東上線沿いに広がる市街地が見えます。
多摩川近くに住む人間としては、十分に多摩川も大きな河川であると思っていましたが、この荒川はすごいや。
もうどれだけの時間、この秋ヶ瀬橋をあるいているのやら。
さいたま市側とは違って、志木市側の秋ヶ瀬橋へのアプローチはカーブした急坂でした。
地表に下り、交差点を一つ越えると、このヘキサが出現しました。
ここは、志木市下宗岡。
ナンバリングは「01-13-08」ですね。
スタート地点のナンバリングは「01-13-01」でしたので、ここまでにそれだけの数が存在したということなのでしょうが、あいにく気付きませんでした。
「01」「13」は何を意味する数字だろう?
埼玉県はヘキサが充実していますね。
ここで7本目です。
ここは、志木市中宗岡。
およそ1ヶ月ぶりの中宗岡1丁目交差点です。
頭上の標識の通り、ここで県道36号線と合流します。
ここから先、東武東上線を越えるところまでは重用区間として進みます。
新河岸川を渡るいろは「はし」です。
「ばし」とは濁らないようです。
向こうに見えるのは、改築中の志木市役所です。
今度は柳瀬川を栄橋で渡ります。
前回、県道36号線をあるいたときにも、この町並みには気付いておりましたが、ゴールも近付き、早くゴールにたどり着きたい、という気持ちが先に立ち、写真は撮らずにスルーしていました。
史跡を見てまず驚いたのは、この通りの中央に野火止用水が流れていた、ということ。
浦和より川越の方が遠いということ。それにしても、この石標すごいですね。
前回も記した通り、すぐにクランクします。
改めて記しますが、重用区間をあるいておりますので、地図上は「36」を進んでおります。
ナンバリングが「12-1036-14」とあります。
「36」は県道36号線のことだよなぁ…と思うところですが、読み解けません。
30分ぶりのヘキサです。
「36」なので、数に入れないようにします。
志木駅東側の陸橋を渡ります。
駅のホームに電車が止まっているのがちらりと見えたので、下を通るのを待っての撮影です。
しばらくの間、県道36号線との重用区間でしたが、ここで別れます。
県道40号線は右折して、志木駅の南側をかすめるように進みます。
交差点の向こう、県道36号線方面は朝霞市になるようです。
いかにも、私鉄の拠点という風情です。
駅前ロータリーには多くのバスが停まっていました。
そして、朝とは違って、だいぶ日差しが強くなってきました。
ここは、新座市東北。
志木駅前ですが…。
志木陸橋(南)交差点で右折してから、およそ500m、早速左折します。
ここで右から来る一方通行の道は、その先を辿ると、本町3丁目交差点に行き着きます。
県道指定の際、わざわざ曲げずに、一直線にはできなかったのでしょうか?
コンビニに立ち寄り、甘栗とお茶を買いました。
なので、進んだ距離に対し、時間がかかっています。
マンションこそありますが、駅から近い割には高い建物は少ないです。
そして、緑が多く目に入ります。
ここも、新座市東北。
ラーメン屋さんの上を走るのは、JR武蔵野線です。
今日は、武蔵野線と着かず離れずの距離感で、同じ方向に進んでいます。
目の前には野火止交差点。
本郷三丁目から池袋、川越を抜けてはるばる長野に向かう国道254号線と交差します。
池袋から川越までは、川越街道の名称で親しまれていますね。
「40」看板も2ケタに至りました。
絶賛道路拡張中ですが、車列を見ると納得です。
早く完成するといいですね。
眼下には関越自動車道。
眺める方向は東京方面ですが、このように下り線は混雑しています。
あるきまわる自分が言うのもなんですが、緊急事態宣言とはいったい何ぞや?
これまでに一番本数の多かった都道は何号線でしょう…。
あっ、ここは埼玉県道でした。
埼玉県道では、前回の36号線も多かったですが、果たして何本だっただろうか?
いま、慌てて見返したら9本でした。
あと、神奈川県道2号線も最後の方でお祭りになりましたが、果たして何本だったでしょうか?
こちらも確認したところ、6本でした。
なお、埼玉県と神奈川県では立て方が異なり、神奈川県では進行方向と正対するのではなく、進行方向とは垂直に立てているものが主流のようです。
ちなみに、都道のなかではおそらく(面倒になり確認はしていません…)18号線が最多だと思います。
ついに東京都に突入です。
清瀬市に入ります。
2枚目の写真では、県道と都道との管理者の違いが如実に見えます。
(東京都に入った途端、いちょうマークのガードレールが出現!)
3枚目は、東京都道としての起点ポストです。
真っ直ぐ進んでも、左に進んでも都道40号線です。
左は、小金井を抜けて府中に向かう新小金井街道であり、都道40号線としては支線になります。
あるきろくは本線主義です(?)ので、ここでは直進します。
東京都に入り、早くも1kmが過ぎました。
ポストを見て「???」と思った点。
これまでの距離ポストでは、「主」要地方道○号線を示すものとして、km表示の数字と号線表示の間には「主」の文字があるものと解釈しておりましたが、今回初めて「都」の文字を見ました。
何かしらの意図があるのか、それとも間違いなのか、それとも別に決まりなどないのか?
「20210311あるきろく」以来、6ヶ月ぶり3回目の郵便局前交差点です。
前2回とは違う角度からのアプローチでしたので、新たな感覚で、つい「ほほう!」と口ずさんでしまいました。
電車が通るのを数分待ち、意気込んで撮影しましたが、あらためて腕がないと思いました。
清瀬市から東村山市に入ります。
本日最後の自治体です。
ゴールはもう目の前です。
ここまで立ちポストでしたが、この5kmは埋め込みでした。
車の出入りがある場所とかぶっていたので、そうしたのだと勝手に解釈しています。
先ほど野火止付近では高架をくぐりましたが、ここでは掘割りを跨ぎます。
武蔵野線は、この辺りから南方面に向けて、掘割りとトンネルが連続していきます。
そろそろ終わりが近いな、と撮影した6kmポスト。
5kmポストもそうでしたが、見慣れた「主」での表示です。
目の前の歩道橋の下は、秋津町三丁目交差点です。
都道4号線を新宿三丁目から所沢に向けてあるいた際に、ここを通りました。
標識を見ると、ここが都道40号線の終点になるのか…?
そこそこ交差点に近い位置にはありましたが、あたまに「終点」の文字はなく、また距離表示も100m単位でした。
秋津町三丁目交差点、歩道橋の下に着きました。
あたりの地面を見回しますが、終点を示す距離ポストは見当たりません。
道路の向こうに立つ、街道表示看板を見ると、「4 所沢街道」が両矢印になっているのに対し、「40 志木街道」は片矢印なので、ここなのかなぁ?とも思うのですが。
ただ、これまでにもありましたが、東京都通称道路名と都道の始点終点は同じではないので、あまり参考にはなりません。
ちなみに、東京都通称道路名の志木街道は、起点がここ秋津町三丁目となっています。
歩道橋を渡っているときに、この距離ポストが見えて、萌えました。
「終点」の文字を期待しながら、車の気配に気を付けながら見てみると23.6km…これは新宿からの距離=都道4号線のものだ!と肩が落ちてしまいました。
終点が明確でない場合には、考えられる回答のすべてをつぶすべきである、ことを、これまでの26回の「都道をあるく」の中で学んできました。
今回の、秋津町三丁目交差点以外に考えられる回答とは、都道16号線および17号線が都道4号線と合流(分岐)する、久米川町交差点となります。
山崎製パンの大きな工場に沿って、久米川町交差点に向かいます。
考えられるもう一つの回答、久米川町交差点に到着しました。
1枚目、2枚目ともに同じ街道標識を写していますが、少し角度を変えて、1枚目は所沢方面の道路を正面に、2枚目は秋津町三丁目方面を向いての撮影です。
ここは「あるきろく20200315(都道4号線)」で初出、「あるきろく20201231①(都道16号線」で2回目、「あるきろく20201231②(都道17号線)」で3回目、そして今回で4回目とすでにおなじみの交差点でございます。
終点が明確ではない今回を、「4回目」として良いのか悩むところですが、訪問したのが4回目であることには変わりありませんので、それはそれでご容赦賜りたく…。
さてさて、ということで、本日のあるきろくはここまで。
スマートウォッチの計測によりますと、およそ
時間:4時間10分
距離:22.3km
歩数:31,000歩
でした。
次回は都道41号稲城日野線です。
「あるきろく20200828番外編」として4kmポストを紹介しましたが、我が家に最も近い都道となります。
ちなみに、いま「あるきろく20200828番外編」をチラ見したところ、何と!今回10:31に出会った1kmポストと同じく「4 都 41」となっていました。
先ほどの記載では、初めて見たように書きましたが、ウソでした。ごめんなさい。
さてさて、都道41号線はすべての区間を知っていて、新たな発見もないと思いますが、本当の地元あるきということで、楽しみたいと思っています。
あるきろく20210822
2021年8月22日 あるきろく 都道をあるく(第26回)
夏の日差しが戻ってきました。
昨日、一昨日と、頭痛はひどいし、食欲はないし、熱中症でしょうか?
でも今朝起きたら、日は陰っているし、お腹もしっかり空いているし、これは行けるぞ!ということで、東京都道・埼玉県道36号保谷志木線に挑戦です。
西東京市立保谷小学校そばの交差点が起点です。
毎回毎回あるかどうか不安になりますが、今回はしっかりと起点ポストがありました。
埼玉県志木市に向けて、スタートです。
都道であること、地方主要道であることをしっかりと表現してくれる歩道橋を越えると、左手に目にも鮮やかな門が建っていました。
真言宗如意輪寺、とのことで、お寺の歴史は相当古いようですが、火災に遭った際に古文書なども消失してしまい、明確な歴史は不明のようです。
文化財がそこそこありますね。
今昔マップなどでこの辺りを見てみると、都道36号線の重なる部分は一部のようですが、ここで横切る地蔵通りは古くからあり、集落もあったようです。
保谷駅とひばりが丘駅の間にある踏切です。
ひばりが丘駅で退避する電車があるため、近接した時間で電車が通ります。
したがって、この時も3分くらい遮断機が上がるまで待たされました。
都道25号線をあるいた「あるきろく20210313」以来の、名もない交差点です。
あの時は、雨の中をあるき続け、この交差点を10:53に通過しています。
ここから東京都道・埼玉県道25号線の終点である栗原交差点までは、重用区間として一緒に進みます。
5ヶ月ぶりの都県境です。
天気も気温も全く違うあるきろくです。
そうそう、ここには不思議な2連続距離ポストがありました。
改めてじっくりと観察します。
あ…、そういうことか!
ちなみに、5カ月前にはこんな風に記載していました。
今回分かったこと。
・21kmポストは、都道25号線のもの
・もう一つは21.3kmではなく「2.13km」であって、都道36号線のもの
文字の大きさを見れば、3月の時も気付いて良かったはずなのですが、この時はここが重用区間であることも知らないし、また「21」という数字に引っ張られて勘違いをしてしまいました。
ひとまず、解決です。
この交差点は、これで3度目の訪問です。
1回目は、東京都道・埼玉県道24号練馬所沢線で。
2回目は、東京都道・埼玉県道25号飯田橋石神井新座線で。
そして今回3回目。
都道をあるいていたつもりでしたが、埼玉県のポイントにこんなに訪れることになるとは想像していませんでした。
埼玉県に入り早速、ヘキサとご対面。
ここは、新座市野寺。
東京都では、あまりヘキサがない代わりに、距離ポストをしっかり設けています。
一方で埼玉県は、距離ポストがない代わりに、ヘキサがしっかりと立っています。
ここは、新座市道場。
正面の円筒は、関越自動車道です。
新座料金所の辺りです。
ここも、新座市道場。
東京都道・埼玉県道24号練馬所沢線でも渡りましたが、黒目川を渡ります。
この橋の名前は、大橋ということです。
1km未満の間隔で、ヘキサが立っています。
ここは、新座市馬場。
黒目川を越えてから、景色が単調で、若干疲れが出てきました。
人間、そこそこ刺激がないと、気持ちが持たないものです。
ここは、新座市畑中。
丁字路に当たります。
通りの向こうは、朝霞市膝折町です。
埼玉県道36号線は、左折して緩やかな坂道を上っていきます。
先ほどの丁字路から坂を上ること4分。
再び現れた丁字路を右折します。
折角なので、電車が通るタイミングで写真を撮ろう、としばらく待っての撮影。
右手にある北朝霞駅の時刻表を見たところ、府中本町行きが11:00。
駅からの距離は明確ではないものの、1分もすれば来るかな…と待ちながら、なかなか来ず。
少しイライラしはじめたところで、ご対面。
朝霞市に入ってからは初めてのヘキサです。
電車待ちで多少時間をつぶしましたが、それでも29分振り、ということで、ちょっと距離が開きましたね。
ここは、朝霞市三原。
左折すると志木駅西口に至る道と交差します。
頭上の標識の通り、埼玉県道40号線です。
この40号線は、埼玉県内だけの県道ではなく、こちらもやはり浦和から東村山にいたる埼玉県道・東京都道40号さいたま東村山線です。
これから進む36号としばらく重用区間として、浦和方面からここに至ります。
そして、都道は37号、38号、39号と欠番が続くため、実は次のあるきろくで、早速この交差点を通過することになります。
歩行者は左奥の階段を使いなさい、ということです。
結果的に、だいぶ首を上に向けないといけない位置に、ヘキサを見上げることになりました。
そして、向こうに小さく東京メトロの車両が写っていますが、この跨線橋で東武東上線を越えていきます。
跨線橋は志木駅の東側を跨いでいきます。
ここで、あるいてきた方向を眺め、思い出したこと…。
15年くらい前の話です。
当時、板橋区に住んでいました。
東武東上線の成増駅の近くです。
1月2日に新年会をし、池袋から東武東上線に乗りました。
成増止まりの電車に乗ればよいものを、志木行きの電車に乗り、案の定志木まで来てしまいました。
折返しの電車はすでになく、財布の中身の空っぽ。
そして1月2日の深夜には、ATMが動いていない。
すると答えは一つ、あるいて帰るしかありません。
今日、この跨線橋の上から眺めた景色、あの時に半泣きしながら見た景色でした。
あの時は真っ暗だったけど。
確か、2時間くらいかかったんですよね。
おまけに、トイレに行きたくて仕方なかったのに、通る道にはコンビニがなくて、本当にしんどかった!
そうそう、志木駅自体は新座市にあるんですよね。
駅の北側(東口)のロータリーの辺りから、志木市になるんですよね。
ということで、埼玉県道36号線も、跨線橋を下り、交差点を一つ越えてから、志木市に入りました。
志木市に入った辺りで、右手に慶応志木高校を見つつ、緩やかに下っていきます。
底をついてから再び緩やかに上り始めたところで、ヘキサ第8号でした。
ここは、志木市本町。
ここでも丁字路の交差点に当たりました。
昭和新道交差点と言います。
ここを左折して、100mあるかないかの距離の本町3丁目交差点で、次は右折です。
この道は、県道がいくつも重用する(36、40、266、ほかにもあるかな?)区間です。
柳瀬川を栄橋で越えていきます。
頭上には「桜堤」と表示がありますが、川沿いには桜の木は見当たりませんでした。
新河岸川をいろは橋で渡ります。
この2本の川が合流する地点に、志木市役所があります(新築工事をしていました)。
ここで県道40号線とはお別れです。
次回あるきろくは、この道を向こうの方からあるいてくることになります。
県道36号線は、ここで左折して、最終区間に入ります。
志木駅を越えてから、結構遠いです。
なかなか着かないな、と思っていたら本日9本目のヘキサ。
ここは、志木市下宗岡。
国道463号線と交差し、真っ直ぐ進む向こうの道路は県道113号線。
ここ上宗岡二丁目交差点が、今回のゴールとなります。
一応、ゴールの表示がないか探してみましたが、見つけることはできませんでした。
ということで、本日のあるきろくはここまで。
スマートウォッチの計測によりますと、およそ
時間:2時間40分
距離:15.1km
歩数:21,000歩
でした。
距離はさほど長くなく、あるく時間も2時間40分程度でしたが、景色が単調、あるきはじめてからの日差しが強い、で、結構しんどいあるきろくとなりました。
このあと荒川の土手まで行って、しばし景色を眺めた後、コンビニで飲み物とフェイシャルシートを購入してからTシャツを着替え、駅までの道程はバスに依存しました。
さて次回は、すでに記載の通り、埼玉県道・東京都道40号さいたま東村山線です。
県庁前交差点が起点とのこと。
浦和まで行くのが大変だなぁ…。