あるきろく20210814
2021年8月14日 あるきろく 都道をあるく(第25回)
酷暑の続く夏です。
しかし、この週の後半は気温が上がりません。
天気も悪いですが…。
今週は土日で休み、日差しが無くて気温は低い、体調はそこそこ。
さあ、最難関の山梨県道・東京都道33号上野原あきる野線に挑むことにします。
山梨県道・東京都道33号上野原あきる野線が、山梨県上野原市の国道20号線から分岐する地点です。
この分岐点ですがJR上野原駅から、階段、坂道を上り20分ほど歩いての到着です。
ここまでに、結構な体力消耗です。
そんなこんなで、また雨降る中をスタートです。
道端にまで建物が迫っていますが、その背丈は低いので、圧迫感はありません。
建物の合間からその向こうの通りが見えたり、これから向かう山並みが間近に見えます。
とても気持ちの良いスタートを切ることができました。
ここでY字路にあたります。
県道33号線は左側に進みます。
google mapでルート検索をすると、車であれば33号線を選ぶのですが、「徒歩」とすると右側の道を選択します。距離(道のり)が短いのでしょうか?
鶴川の谷を挟んで、この先棡原郵便局の先で合流します。
これから山越えをするというのに、先ほどの分岐からこの鏡渡橋まではずっと下り道。
昔は、川面まで下ってから渡って、そしてまた上って行ったのでしょうか。
さて、この鏡渡橋の手前に、交通表示がありましたが、ご時世柄、交通とは無縁の内容が表示されていました。
また、スタートからここまで距離ポストもヘキサもありませんでしたが、鏡渡橋を渡ったところにこんな表示が。これはなんだ?
あるき始めて26分にして、初めてヘキサにお目にかかりました。
それも上下線ともに同じ場所で初出です。
先ほど鏡渡橋で見かけた謎の表示は、「G」だけでなく「A」が登場しました。
欄干幾分くたびれた感じの棡原大橋です。
竣工が1974年とのことで、おじさんと同い年です。
棡原大橋を渡ってすぐ右手の広場に、「長寿村 棡原」なる碑が建っていました。
昭和43年、甲府市の医師と東北大学名誉教授の報告により、棡原村(当時)は、長寿村として脚光を浴びることになったそうです。
しかし、その報告からの十数年で、急速に短命化も起きたことも後に報告されているそうです。
車社会になり、山奥と市街地がつながるようになることで、生活習慣の変化が極端だったのかもしれませんね。
橋梁名を控えることを失念しました。
地図を見ても、川を渡らないためか(?)、橋梁名称が記載されていません。
左にそれる旧道を目で追ってみましたが、だいぶ自然に還ってしまったようです。
ここに限らず、このようなショートカット新道がこの後もいくつか存在します。
こうして写真で風景を見ると、だいぶ山中に入ってきたように思えますが、時間を見ると、まだ1時間も歩いていないんですね。
都県境である甲武トンネルまで3時間を見込んでいましたが、この辺りから雨も強くなるし、目の前の山々の背の高さに圧倒されて、結構しんどい気持ちで歩いておりました。
若干ではありますが、下り坂となったところで、3本目のヘキサです。
この下り坂の先で鶴川を渡りますが、地図でははっきりとは分からないものの、恐らくそこを底として、その後は上り続けるんだろうな。ずっと道がくねくねしているし。
ここで左折すると、多摩川源流にある人口684人の村(2020年10月現在)小菅村に向かいます。
上野原駅からここまであったバス停も、小菅村方面へとつながります。
つまり、これからあるく道には路線バスは走りません。
倒れたら、そこまでです…。
ここに学校ですか!と思いました。
最初は、学校の看板を見たとき、校舎らしきものが見えず、背後にある木造の建物が校舎なのか?と思いました。
数十メートル道を進むと、コンクリートの校舎が表れましたが、この記事を書くために学校のホームページを検索してみたら、残念なことに平成24年3月31日に閉校してしまったそうです。創立は、なんと明治7年3月11日、ということで138年もの歴史を誇る学校だったのですね。
棡原小学校からもさらに山を上りました。
そりゃ熊も出没するというものです。
「熊出没注意」のインパクトに負けてしまっていますが、ヘキサがひっそりと立っていました。
ここは、急な斜面に数件の人家がありましたが、写真に見えるカーブを左に曲がると、檜原村の秋川沿いに下りるまで、廃屋も含めて何にもありませんでした。
もともと甲武トンネルから先の方が距離があることは分かっていることですが、でも、ここまでの体力&気持ちのすり減り具合から、この23kmは結構つらいものでした。
見えた…。
さようなら、山梨県。
やっと到着しました甲武トンネル。
3時間近くはかかるかと見込んでいましたが、2時間弱で到達できました。
でも地図で見る限り、ここまでの道のりと、檜原村役場までが同じくらいの距離感でしょうか。その先、武蔵五日市駅はまだまだ遠いです。
でも、多分上り道はこれでおしまい。気分を少し楽に、下っていくことにしましょう。
その前に、少し休憩して糖分、塩分、水分の補給です。
汗もたくさんかいたので、Tシャツも着替えます。
休憩を取る前に、トンネルの調査です。
トンネルの長さは954m、そのうち山梨県部分が399m。
そして足元に見える、東京都で良く見る距離ポストっぽいもの…「0.4km」!
写真には収めませんでしたが、この後「0.2km」「0.1km」も埋まっていました。
歩道が整備されているので、安全と言えば安全なのですが、それでもところどころ照明は消えているし、トンネル壁の下から歩道に土砂が流れ込んでいたり、やはりここをあるくことはおすすめしません(笑)。
で、そんな暗闇の中、都県境看板は容易に見つけられましたが、起点ポストも何とか見逃すことなく無事に撮影できました。
これだけで、だいぶ気持ちにゆとりができて、頑張ろうという気持ちになるから不思議です。
では、残り550mほどのトンネルから、早く脱出しましょう。
すぐ目の前に、栗坂トンネルが見えます。
知る人ぞ知る、山奥のヘリポートです。
この角度では分かりづらいですが、Google Earthで見ると「○にH」が良く見えます。
甲武トンネルと栗坂トンネルの間、ヘリポートの向かい側にあった距離ポストです。
これまでは、必ずと言っていいほどに、距離ポストは基点から終点に向かって左側の車線(歩道)にあるものでした。
ここでは、0.6kmポストが道路右側に出現です。
栗坂トンネルは209mとのことですが、ここで気になるのは、この栗坂トンネルと甲武トンネルの完成年月(?)が異なることです。
栗坂トンネルは1985年3月、甲武トンネルは1988年10月とあります。
栗坂トンネル完成以後、甲武トンネル完成以前は、この道はどのようになっていたのでしょうか?
甲武トンネルと栗坂トンネルの間で見つけた0.6kmポストから、12分しか歩いていないのに、なんと27.6kmの表示です。
いろいろな変遷があって、もしかしたら昔の基準に沿ったものかもしれませんが、どこからの距離になるんでしょうか?気になります。
ヘアピンカーブをいくつも経て、だいぶ傾斜が緩やかになったところで、道路の分岐を表す標識です。
左に進むと、数馬を経て都民の森に向かう檜原街道、右に進むと、檜原村役場を通って五日市。今回は、もちろん右に向かいます。
再び路線バスが走る通りに出ました。
仮にケガをしても、何とか帰宅はできそうです。
さて、ちょうど交差点に距離ポストがありました。
数字がはっきり見えませんが、3.2kmと思われます。
では、ここからは秋川の流れに沿って進みます。
時刻表を見たら、2時間に1本程度でした。
やはり、簡単にはリタイアできません。
あるきはじめて3時間ちょっと経ちました。
残りの距離を見ると、この辺りが本日の中間地点になるでしょうか。
ここを始めに、檜原村内ではこの黄色いポストが点在していました。
形はいつも見ている距離ポストと同じ。
色合いも含め、まるで東京都道・埼玉県道16号立川所沢線(→あるきろく20201231)で見たものと同じです。
数字はきれいに読み取れず、これは何を意味するのは不明です。
南郷という地区をあるいています。
ここで写真を撮ったのは、あるものを久し振りに見かけたからです。
それは自動販売機。
棡原小学校で見た壊れた自動販売機以来です。
稼働している自動販売機を最後に見たのはどこだっただろうか、記憶にありません。
五日市もそうですが、檜原市街(村役場あたり?)までもまだ6kmあります。
1時間強かかるかな?
上野原市内にはいくつもありましたが、檜原村でも、川の流れに沿った旧道から、橋を渡した直線化した道路がありました。
災害発生時などのことを考えると必要なんだろうな、と思う一方で、日常生活の中での必要性から見る費用対効果ってどうなんだろう?と考えさせられます。
ここで秋川同士が合流します。
ここまで一緒にあるいてきたのが南秋川。
ここで合流するのが北秋川。
北秋川に沿って都道205号水根本宿線が通っています。
この道は、奥多摩町を起点として山の中を通り、この交差点を終点とするようです。
見つけた終点ポストには、21.96kmの表記。
距離だけではそうでもないですが、場所を考えると歩くには勇気が要ります。
橘橋交差点を右折してすぐ、檜原村役場があり、そのまえに本宿役場前バス停がありました。
ここからは、1時間に1、2本のバスがあります。
もう倒れても大丈夫です。
やはり市村境は人気のない環境でした。
甲州道中でも多くの馬頭観音を見てきましたが、それが何なのか、あまり考えずにいました。
ここでは、その馬頭観音の損傷により、途端に自動車事故が増えた、ということなので、今の時代にもなおそれが残るということは、そういうことなのですね。
いかにもオカルト的ですが…。
残りの距離がこのくらいになると、もう安心です。
あと1時間程度の頑張りです。
ラストスパートしましょう。
この辺りまで来ると、川遊びもできるようになります。
近くには、日帰り温泉施設もあります。
ここにも都道の起点を発見しました。
東京都道201号十里木御嶽停車場線、青梅市の御嶽駅までの道路ということです。
さて、前回あるきろく20210718でも迷いましたが、都道32号線やこの33号線のゴールはどこでしょうか。
武蔵五日市駅前なのか、東町交差点なのか。
31号、32号、33号が集結する東町交差点です。
33号線の距離ポストには、数字は20.75kmの表記。
これまでの蓄積からすると、10m単位の距離表示は終点ポストであるはず。
でも、「終点」という文字は、頭の部分に書いてあるのが見えない。
困りました。
東町交差点から武蔵五日市駅まで、道端を丹念に見ましたが、距離ポストは見当たりません。
でもここまであるいてくれば、都道7号杉並あきる野線のように、実はショートしていた、ということにはなりませんので、これはこれで仕方なし。
ということで、本日のあるきろくはここまで。
スマートウォッチの計測によりますと、およそ
時間:6時間15分
距離:36.5km
歩数:50,800歩
でした。
次は、34号、35号と欠番が続き、したがって東京都道・埼玉県道 36号保谷志木線をあるきます。
西東京市の保谷小学校前交差点を起点に、西武池袋線、東武東上線を越えて、志木市の荒川近くまでの行程となります。
雨は降っていましたが、日差しがないことに加え、気温がそれほど高くなかったので、最難関とみていた山梨県道・東京都道33号上野原あきる野線もクリアできました。
甲州道中をあるく、を先にやっていなかったら、たぶんこの33号線は回避していたんだろうな、と思っています。
やはり経験の積み重ねにより、人間は強くなれるものです。
はて、何を話しているのやら…?
あるきろく20210718②
2021年7月18日 あるきろく 都道をあるく(第24回)
都道31号青梅あきる野線をあるき終え、そのまま都道32号八王子五日市線に突入します。
なお、今回は終点から起点へと向かっての行程となります。
都道31号青梅あきる野線および都道7号杉並あきる野線の終点でもある東町交差点からスタートします。
都道32号線の終点ポストを探してみましたが、見当たりません。
まさかとは思いますが、終点は武蔵五日市駅前とかってことはないよな?と思いつつスタートします。
次回あるくことになる山梨県道・東京都道33号上野原あきる野線で、再度ここを訪れますので、その時に確認したいと思います。
地図を見てお分かりの通り、都道32号線は一旦北に向かい、すぐに180度ターンをして南に向きを変えます。
そして、都道7号&31号線を権田トンネルでくぐるのです。
秋川橋で秋川を渡ります。
8時前ですが、河原にはすでにバーベキューを楽しみに準備する人たちの姿がありました。
視界に辛うじて武蔵五日市駅が収まる位置で、初めての距離ポストです。
終点から歩くということは、残りの距離がはっきりと分かる、ということなのですね。
ゴールまで2時間半を目安として、先へ進みます。
秋川を越えてから緩やかに、しかしそこそこ長い坂道を上ると、大きな公園があり、そしてその先にトンネルが見えました。
まだ新しく、きれいなトンネルです。
でも、供用開始は2002年ということで、まもなく20年になろうとしているのですね。
トンネルに入ると、強い日差しがないばかりか、ヒンヤリとしたこの日においては大変ありがたい空気に包まれました。
トンネル内もずっと緩やかな上り坂でしたが、とても涼しく、気持ちの良い時間でしたが、目の前には再びの灼熱地獄が待っています。
656mのトンネルを抜けると、そこで八王子市に入りました。
地図ではちょうど「32」マークのある三叉路です。
頭上には「五日市方面 車両通行止」とあります。
きっとこの道が、2002年以前は本道だったんだろうな、と思わせる道です。
こちらの地図の方が分かりやすいですね。
この道を上っていくと、小峰峠を(旧)小峰トンネルで越えて、五日市方面へ抜けるのですが、新小峰トンネルの開通により、その役目を終えたということのようです。
そういえば、都道31号にもありませんでしたね。
本日1本目のヘキサは、青梅をスタートして2時間50分経ってからの登場でした。
小峰トンネルを出てからは、蛇行しながら流れる川口川とともに、八王子市街地へと下っていきます。
圏央道をくぐったところでの6kmポスト。
今回は、これが残りの距離として明確なので、だいぶ気分が楽ですね。
あと1時間20分くらいでしょうか。
都道46号線である高尾街道との交差点です。
さて、この秋川街道はそれほど幅の広い通りではありませんが、この交差点あたりから、いわゆるロードサイドの飲食店チェーンが乱立しています。
八王子市の奥深さを感じるところです。
この辺りまで来ると、だいぶ街感が出てきました。
その一角の緑を背景に、ヘキサ2本目を発見しました。
萩原橋で北浅川を渡ります。
北浅川は、あるきろく20190519で、多摩川との合流地点から源流である陣馬高原までをあるきました。11時過ぎに、この橋を越えて、上流へ向けてあるいていきました。
左に曲がると、大和田橋の北詰で甲州街道に合流します。
右に曲がると、追分町交差点で甲州街道に合流します。
さほど距離は変わらないと思いますが、ショートカット的な北大通りです。
残る距離は200mです。
距離ポストの背後には、善能寺の立派な門が聳えています。
地図でも分かりますが、善能寺の隣に善龍寺、と同じような名前のお寺さんが並んでいます。
頭上の標識で、そこにゴールが迫っていることを改めて感じます。
そして、道端には0.1kmポスト。
国道20号線甲州街道に合流しました。ちなみに、起点ポストは見当たりません。
甲州道中をあるいた20200113に7時半ごろに通って以来の、本郷横丁です。
都内の幹線道路もここまであるくと、どこかしらでいつかあるいた道と遭遇するようになります。
ということで、都道32号八王子五日市線を「逆行する」あるきろくはここまで。
スマートウォッチの計測では、
時間 : 2時間20分
歩数 : およそ19,500歩
距離 : 14.0km
でした。
今回は、スマートウォッチの計測と距離ポストとが、ほぼピッタリのような気がします。もちろん、東町交差点に距離ポストがあったわけではないので正確な捕捉はできないのですが。
また、青梅市住江町交差点を起点とする、都道31号青梅あきる野線から都道32号八王子五日市線まで、通称道路名での秋川街道を全踏破したことになりますが、このトータルでは、
時間 : 4時間00分
歩数 : およそ33,000歩
距離 : およそ23.7km
でした。
さて次回、この都道をあるくの最難関ともいえる山梨県道・東京都道33号上野原あきる野線です。
体調と天候と次の日が休みである、などすべての条件が整わないと、チャレンジできないかなと思っているのですが。
あるきろく20210718
2021年7月18日 あるきろく 都道をあるく(第23回)
梅雨が明けました。
途端にものすごい暑さがやってきました。
そんなこんなで、6週間ぶりのあるきろくです。
今回は、都道31号青梅あきる野線をあるきます。
スタートは青梅駅からあるいて5分程度のところ、住江町交差点です。
ここは、あるきろく20210530の6:06に通ったところです。
2枚目の写真の通り、多摩川の河岸段丘を駆け下りていきます。
住江町交差点に起点ポストはありませんでした。
本日最初の距離ポストは、あるき始めて1分のところ、汚れがひどく読み取れませんが、恐らくは「0.1km」と思われます。
都道5号新宿青梅線と交差します。
ここをあるいたのは、昨年の3月でした。
なお、都道31号線についてもこの先、あるきろくの初期の初期、20190505であるいています。
この時は、飯能から青梅を通って武蔵五日市駅前までの行程でした。
この先、多摩川を渡ると、山の中をただひたすら上りゆく記憶です。
その前の穏やかな0.5kmポストでした。
我が家付近では、河原は幅広く、公園や広場なんかもあったりするわけですが、まだこの辺りでは、渓谷のような佇まいが残っています。
朝日が当たって、きれいな水面です。
国道411号線と交差します。
道路名称では吉野街道、多摩川を挟んで青梅街道を対になって奥多摩方面へ上っていきます。
30分弱ただひたすら坂道を上り、二ツ塚峠を越えたところで日の出町に入ります。
まだ6時台ですが、水分補給なしには上れません。
心なしか心臓のバクバク感が強く、出だしからハードなあるきろくになっています。
二ツ塚峠を越えた後は、ほぼ下り坂で体力を温存しながらあるくことができました。
ですが、やはり自治体の境目には尾根がある(笑)。
ここも、それほど急ではありませんでしたが、ゆるゆるっとした坂道を上ってのあきる野市突入でございました。
あきる野市に入ると、それぞれ異なる社会福祉法人の老人ホームが3件並んでいました。
ほほぅ、と眺めつつあるくとJR五日市線の高架が見え、駅前の雰囲気が出てきました。
ここで注意をしなくてはならないのは、都道31号線の終点がどこか?ということです。
頭上の標識を見ると、駅前交差点が終点のような感じもします、よね。
あるきろく20200723のゴール地点です。
あの時は、ゴール直前に左足小指のマメが破裂し、脚を引き摺りながらのゴールでした。
しかし、いくら探しても終点ポストを見つけることもできず、に終えた回でもありました…。
都道7号線をあるいた際には、これには気付きませんでした。
これが都道7号線の終点ポストか?
それとも、都道31号線の終点ポストか??
まだ都道31号線の終点位置は定かではありませんが、この先の交差点で右に都道32号線、直進方向に都道33号線と、きれいに番号が連続していて気持ちが良いです。
その分岐する交差点、東町交差点です。
左の電柱の足元に見える、2つの距離ポストは何のポストだ?
まず1つ目。
比較的はっきりと「主31」「終点」の文字も見えての、9.32kmでございます。
都道31号線の終点はここ、東町交差点ということでした。
続いて2つ目。
なんとまぁ、辛うじて「終点」の文字が見えます。
何号線かは読み取れないものの、この距離は都道7号線ですね。
そうか、あるきろく20200723はゴールできていなかったのか…。
約1年の時を経て本日、ここで都道7号杉並あきる野線をゴールします。
ということで、本日のあるきろくはここまで。
スマートウォッチの計測では、
時間:1時間39分
歩数:およそ13,500歩
距離:およそ9.7km
でした。
さて次は、都道32号八王子五日市線をあるきます。
起点からあるくとなると、八王子からなのですが、いまこの目の前に都道32号線は存在しています。
よって、このまま都道32号線に突入です。
が、それは「あるきろく20210718②」にて。
あるきろく20210607
2021年6月7日 あるきろく 都道をあるく(第22回)
梅雨っぽい天気です。
梅雨入り宣言は出ていませんが…。
今回は、都道29号立川青梅線をあるきます。
前回の結びでは、日野橋交差点からあるくか、勝沼交差点からあるくか考えるとしましたが、日野橋交差点からあるくことにしました。
自宅からは京王線、多摩都市モノレールを乗り継ぎ、甲州街道駅からあるいて日野橋交差点へ向かいます。
現在は都道256号線となりましたが、数年前まで国道20号線であった名残りとして、日野橋にはいくつも国道20号線の距離ポストがありました。この辺りは、日本橋から37km前後の位置になるようです。
大型五差路である日野橋交差点です。
まず起点ポスト探しですが、新奥多摩街道である都道29号線の起点ポストはすぐに見つかりました。ご丁寧に、そのすぐ先にヘキサが立っています。
でも今回は、こちらはあるきません。
奥多摩街道である都道29号線をあるくことにしています。
あるきろく20201231もここからのスタートでした。
耳がちぎれそうに寒かったことを思い出します。
奥多摩街道である都道29号立川青梅線は、正面の白い建物の右側です。
一旦交差点を渡り、奥多摩街道とは対角線の位置から写真撮影。
奥多摩街道と甲州街道とが交差する標識を収めます。
2枚目の写真を撮影し、ようやくスタートです。
これを見つけると、気持ちが落ち着きます。
日野橋交差点からここまでは、旧甲州街道でもありました。
旧甲州街道=甲州道中を諏訪から日本橋まであるいたのも、懐かしい思い出です。
ここでは、あるきろく20200113にて10:06に通過しています。
ここで右折して5分ほど歩くと立川駅です。
あるきろくはモノレールの線路の下を通って、西へと進みます。
モノレールの次は中央本線です。
立川駅を出て掘割を走る中央本線を、都道29号立川青梅線が乗り越えていきます。
写真は多摩川方面を写しています。
ここまでの距離ポストは、0.1kmと同じ金色のもので、数字だけが書いてあるものでした。ここで初めて青いポスト(埋め込みは同じですが)で、かつ主要地方道29号であること、そして「支01」との記載がありました。
ということは、新奥多摩街道が本線扱いなのでしょうか?
和田橋北交差点で都道59号八王子武蔵村山線、東京都通称道路名多摩大橋通りと交差します。都道59号線は、八王子市大和田町の国道20号線との交差点から、武蔵村山市内の都道5号線との交差点を結ぶ道路です。来年あたりあるくことになると思います。
そしてちょうどこの交差点に4kmポストがありました。
都道29号線同士、奥多摩街道と新奥多摩街道が交差する交差点です。
ここまで奥多摩街道は河岸段丘の上を崖線に沿ってクネクネとここまでやってきました。一方の新奥多摩街道は、多摩川に近い低地をバイパス新道らしく一直線でやってきました。ここで南北の位置関係が変わります。
JR八高線の線路をくぐります。
それよりも気になる「くじら運動公園」の看板…。
いまから60年前の1961年8月20日、八高線鉄橋付近の多摩川河川敷土中から、全骨格のクジラの化石が見つかったことに由来するそうです。
約200万年前の地層の中から見つかったとのことですが、この頃はこの辺りも海だったということですね。
国道16号線と交差する大きな交差点です。
国道16号線は、緩やかな坂の上で新奥多摩街道とも交差しています。
その交差点を越え、その坂を下ってこっちにやってくる車は、どれも相当なスピードで突っ込んできます。
金色眩しい寺院が突如現れました。
拝島大師は、天台宗の仏教寺院で、正式名称は本覚院というそうです。
本尊として祀る良源は、比叡山延暦寺の中興の祖と言われているそうです。
駐車所の入口から撮影しましたが、この後見かけた南大門の壮大な構えには圧倒されました。
ここでY字路が現れます。
どちらに進んでも都道29号線ですが、奥多摩街道は左側なので、そちらに進みます。
真っ直ぐ進むと、数百m先で新奥多摩街道に合流します。
「福」が「生」まれる縁起の良い名称の福生市です。
江戸時代にはすでに「福生」という地名があったようですが、それより前の時代の文書では「古佐」と記されているものもあるようで、地名としては音が先行し、後から縁起の良い字を当てはめたようです。
とここまで書いてきましたが、東京都西部に馴染みがないと読み方が分からないですかね?
「ふっさ」市と読みます。
1枚目の写真では、直進方向は車両通行止めになっていますが、こちらが都道29号線&奥多摩街道です。
右に曲がると数mで新奥多摩街道である都道29号線に合流します。
どちらを進んでも3枚目の写真、内出交番前交差点の手前で合流し、すぐに都道7号線のバイパスである睦橋通りと交差します。
あるきろく20200723で都道7号線をあるいたときには、ずっと五日市街道をあるきましたので、ここは初出となります。
ここで再び奥多摩街道と新奥多摩街道とは分かれて進むことになります。
鍋ヶ谷戸の由来が、福生市観光協会webサイトにありました。
「きつねと福なべ」という昔ばなしとして。
鄙びた雰囲気漂う踏切です。
あるきろく20200723以来の牛浜交差点。
都道7号線(五日市街道)との交差点です。
都道7号線は、この交差点を過ぎると段丘を駆け下り、多摩川を渡る準備に入ります。
この辺りから玉川上水の流れも開けてきて、空と同じフレームに収まるようになります。晴れていれば、もっときれいに目に映ると思います。
玉川上水に沿って進むこの辺りでは、距離ポストがこのように壁に埋め込まれていました。
今回は立川市をスタートして、昭島市、福生市と来て、ここからは羽村市です。
上に見える「羽村市」の標識の左下に、なんと「羽村町」の標識が。
市制施行が東京都の中でも後発であった(平成3年)羽村市ですが、そうは言ってももう30年が経ちます。
西東京市で見つけた「保谷市」の痕跡よりはマシだろうか…?
(ちなみに、保谷市と田無市の合併による西東京市の誕生は20年前でした。)
あるきろく20200126で通った四谷大木戸までの42.74kmの起点となる、玉川上水羽村取水堰です。
玉川上水は、あるきろくでもたびたび登場しますが、木々に覆い隠された細い流路という雰囲気です。しかし、江戸時代には江戸市中の飲料水確保のため、重要な上水だったのですね。
日野橋交差点から15kmです。
羽村西小学校の脇に立っていました。
この16.6kmポストの先、河辺東交差点で新奥多摩街道と再び合流します。
ひとまず、奥多摩街道側の都道29号線の最後の距離ポストということで。
1枚目の写真は、先ほどの16.6kmポストを過ぎてすぐのところからの撮影です。
右から新奥多摩街道がやってきます。
2枚目の写真は、新奥多摩街道側に移って青梅方面を写しています。
電柱の足元に距離ポストがあるので、それをアップで写したのが3枚目の写真。
「終点」および「支3」の表記と16.55km地点であることがこれで分かります。
ここまであるいてきた奥多摩街道の1.8kmポストに「支1」の表記がありましたが、どれが本線で、支線はいくつあるのか、など、またわからないことが出てきてしまいました。
2つの都道29号線が合流してから最初の距離ポストは16.7km。
ここから来た道を振り返ります。
右が奥多摩街道、左が新奥多摩街道です。
青梅マラソンは昭和42年を第1回として、10kmの部、30kmの部とで実施されている大会です。
公式ホームページを見て知りましたが、「マラソンの普及と強化」を目的に、また昭和39年の東京オリンピックで活躍した「円谷選手と走ろう」を合言葉に、誰もが参加できる大衆マラソンとして始まり、10kmの部には155人、30kmの部には182人が参加した、とのことです。
もちろん第1回大会には参加した円谷選手ですが、次年度の第2回大会に参加することはありませんでした。
あるきろく20200321で、この下の道をあるいていきました。
都道5号線はここから終点まで20分ちょっとでしたが、こちら都道29号線はあとどれくらいあるくのでしょうか?
ここでも都道29号線が二手に分かれます。
奥多摩街道は右手になりますが、支線の起点としてポストが埋まっていました。
18.61km地点です。
JR東青梅駅の南口ロータリーを越えてすぐ、19kmのポストがありました。
植込みに半分顔を隠していたので、手でかき分けての撮影です。
青梅市役所の先で分岐した「支5」と合流します。
ここにあった距離ポストは19.05kmの表示です。
終点が見えてきました。
都道29号立川青梅線の終点、勝沼交差点に到着しました。
先週、あるきろく20210530でもここを通過しています。
ということで今回のあるきろくはここまで。
スマートウォッチの計測では、
時間:3時間45分
歩数:およそ2万9千歩
距離:約21km
でした。
さて次回は、欠番の「30」を飛ばして、都道31号青梅あきる野線です。
これもまた、前回のあるきろく20210530でその起点を通過しています。
また青梅を訪れることになります。
あるきろく20210530
2021年5月30日 あるきろく 都道をあるく(第21回)
初夏です。
前回から2月半空いてしまいました。
今回は、東京都道・埼玉県道28号青梅飯能線をあるきます。
あるきろく20190505で、飯能から青梅を通って五日市まであるきましたが、その時にあるいた道の多くを今回あるくことになります。
青梅街道である国道411号線と旧青梅街道とが合流する交差点がスタートです。
地図では「青梅市民会館前」という交差点名称ですが、新しい建物が建つのに合わせて交差点名称も変更したようです。
なお2枚目の写真は、国道411号線の南方を眺めたものですが、向こうに小さく見える交差点は、都道5号線の終点です。あるきろく20200321で訪れています。
JR青梅線の青梅駅です。
青梅線は、その昔明治27年に開通した青梅鉄道を起源とします。
この駅舎は大正13年に、青梅鉄道本社として建てられたものということで、もうすぐ100年になろうかという歴史的建造物です。
都道31号線である秋川街道との分岐点です。
次回は都道29号、都道30号は欠番ということで、都道31号は次の次にあるきます。
0.7kmにして初めての距離ポストです。
これを見ると、正しい道を歩いていることを確認でき、安心します。
都道29号立川青梅線、奥多摩街道との分岐点です。
東京都通称道路名における奥多摩街道は、ここ勝沼交差点を起点とし、立川市の日野橋交差点へ向かいます。
一方、道路法による主要地方道東京都道29号線は、日野橋交差点を起点とし、ここ勝沼交差点を終点とする、とのこと。
次回あるくわけですが、どっちからあるくべきか…?
旧青梅街道は直進しますが、都道28号線はここで左折し、成木街道を名乗ります。
成木街道に入って初めての距離ポストは2.4kmでした。
鳥のさえずりは絶え間なく響き、眼前には山。
気持ちよくあるいております。
ひと山越えて下っていくと、成木街道はここ黒沢二丁目交差点で、左右に走る小曽木街道と交差します。
しかし、主要地方道としては、東京都道・埼玉県道28号青梅飯能線と東京都道・埼玉県道53号青梅秩父線とが、「X」字に接することになります。
この交差点には、都道53号線の2.5kmポストと都道28号線の4.1kmポストの両方がありました。
新緑まぶしい山里ですが、ここは東京都です。
右折するといくつか旅館があるようです。
日帰り施設はあるのかなぁ…。
成木川を渡ると、埼玉県となります。
東京都内の距離が如何ほどか、と距離ポストを探そうと思っていましたが、探すも何も都県境にありました。9.0kmでした。
埼玉県に入り10分ほど歩くと、今回初めてのヘキサ標識に出会いました。
埼玉県は距離ポストの設置は少ないですが、ヘキサはそこそこの本数を見かけます。
わずか10分後に2本目のヘキサです。
これはお祭りの予感…?
先ほどのヘキサを過ぎたあたりで、爆音を轟かせながら跳ね馬が走っていきました。
前に数台の車が連なっていたので、全然スピードは出ていないのですが。
さて、とてもきれいな道路が緩く曲がりながら前へ向かっていくのに対し、県道28号は信号もなく不自然に右に分岐します。
2枚目の写真の通り、右折したのち振り返ると、もともとはこちら側に来る道路のみがあって、先ほどのきれいな道路ができたときに主従関係が変わったんだな、と分かりました。
市の中心部をしばらくあるくと、頭上の標識には「28」の数字が消えました。
直進すると県道185号、左右は国道299号、ということでこの交差点が終点です。
右折し国道299号線に入ると、すぐそこに西武鉄道の秩父駅があります。
ということで、東京都道・埼玉県道28号青梅飯能線のあるきろくはここまで。
スマートウォッチの計測では、
時間:2時間32分
歩数:およそ2万歩
距離:約14.5km
でした。
さて次回は、都道29号立川青梅線をあるきます。
勝沼交差点のところでも書きましたが、どちらからあるこうか考えます。
日野橋から?勝沼交差点から?
あるきろく20210313
2021年3月13日 あるきろく 都道をあるく(第20回)
気合を入れて、今週4回目のあるきろく。
あいにくの雨です。
背中のリュックも含めて、ポンチョに身を包んでスタートです。
飯田橋交差点を歩道橋で渡り、その歩道橋の下で今一度進むべき道を確認し、もう一つ横断歩道を渡って、起点ポストの撮影です。
神楽坂上の交差点を右折し、神楽坂の商店街に入ります。
自分はあまり馴染みがないのですが、大正から昭和初期にかけては花街としても栄え、また多くの文人に愛され、小説の舞台にもなっていたようですね。
確かに左右に伸びる路地の奥には、風情ある建物などがちらほら見えました。
大雨かつ上り坂ではありますが、最初の1kmは11分と、なかなかのペースで入れました。
写真を撮る短い時間でしたが、両手を使うために傘を置いていたら、すぐにびしょびしょになりました。
交差する通りは、名称の通りに左折すると明治神宮外苑の東側を通り、青山一丁目、六本木を抜けて麻布十番に向かいます。
左右に分かれる道の間の鳥居は、穴八幡宮の入口です。
1062年に、源義家が奥州からの凱旋の途中、この地に兜と太刀を収め、八幡神を祀ったことから始まるようです。
名称の由来は、1641年、社僧が南側の山裾に見つけた横穴から、金銅の御神像が現れたことにあるようです。
明治通りと交差します。
右折すると池袋、左折すると新宿三丁目。
なお、神楽坂よりこの後しばらく東京メトロ東西線の上をあるきますが、この明治通りの下には東京メトロ副都心線が走っています。
その両線が交差する馬場口交差点ですが、ここに両線が接続する駅は作られませんでした。
高田馬場駅前に到着しました。
ガードの上はJR(山手線、埼京線)と西武新宿線、地下には東京メトロ東西線が走っており、とても利便性の高い駅です。
52分で5km到達です。
地図上での予習では、本日の行程は20km程度と読んでいますので、このペースであれば、所要時間は3時間半くらいでしょうか。
ひとまずのゴール目標時刻を10時20分と定め、先を急ぎます。
新宿駅西口を出て、青梅街道を越えると小滝橋通りが北に向かって伸びています。また都営バスの「小滝橋車庫」行をよく見かけることから、この名前には昔から馴染みはありましたが、実際に来たのは初めてです。
山手通りと交差します。
8kmポストは、JR中野駅から北、中野サンプラザの裏手にありました。
飯田橋から東西線なら13分、JR中央・総武線でも18分ですが、あるいてみると1時間半弱でした。
環七通りと交差します。
環七通り本線は、頭上を大和陸橋で越えていきます。
いつもならば、ここから環八通りまでの時間を計測しますが、今回は直進ではないため、これまでより相当に時間がかかると見込んでいます。
距離ポストのすぐ右側には、ごみ収集所があり、ちょうどマンションのごみ置場から管理人さんが運び出しているところでした。
邪魔にならぬよう一応気を使いながらの撮影です。
ちなみに、この5kmも50分といいペースであるけています。
直進も右折も都道25号線となっています。
あるきろくは「旧早稲田通り」とある右折方向を選択し、先に進むことにします。
その前に、交差点脇にあるCVSにてトイレ休憩&温かい飲み物補充をおこないます。
暖かくなってきたと思っていましたが、雨の中を長時間歩き続けると、手もかじかんでくるし、身体も冷えてきます。
先ほどの頭上標識では、直進方向も「25」となっていましたが、CVSを出ると目の前にこのポストが立っていました。
都道438号線は、この交差点を起点として、都道4号線・5号線(青梅街道)の井草八幡前交差点を結ぶ特例都道、であるという資料はあります。
都道検索システムを確認しましたが、やはりここから先は「438」であり、先ほどの頭上標識が誤りなのでしょうか???
本天沼二丁目交差点から、緩やかな坂を上りながら、旧早稲田通りを北上しました。
名称のない交差点ですが、どちらかというと細い方の道へと進みます。
環状八号線を渡ります。
これまで都心から郊外へ向けての放射線状の道をあるいたときには、環七から環八までの時間を計ってきました。
今回は、環七を越えてから道の方角が北向きに変わり、最短距離ではありませんので、参考記録として残すことにしますが、59分でした。
これまでの最短記録は、都道2号東京丸子横浜線の27分でした。
練馬区下石神井にある坂下公園に「所沢道」の記録を残す石標と解説板がありました。
前回の都道24号線と同様、この都道25号線にも地方主要道と言う割には交通量の多くもない細い道があるのですが、古くには江戸と郊外拠点とを結ぶ大切な位置付けにあったことがこれで分かりました。
石神井川を豊島橋で渡り、その先の丁字路である豊島橋交差点を左折します。
丁字路突き当りの奥は少し高台となり、禅定院や石神井公園がひろがります。
謎です。
10kmポストは8:31に通過し、撮影もしています。
ここでの「10km」とは、どこからの10kmを指すのだろう…。
謎の「10km」ポストから2分あるいて、15.2km。
住宅街の電柱のかげに隠れるように立っていました。
40代後半より年上の男性にしか分からない表現をしてしまいました。
さて、9:38とこの9:47の時間および距離ポストを見る限り、9:36の謎の「10km」ポストは、本来は「15km」ポストでありながらも間違って設置されたものであると確信したところです。
谷原交差点以西では富士街道の名称を持つ、都道8号千代田練馬田無線と交差します。
いや、交差というよりも、20~30m程度ですが、一瞬だけ富士街道とご一緒させていただき、すぐに分かれていく、という方が正しい感じです。
丁字でぶつかり左折して、すぐさま右斜めに逃げていく、そんな感じです。
富士街道と分かれた道は、ここまでほとんどの区間で一方通行です。
でも、google mapではいかにも自動車がたくさん走っていそうな太線で表示されています。
「都道」だから、「主要地方道」だから、などを理由に、実態よりも誇張されて表示されているのでしょうかね。
西武池袋線保谷駅のすぐ南に来ました。
都道検索システムでは、保谷駅のホームを挟むようにして南北でつながっているように見えます。
地下をくぐるのか、駅を跨ぐのか、それとも…?
結果としては、保谷駅で分断されていました。
保谷駅東側の踏切に迂回します。
見る地図によっては、この迂回する道に「25」と附番しているものもあります。
電柱と自転車放置禁止標識との間を直進すると、先ほどの壁の位置につながると思われます。
北側につながる都道25号線はこのような感じです。
国土地理院による地図HPより、保谷駅の航空写真を見てみました。
1960年代には、保谷駅のホームも短く、都道25号線の位置に踏切があるのが確認できます。
同じく地理院地図HPより1974年以降の写真を見ます。
保谷駅のホームが長くなっていること、また全体的に駅そのものが東側に若干ながら移動しているように見えます。
これにより、1960年代には存在した都道25号線の踏切もなくなり、道路そのものが分断されてしまいました。
広い通りにぶつかりました。
でも、都道25号線はクリーニング店の左側を抜けるように続いていきます。
なおここは、車止めにより自動車は通れません。
ここでも道路延伸工事をおこなっています。
西東京市ひばりが丘で190m、加えて埼玉県新座市内へと抜けるようですが、ここの看板には、あくまでも東京都内の事業計画しか記されておらず、新座市内に抜けた後、どこでどの通りに接続するのかわからない内容になっています。
で、あるきろくはこの交差点を右折し、北へ方角を変えます。
埼玉県に入るところまで来ました。
切りの良い場所に21kmポストがあった、と思ったら、その足元にもう一つの距離ポスト。
21kmポストと1mも離れていないのに、21.3kmポスト。
石神井で見つけた謎の「10km」ポスト同様に、謎が残るポストです。
埼玉県に入ってからは10分程度でしたが、この栗原交差点が東京都道・埼玉県道25号飯田橋石神井新座線は終点となります。
栗原交差点は、つい2日前のあるきろく20210311でも通りました。
2日前は今日とは違って、とても良い天気でした。
ということで本日のあるきろくはここまで。
スマートウォッチの計測では、およそ
時間:4時間20分
距離:20.5km
歩数:28,500歩
でした。
ん?距離が合わないですな?
距離ポストの数字だけでも21+αになるはずなのですが…。
まぁ、いいか。
さて次回ですが、「26」「27」と欠番が続くため、東京都道・埼玉県道28号青梅飯能線をあるきます。
この路線ですが、実はその大半を、あるきろく20190505においてあるいているのです。
このときは飯能から青梅を通って五日市まであるいたので、逆方向の行程となりますすが、およそ2年ぶりの再訪となることで、いまからとても楽しみにしています。
あるきろく20210311
2021年3月11日 あるきろく 都道をあるく(第19回)
今週3回目のあるきろく。
2021年に入ってからの遅れを一気に取り返しに行きます。
さて今回は、都道24号練馬所沢線をあるきます。
前回の都道20号から3つ番号が飛びますが、21~23は欠番のため悪しからず。
あるきろく20200815であるいた都道8号千代田練馬田無線では、九段下を起点とし、ここ谷原交差点を通過し、田無へと向かいました。
およそ7カ月ぶりの訪問となりました。
あるきろく20200815では、この分岐を左に入っていきました。
都道8号線は、ここまで目白通りを名乗っていましたが、ここから先は富士街道に変わります。
替わって、都道24号線が目白通りを引き継ぐことになります。
ここまでの道のりにおいて、都道24号は二股に分かれました。
一方は、目白通りの名称を維持したまま、北方へ向かうバイパス道として。
もう一方は、歩道も分離していない、幅の狭い2車線道路となり、名称も大泉街道に変化しての道。
あるきろくは、大泉街道を西方に向けて進んでいくことにしました。
するとこのような工事現場に。
数km南の調布市内で陥没事故を起こしてしまった、東京外環環状道路の工事現場です。
お別れしたバイパス道と関越自動車道とがぶつかる大泉ジャンクションに向けて、工事現場という名の空き地が広がっています。
つい手前まで地下だった道が、ここで地上にあらわれ、大泉ジャンクションで合流する計画です。
ちなみに地図を東京都建設局の計画図と地図とを比較して見ると、路線計画地の形で「地図が真っ黒=建物がない」状態になっています。
ここでは直進ではなく、側道のように右に分かれる道へと進みます。
登校時間と重なり、この道はスクールゾーンとして車両通行止めになっていました。
小学校の脇をなだらかに下りながら、先に進みます。
坂を下り切ると白子川が流れています。
中島橋で渡ります。
突如、左右に整備中の道が現れました。
目白通りとして別れていったバイパスの現終点となる北園交差点と、西東京市を南北に走る伏見通りから東に向けて伸びる道路とをつなぐ工事をしています。
パースを見ても、おそらくは4車線&立派な歩道を備えた通りになりそうです。
埼玉県の標識を確認したとき、最後に見かけた距離ポストの数字確認および撮影を怠ったことを後悔しました。
戻るのもしんどいので、そのまま先に進むのですが、路上の設置物のステッカーやマンホールの紋章が、何mか置きに東京都と埼玉県とのもので入れ替わるのです。
この作業を始めて、地図を見て納得するのですが、この辺りの都県境は相当ウネウネしているのですね。
この野寺小学校あたりで、やっと落ち着いた感じです。
この交差点は直進します。
頭上の標識にあるように、左折方向は県道25号線ですが、この「25」は東京都道・埼玉県道25号飯田橋石神井新座線のことであり、この栗原交差点を終点とする路線です。
そう遠くない将来に再訪します。
普通の感覚では直進なのでしょうが、この(都道・)県道24号線はこの交差点で右折し、車がすれ違うにはあまりにも細すぎる道となります。
右手に写るCVSでトイレ休憩&温かい飲み物を購入し、再スタートします。
大橋というには少し寂しい規模の橋です。
黒目川という名前ですが、ネットで検索してみると、「『黒目』川≒東『久留米』市」であり、つまりは同じ語源なんです、とする記事もありました。
何の変哲もない普通の住宅地。
1.7mを最大幅とする標識が立っています。
ほかに目印があるわけではありませんが、その左折方向が都道24号の進む方向です。
氷川神社という名称はよく見かけますが、素戔嗚尊を主祭神とする氷川信仰の神社であり、武蔵国の荒川流域を中心として200社以上存在するそうです。いまいる東久留米市内だけでも、この氷川神社を含め4か所あるそうです。
9:14の住宅街での左折時も、あらかじめの予習なくしてただしい道を進むことはできなかったと思いますが、ここもまた、何もない丁字路で左に折れ曲がります。
曲がってすぐ、6.6kmポストがありました。
間違いなく、正しいルートをあるいていることの証です。
今日あるいている道ですが、「主要地方道」の東京都道・埼玉県道24号練馬所沢線です。その定義は、高速自動車国道や一般国道と一体となって日本の広域交通を担う幹線道路、とされています。
この通りも、そのように認められているということです。
2車線の通りは「神山通り」というようです。
おそらく市道であると思われますが、主要地方道である都道の方が「合流する」という表現となる不思議な現象です。
この2車線の通りとは50m程度のお付き合いで終わり、右手のCVSの脇へ右折して入り込んでいきます。
あるいていてるときには気が付かなかったのですが、写真をよくよく見ると、直進方向は道路の舗装が変わっていますね。路側帯も手前と奥とで異なりますし。
これが、道路法で定めるところの種類が異なり、道路管理者が異なることの目印になるのでしょうかね。
まるで山道に入るかのような雰囲気でしたが、7.1km、7.2km辺りでは左手に「金山森の広場(金山緑地保全地域)」があったからでした。
7.3km、7.4km辺りは住宅街ですが、ところどころ畑が残っています。
ここで再び埼玉県に入ります。
左のマンホールは東京都東久留米市のもの、右のマンホールは埼玉県新座市のもの。
双方の紋章(市章)を確認いたしました。
「目印なく」としましたが、車が直進できないことや、周囲に建物が立つ前においては、角に立つお地蔵さんが目印であったのかもしれません。
それにしても、右に左によく曲がる路線であることは間違いありません。
100mと進まぬうちに、右折します。
東京都に戻ります。
今度は清瀬市です。
埼玉県部分は除き、東京都部分だけをつなぎ合わせた距離ですが、ここで7.6kmとなります。
真っ直ぐ進むと西武池袋線の清瀬駅ですが、あるきろくはここで右折です。
それにしても、駅から歩いて数分の場所に、こんなに広い畑があるんですね。
清瀬駅から北に向かうけやき通りと交差します。
直進する都道24号線は、1.7m以上の幅があると通れない区間となります。
駐車場もありますので、それなりに交通量もあるようですが、そうは言っても細い道です。今回は何度も表現しますが、「主要地方道」をあるいています。
車は左への一方通行です。
都道24号線も同じく左折します。
丁字路を左折して30mも進まぬうちに、五差路が現れます。
その手前には、金色に輝く8.5kmポスト。
目の前の五差路は、右に曲がります。
五差路を右折して合流した道は、都道15号府中清瀬線です。
あるきろく20201206の8:14の写真と同じアングルで撮影してみました。
都道15号線は目の前の交差点が終点で、重用区間はほんの少しだけです。
都道15号の終点を示すものはなく、あるきろく20201206では「もしかしたら」ということで、これからあるく都道24号を少し先まであるいていきました。
ちょうど「km」となる三角柱ポストの場合の場合には記載はあるも、円柱ポストや埋め込みポストでは、あまり「主●●」の記載はありません。
あるきろく20201206においても、このポストを見て、都道15号は先ほどの交差点までだな、と確信したところです。
9kmポストは正方形の埋め込みタイプでした。
背後には広大な畑が広がります。
都県境である柳瀬川も近づき、距離ポストをしっかり追いかけていきたいと思った矢先、清瀬橋手前の道が工事中で、迂回路になっていました。
したがって、この辺りでは距離ポストを見かけることなく、清瀬橋に差し掛かってしまいました。
清瀬橋を越えると埼玉県となります。
今回は、練馬区→(西東京市→新座市)→東久留米市→新座市→清瀬市→所沢市、と東京都と埼玉県とを行ったり来たりしながらやってきました。
かっこを付けた西東京市と新座市では、数m置きにさらに行ったり来たりでしたが。
直進する道路が最近完成し、交差点形状も変えている最中、という感じです。
最近と書きましたが、直進方向のバイパス道は2020年3月5日の開通、ということでおよそ1年前です。
直進するバイパスは、この先の松郷交差点で浦和所沢バイパスと呼ばれる国道463号線にぶつかり終点となりますが、数分間ながら車の流れを見る限り、それほど交通量が多いようには見えませんでした。
所沢の中心街に行くには、左折する旧道の方が距離も短くなるので、それほど旧道からバイパスへのシフトがなかった、ということでしょうか?
緩やかな坂を上っていると、武蔵野線のガードがありました。
ガードの辺りは一旦くぼみになるような感じで、下りて上って、となりました。
今回は東京都内では1本も見つけることができませんでした。
予習の段階で困ったこと、所沢市内に入った県道24号線の終点がどこになるのか?
ここをあるいている段階でも、悩んでいました。
地図などでは、バイパスを直進して国道463号線との交点、松郷交差点が終点のようになっており、旧道としても、この先の愛宕山交差点を右折し、県道179号との重用区間を経てバイパスに接続するようになっていますが、他の資料では、毎度おなじみの金山町交差点を終点とする記載もあります。
愛宕山交差点を左に、ということは、金山町交差点終点説が高くなる、ということです。
先ほどの頭上標識で、県道24号線が愛宕山交差点を左に進むのを見て、やはり悩んでしまい、たまたまそこにあったスーパーの駐車場で、いろいろと検索してみました。
でも、はっきりとした答えが見つからず、こうすることにしました。
バイパス道路の終点になる松郷交差点まであるき、そして金山町交差点までもあるく。
ということで、ここ愛宕山交差点を一旦右折して、清瀬橋の先でお別れしたバイパス道路を目指します。
愛宕山交差点から東所沢和田2丁目交差点は県道24号線と県道179号線の重用区間のようで、地図にもよりますが、「24」の数字が記されているものと「179」の数字が記されているものと、両方を見かけます。
実査において、ここで見つけたヘキサは「179」でした。
写真の右奥が、清瀬橋からのバイパス道路です。
このように、さほど交通量が多いわけではありませんが、ショートカット率は相当なものです。
国道463号線浦和所沢バイパスの松郷交差点です。
1枚目の写真の通り、左右は国道463号線、直進は県道126号線です。
2枚目の写真は、松郷交差点を浦和方面へ右折し、数十m行った先で振り返って撮影したものです。
県道24号線がここから(ここまで)ということが分かります。
愛宕山交差点に戻ってきました。
東所沢和田2丁目交差点を通らずにショートカットする道を通って戻ってきたところ、ちょうど正面によい標識がありました。
清瀬(橋)方面から所沢(市街)に向けて、県道24号線は走っているということです。
埼玉県はヘキサ文化が高いのかもしれません。
一方で距離ポストに関しては、東京都の方がだいぶ意識が高いように思われます。
先ほどのヘキサでは気が付かなかったですが、この2本目のヘキサを見て驚きました。
うっすらと、「24」の文字が浮いて見えるのです。
つい最近、上書きしたような、そんな感じです。
距離ポストを見つけました。
でも、頭頂部数cmが見えるだけで、肝心の数字などを確認することはできません。
またも出現、頭だけを見せる距離ポスト。
いや、先ほどよりは露出量は多く、2本巻かれているであろう線のうち1本までは見えました。
県道6号川越所沢線はここ元町交差点で右折し、北上していきます。
このことは、予習段階で把握できていたので、ここまでが県道6号線と県道24号線との重用区間であるならば、その先はまた単独区間であることを、標識で確認できるだろう、と考えていました。
ところが、この元町交差点には、アプローチ区間も含めて方向を示す頭上の標識がなく、肩透かしを食らってしまいました。
既に常連の感もある、金山町交差点が見えてきました。
県道24号線に関する情報が何かあるとよいのですが…。
あるきろく20201231以来の金山町交差点です。
もはや、見慣れた景色となりつつあります。
交差点の地面を隈なく探すも、「24」に関する情報は転がっておりませんでした。
したがって、交差する道路の標識がどのようになっているか確認することにします。
あるいてきた道は、東京県道・埼玉県道179号所沢青梅線として表示されています。
初めてこの地を訪れた、あるきろく20200315。
県道4号線東京所沢線を北上し、金山町交差点が見えた11時9分に撮影した写真です。
今回はこの角度からの撮影はしていませんが、この時の写真では、所沢(市街)方面の道路は確かに「179」ではあるものの、数字を張り替えたばかりのような雰囲気が漂っています。
ヘキサの数字上書きといい、この写真での張り替えといい、それほど昔ではない時期の作業に思えますが、これは、清瀬橋から東所沢和田2丁目へのバイパスが開通した2020年3月5日の出来事でしょうか。
路線番号の付け替えなども、発生しているのでしょうか?
そんなこんなで、疑問の残る中ではありますが、本日のあるきろくはここまで。
スマートウォッチの計測によりますと、およそ
時間:4時間20分
距離:19.5km
歩数:26,900歩
でした。
次は、都道25号千代田石神井新座線をあるきます。
飯田橋を起点に、今回も通過した栗原交差点までの行程となります。
それにしても今回は、これまでにあるいた都道19路線の中でも、出色の面白さでした。
主要地方道と言われる路線なのに、まったく「主要」感を感じない区間があったりで。