あるきろく 〜お散歩日記〜

48歳おじさんの歩き録です

あるきろく20201231②

2020年12月31日 あるきろく 都道をあるく(第15回)

 

東京都道・埼玉県道16号立川所沢線をあるき終え、すぐさま折り返し、埼玉県道・東京都道17号所沢府中線をあるきます。

 

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8:47 金山町交差点

早速のスタートです。

 

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9:29 東京都に突入します

金山町交差点での折り返し後、コンビニでの小休憩もあり、先程より10分程度多くの時間をかけて、都県境まで戻ってきました。

 

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9:34 久米川町交差点

久米川町交差点を右折し、府中街道の標識通りに進みます。

 

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9:52 東村山駅東口交差点

西武新宿線と西武国分寺線が分岐する東村山駅の東側です。
実は先ほど、都道16号線を所沢へ向かう道中、駅前ロータリーに入り、志村けんさん関連のものがないか探しましたが、見つけることができませんでした。
駅の反対側、西口ロータリーにも行ってみましたが、こちらでも分からず。
いま改めてネット検索してみると、東口ロータリーにある三本のケヤキの木が、その昔志村さんの広報活動へのお礼として植樹された記念樹とのことで、この案内看板がバス停そばにあったようです。もちろん気付くことはできませんでした…。

 

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10:02 野口橋交差点

新青梅街道との交差点である野口橋交差点まで戻ってきました。
先ほど都道16号線をあるいたときの写真に対し、対角線上からの撮影となります。
なお、都県境や久米川町交差点から、距離ポストを探しましたがここまでは一つもありません。

 

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10:11 西武多摩湖線をくぐります

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10:15 西武拝島線をくぐります

立て続けに高架線をくぐるわけですが、この西武拝島線は電車の見える方向に、とても急なカーブがあることで有名なスポットです。
地図を見れば良く分かりますが、短い距離で90度方向を変えます。
詳しいことは分かりませんが、曲線半径175mであるそうです。

 

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10:42 小川町西交差点

都道16号線を逆走する形で都道17号線をあるいてきました。
この交差点で都道16号線とお別れし、地図上でも都道17号線として表記されます。
右折すると、都道5号線に間借りする都道16号線として日野橋交差点に向かいますが、あるきろくは左折し府中へと向かいます。

 

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10:44 小川町東交差点

いま改めて思うこと。
小川町西交差点と小川町東交差点の間、数十mは、16号線なのか17号線なのか?
そもそも5号線との重複区間でもあるので、とてもややこしいのですが。

 

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10:47 都道17号線としての最初の距離ポスト

小川町西、小川町東の両交差点付近では距離ポストは見つけられませんでしたが、0.2kmポストを見つけることができました。
この後は、基本的に100m間隔でしっかりと設置されていました。

 

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10:54 津田塾大学

津田塾大学の正門前を通過します。
通りを挟んだ反対側も林になっていて、この一帯が落ち着いた武蔵野の風景に染まっています。

 

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10:55 久右衛門橋

玉川上水にかかる久右衛門橋を渡ります。
この橋の起源は、徳川幕府第8代将軍吉宗の時代、新田開発が奨励されていましたが、玉川上水南側で新田開発がおこなわれたことに伴うもの、のようです。
現在架かる橋は、昭和7年3月に架橋されたとのことで、レンガアーチによる構造となっています。

 

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10:59 上水本町交差点

都道7号線(五日市街道)と交差します。
「あるきろく20200723」では、この交差点での写真はありませんが、8時50分過ぎに通過したことが、前後の写真から分かります。

 

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11:12 西武国分寺線の踏切を渡ります

今日は何度も西武鉄道の線路と交わりましたが、これで打ち止めです。
なお、この踏切を渡る際、後ろから走ってきたライトバンが一時停止することなく、相当なスピードで踏切を渡っていきました。
運転していたおばさま、よろしくないですよ!

 

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11:20 JR中央本線をオーバークロス

JR西国分寺駅の上を越えていきます。
写真はJR中央本線のホーム、東京方を向いての撮影です。
この背後には、府中街道と並走するJR武蔵野線のホームがあります。

 

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11:35 府中栄町三丁目交差点

「あるきろく20201108」であるいた都道14号線と交差します。

 

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11:39 府中刑務所

高い塀です。
門の前には大きなスペースが広がります。
なお、こちら(刑務所敷地西側)は正門ではなく、正門は敷地東側にあるそうです。

 

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11:52 甲州街道との交差点が近付いてきました

国道20号線甲州街道)との交差点が近付いてきました。
この交差点を越え、数百m進んだ先の府中市役所前交差点が都道17号線の終点です。

 

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11:54 寿町三丁目交差点

府中駅付近の甲州街道はいつも混んでいます。
車の多さに対して道幅があまり広くないので、府中駅より東側へ車移動をするときには、甲州街道はほとんど走りませんね。
甲州街道都道229号線)や東八道路都道14号線)を使うことが多いですね。

 

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11:56 たぶん最後の距離ポスト

見落としがなければ、これが最後の距離ポスト。
甲州街道を越えて、京王線の高架をくぐってすぐの場所にあります。
終点はもう目の前です。

 

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12:00 府中市役所前交差点

「あるきろく20200113」で甲州道中をあるいたとき、「あるきろく20200823」で川崎から神奈川県道・東京都道9号線をあるいたときに続いての府中市役所交差点です。
都道17号線もここが終点です。
この交差点廻りの状況については、「あるきろく20200823」でさんざん調べて記載していますので、ここでは割愛しますが、時代は移っても、交通の要衝として欠かせないポイントであり続けるこの交差点はすごい!と感嘆します。

 

ということで、埼玉県道・東京都道17号所沢府中線のあるきろくはここまで。

 

スマートウォッチの計測によると、

 時間:3時間13分

 歩数:約 22,000 歩

 距離:約 15.7 km

でした。

 

日野橋交差点を起点とする東京都道・埼玉県道16号線を含んだ、本日一日のトータルでは、

 時間:約 6時間半

 歩数:約 44,650 歩

 距離:約 32 km

でした。

 

 

さて次回は、都道18号府中町田線をあるきます
その起点は、何とこの府中市役所前交差点なのですが、このまま引き続き都道18号線までいっぺんにあるく、はいたしません。
身体と時間とに少し無理がありますので、日を改めて実行します。

なお、都道18号府中町田線の大半が通称「鎌倉街道」であり、鎌倉街道上ノ道(鎌倉古道)に並行する道路です。
終点は東京都道・神奈川県道3号世田谷町田線との交点とのことで、以前お目にかかった景色と再び出会えます。

あるきろく20201231

2020年12月31日 あるきろく 都道をあるく(第14回)

 

年の瀬です。
晦日です。
新型コロナウイルスの流行という、あまりにも大きな出来事にすべてを左右された一年でしたが、本当にあっという間に過ぎ去っていこうとしています。

そんな一年のあるき収めをすることにいたします。
今回は、東京都道・埼玉県道16号立川所沢線をあるきます。

 

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5:21 スタート地点へ向かう道中

都道16号線の起点は、日野橋交差点です。
今回は、JR南武線矢川駅から甲州街道を西へ、スタート地点に向かいます。
頭上の標識看板の通り、日野橋交差点は、甲州街道は左折、新奥多摩街道は直進、右斜め方向に奥多摩街道、そして右方向に今回のターゲット都道16号線、ここからの道路通称「立川通り」が走る大きな交差点です。
なお、奥多摩街道は「あるきろく20200113 甲州道中をあるく(7日目)」にて向こう側から逆方向にあるいてきました。

 

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5:25 日野橋交差点と起点ポスト

今回はしっかりと起点ポストを写真に収めることができました。
実は数日前に車で通り、ここに起点ポストが鎮座していることを確認しておりました。
大寒波襲来の朝、フードをすっぽりと被り、所沢へ向けてスタートです。

 

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5:40 JR中央本線南武線をくぐる

中央線・南武線を線路の南側から北側へとくぐります。

 

 

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5:47 曙橋交差点

中央線・南武線をくぐり、東橋交差点を左折した先の曙橋交差点です。
写真では奥方向が立川駅、左方向がここまであるいてきた都道16号線です。
日中はいつも賑わっている立川駅周辺ですが、こんなにも静かで、人気のない立川駅周辺は初めてです。

 

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6:18 砂川九番交差点

都道7号線、五日市街道と交差します。
「あるきろく20200723」でこの交差点を通過しましたが、写真には撮っていませんでした。
なお、20kmポストの写真と砂川七番交差点との間に当たります。

 

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6:18 都道7号線の20.8kmポスト

砂川九番交差点で写真を撮ったその足元に、距離ポストがあったので撮影しました。

 

 

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6:26 小川橋

玉川上水を渡る小川橋です。
写真では辛うじて見えますが、鬱蒼とした茂みに肉眼では川面が見えませんでした。

 

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6:42 都道5号線(青梅街道)と合流

「あるきろく20200321」であるいた青梅街道を逆方向に、しばらく間借りしてあるきます。
1枚目の写真の左端に写っている距離ポストは、都道5号線の9kmポストです。
都道4号線と分岐する田無一丁目交差点からの距離です。

 

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6:50 小川寺バス停

「あるきろく20200321」でも撮影したポイントです。
直線の続く青梅街道で、視覚的にも明らかな曲線が久し振りに現れたことを記しています。

 

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7:00 西武国分寺線の踏切を渡ります

「あるきろく20200321」では、タイミングよく通過する電車を撮影できましたが、今回は、手前の信号あたりをあるいているとき、電車が行ってしまいました。
残念ですが、踏切から線路を写すのでした。

 

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7:03 小川町西交差点

しばらくの間、青梅街道を逆走しての道中でしたが、この交差点でお別れし、所沢へ向けて北上していきます。
ここから道路愛称は府中街道となります。
この府中街道の名前は、数十メートル先の小川町東交差点から府中に向けて都道17号線として南下します。

 

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7:06 再び都道16号線としての距離ポスト

小川町西交差点を左折、北上を始めすぐに見つけました距離ポスト。
ここは8.3kmですが、ちなみに立川通りが青梅街道に合流する直前の距離ポストは6.5kmでした。青梅街道との並走区間は、およそ1.7kmと思われます。

 

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6:41 これが青梅街道合流前の6.5kmポスト

 

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7:17 西武拝島線をくぐります

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7:22 西武多摩湖線をくぐります

この辺りは、西武鉄道の路線が複雑に絡み合っています。
たまにしか利用しない人にとって、効率の良い移動のための乗り継ぎを考えた時には、難易度の高い路線であるといつも感じています。
西武鉄道ホームページでその歴史を見ても、幾多の合併を経て今があることが分かります。

 

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7:30 野口橋交差点

もう一つの都道5号線、新青梅街道と交差します。
この辺りの新青梅街道は、本家の青梅街道と比べ、道幅も広く、走りやすそうな道路となっています。

 

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7:32 西武新宿線の踏切を渡ります

わずか15分の間に、西武鉄道の3路線(拝島線多摩湖線新宿線)と交差したことになります。
また、7:00に踏切を渡った西武国分寺線とは、小川町西交差点を左折して以来、ずっと200mくらいの距離を保ちながら並走しています。
この至近距離の中に、これだけの路線が詰め込まれていることからも、たまの利用者には難易度が高いと思うのです。

 

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8:08 府中街道として最後の距離ポスト

都道4号東京所沢線と合流する久米川町交差点に至る、最後の距離ポストは13.7kmでした。

 

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8:09 久米川町交差点

「あるきろく20200315」10:40に訪れて以来の久米川町交差点です。
前回は、新宿三丁目交差点からここまでをあるいてきました。

 

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8:16 都道4号線の最後の距離ポスト

前回あるいたときにはヘキサ標識ばかりに気持ちが行っており、距離ポストの存在などつゆほどもありませんでした。
したがって全く気付くこともなくあるいておりましたが、埼玉県との境に最も近い、すなわち都道4号線としての最後の距離ポストはこれで、その距離は24.2kmでした。
なお、都道4号線に合流して以来、都道16号線の距離を示すものは存在しませんでした。

 

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8:17 都県境に到達

柳瀬川を渡り、埼玉県に突入します。

 

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8:18 埼玉県道の起点ポストを発見

これも前回は気付くことができませんでした。
まぁ、そもそもガードレールの裏側に鎮座しておりますので、余程興味をもって探さない限りは見つけられないのでしょうが。
足元の埋め込みはともかく、ポストのレトロ感が半端ありません。

 

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8:19 ヘキサ標識

「あるきろく20200315」では10:45にこの写真を撮影していました。
ここから金山町交差点を目指して埼玉県道4号線を進みます。

 

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8:38 距離ポストを発見

見つけてしまいました、距離ポストです。
これもまた、植込みとガードレールとの隙間に隠れているのを発見しました。
距離ポストには「9」という数字のみですが、県境からの距離は900mではないよなぁ…と思い、後ほど地図で確認しての推測は1.9km。
都道の距離ポストも、「km」の数字は小さく、「(100)m」の数字が大きいですので、そういうことかと自分を納得させるしかありません。

 

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8:44 金山町交差点が見えてきました

終点はもう目の前です。

 

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8:45 金山町交差点

ついに金山町交差点に到着です。
すると、ここでも前回は全く気付かなかった埼玉県道の終点ポストが。
それも、起点ポストとは違って、気付かない方がおかしいというようなあからさまなロケーションでした。
写真を見ると、左奥にもう一本、黄色いポストが見えますが…。

 

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8:46 もう一本の終点ポスト

こちらもレトロ感満載の文字です。
ポストの文字を基に埼玉県道浦和所沢線を、そして先程の頭上の標識を基に埼玉県道179号線を検索してみましたが、経緯が複雑すぎてよく理解できません。
wikipediaによると「かつてはこの道路が浦和所沢バイパスとして指定されていたため、今でも幹線の至るところに当時使われていた浦和起点のキロポストが現存している」とのことです。

 

ということで、東京都道・埼玉県道16号立川所沢線のあるきろくはここまで。

 

スマートウォッチの計測によると、

 時間:3時間21分

 歩数:約 22,650 歩

 距離:約 16.3 km

でした。

 

 

さて次は、都道17号線をあるきます、となるのですが、都道17号線は今回と同様に都県跨ぎの主要地方道、埼玉県道・東京都道17号所沢府中線であり、その起点は金山町交差点、すなわちここです。

 

よって、このまま折り返し、府中に向かってスタートします。
が、それは「あるきろく20201231②」にて。

あるきろく20201206

2020年12月6日 あるきろく 都道をあるく(第13回)

 

およそ1ヶ月ぶりのあるきろく。
今回は都道15号線府中清瀬線をあるきます。

 

 

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5:55 府中駅から旧甲州街道をあるいて向かう

京王線府中駅から、「あるきろく20200113」であるいた旧甲州街道を通り、都道15号線の起点である八幡宿交差点に向かいます。
頭上の標識には、東京競馬場と対になる方向に都道15号線「小金井街道」の文字が見えます。

 

 

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6:00 都道15号線起点 八幡宿交差点

今日は、とても寒い朝でした。
風も冷たく、写真を撮る都度手が凍えます。
さて、起点ポストは見当たりませんでしたが、代わりに甲州街道「府中宿新宿入口」の碑を見つけました。
府中宿は、新宿、番場宿、本宿の三町で構成されていました。
では「八幡宿」は?となりますが、これは「あるきろく20200113」でも記載の通り、農業を中心とした村落の名称であり、宿場ではありませんでした。
では、清瀬に向けてスタートします。

 

 

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6:02 本日初めての距離ポスト

起点にポストが見当たらないといささか不安になりますが、それでもすぐに距離ポストが現れると安心するものです。
今日は、0.2kmポストが最初でした。

 

 

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6:03 小金井街道入口交差点

国道20号線甲州街道との交差点です。
甲州街道から見た名称として、小金井街道入口となったのでしょう。

 

 

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6:05 北南建前交差点

交差点の名称を見ただけでは、何の意味を持つのか全く分からない交差点です。
地図を見て合点がいきました。
「東京都建設局北多摩南部建設事務所」前、ということでしたか。
なお、都道15号線はこの交差点を右斜め方向に進みます。

 

 

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またもバラバラな距離ポストコレクション

北南建前交差点の後に確認できた距離ポストは、またしても(☜20200924あるきろく)バラバラでした。

 

 

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6:14 小金井街道 解説碑

甲州道中の時(あるきろく20200113)も、都道9号線(あるきろく20200823)でも、府中市内では、由来を解説する碑が充実していました。
今回も、立派な碑が立られていました。
(書いてある内容は、今回に限って言うとたいしたものではありませんでしたが…)

 

 

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6:31 前原交番前交差点

都道14号線東八道路との交差点です。
前回のあるきろくで、この交差点を通っています。

 

 

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6:31 こんなところに距離ポスト

前原交番前交差点の横断歩道を渡っていると、中央分離帯に2.7kmポストが鎮座しておられました。
なかなか滑稽な風景ではありました。

 

 

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6:46 武蔵小金井駅

府中から武蔵小金井まであるいたのは初めてでしたが、このくらいの時間で着くんですね。思っていたほどかからなかった、という感想です。
中央線が高架になる前は、車でこの通りを走ると、この手前の前原坂あたりから、必ずと言っていいほど渋滞が発生していた記憶があります。

 

 

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6:54 上水公園入口交差点と5kmポスト

この形の距離ポストは、見落としていなければ本日初めてです。
5kmを54分、そこそこいいペースであるけていますかね?

 

 

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6:59 小金井橋交差点と小金井桜の碑

都道7号線五日市街道との交差点です。
あるきろく20200723でここを通り、小金井桜の碑を撮影していますが、その写真は、夏であったこともあって草生しています。

 

 

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7:03 小金井公園西門

 小金井橋を越えると、しばらく小金井公園小金井カントリー倶楽部に挟まれて進みます。
道路は大きな樹木が立ち並び、ゆるく下る道であるため壮大な眺めです。
その樹木の東向こうには、小金井公園の大きな芝生の広場が見えています。

 

 

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7:04 小金井カントリー倶楽部 入口

政財界要人の人気も高いといわれ、その会員権価格の高さがしばしばニュースにもなる名門ゴルフコースです。
駐車場がちらっと見えましたが、高級車の展示場か!と思わせるもの。
世界が異なります…。

 

 

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7:15 都道253号線と交差します

あるきろく20200321およびあるきろく20200723でも出会った、風変わりな都道多摩湖自転車歩行者道」です。
多くの人がここをあるき、花小金井駅に向かっているようでした。

 

 

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7:16 花小金井駅脇の踏切

西武新宿線花小金井駅の脇を、踏切で渡ります。
朝日で逆光になり見にくい写真ですが。

 

 

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7:20 花小金井交差点

都道5号線青梅街道との交差点です。
以前この交差点を通った、あるきろく20200321の写真では7:25撮影となっています。
(アングル合わせをしなかった!)
偶然ですが、ほぼ同じ時間に通過しています。

 

 

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7:29 花小金井四丁目交差点

再度都道5号線との交差点を迎えます。
こちらは新青梅街道です。
あるきろく20200321では、両者が並行する場所においては、新青梅街道ではなく青梅街道をあるきましたので、この交差点はあるきろく初出です。
新青梅街道の方が、道幅も広く整備されていますので、交差点の規模もこちらの方がこちらの方が大きい感じがしました。

 

 

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7:41 前沢交差点

都道4号線所沢街道との交差点です。
以前この交差点を通った、あるきろく20200315の写真では9:50撮影となっています。
あるきろく20200315では、新宿3丁目から所沢までをあるいています。
この写真もまた、アングル合わせをしないままに撮影してしまいました。

 

 

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7:47 東久留米中央町郵便局と10kmポスト

五日市街道(小金井橋)から48分、西武池袋線花小金井駅脇踏切)から31分、都道5号線新青梅街道花小金井四丁目)から18分、所沢街道(前沢)から6分でここに至りました。
地図の縮尺ははっきりしませんが、均等のペースであるけているでしょうか?

 

 

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8:02 松山三丁目交差点

府中から平行してきた(1回だけ交差していますが…)新小金井街道と(再び)交差します。
地図(都道検索システム)では交差点の左右(押出し橋方面、こばとの森方面)ともに「15」号線になっていますが、矢印標識では、ここを境に押出し橋側が15号線支線、こばとの森方面は40号線となっています。
正誤としては、実地確認を優先して判断してよいでしょうか?

 

 

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8:09 清瀬駅脇の踏切を渡ります

西武池袋線清瀬駅西側の踏切を渡ります。
朝日は写り込んでいませんが、またしても逆光となりました。
後ほど帰宅時に利用をさせていただきます。

 

 

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8:13 用心しながら距離ポストを写真に収める


これまで終点に距離ポストがあることはまれであり、正確な距離を測定できずにいます。
したがって清瀬駅を越えてからは、距離ポストのすべてを撮影することにしました。
そして結果として、この距離ポストが最終となりました。

 

 

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8:14 頭上の標識では、「15」の行く先がない

目の前の交差点では、交差する左右への道は都道40号線、真っ直ぐ進む先は都道24号線となります。
すなわち、都道15号線の終点となる交差点が見えてきました。
なお、ここはすでに都道24号線との重複区間なんです、一つ手前の交差点から。

 

 

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8:16 郵便局前交差点

都道40号線志木街道との交差点である郵便局前です。
都道15号線は、ここで終点です。
周辺を丹念に調べましたが、終点ポストはありません。
正確な距離が見えないことから、最後に出会った12.5kmポストへ戻ることにしました。
実は本日、いくつかの距離ポスト間で歩数を指折り数えました。
本日のあるき方では、100mを110歩~115歩であるいていました。
郵便局前交差点から12.5kmまで戻る際の歩数は220歩、つまりおよそ200mということになりますので、距離ポストが終点にあったならば「12.7」となるものと思われます。


さてさて、ということで、本日のあるきろくはここまで。

 

スマートウォッチの計測によると、   

   時間:2時間16分

   歩数:およそ18,500歩

   距離:13.4km

でした。

本日の距離数値は、だいぶ精緻に出ていますね。
これまでの計測にも自信をもって良いでしょうか?

 

 

さて次は、都道&埼玉県道16号線立川所沢線をあるきます。
甲州街道奥多摩街道新奥多摩街道が集まる日野橋交差点を起点とし、都道4号線&埼玉県道4号線の終点であった所沢市の金山町交差点を終点とする道路です。

 

悩ましいのは、この金山町交差点が都道&埼玉県道17号線所沢府中線の起点でもあることなのです。
つまり、日野橋から所沢まで行き、その足で府中に戻るべきか?
それとも別々の日程であるくか?です。

 

まとめて歩くには、底冷えのする明け方前からのスタートは必須です。
別日程とするならば、わざわざ所沢(最寄駅は西所沢駅)まで移動が必要となります。
本当に悩みどころです…。

 

あるきろく20201108

2020年11月8日 あるきろく 都道をあるく(第12回)

 

お久しぶりのあるきろく。
今回は、西新宿を起点として府中方面へと向かう都道14号線をあるきます。

 

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5:42 山手通り 清水橋交差点

スタートは山手通りから方南通りとして分岐する清水橋交差点です。
最寄駅は都営地下鉄大江戸線の西新宿五丁目で、地上に出て2~3分あるいて到着です。

 

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5:44 清水橋とは?

清水橋交差点で起点ポストを探しましたが見当たらず。
次に、川も流れていないのに何故「清水橋」なのかが気になり、周辺をキョロキョロ。
橋のモニュメントを見つけ、撮影。
1960年過ぎまでは神田川支流の和泉川が流れていて、本当の橋が架かっていました。
昔の写真(地理院地図/1945~1950の航空写真)には、はっきりと写っていました。

 

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5:49 0.3kmポスト

起点ポストがなく不安な気持ちでのスタートでしたが、本日初めての距離ポストに出会いました。

 

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5:55 東京大学教育学部附属中等教育学校と1kmポスト

校門から数十メートル先のバス停「東大附属」に1kmポストがありました。
校門前を5:55に通過、1kmポストは5:57の通過です。

 

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6:04 丸ノ内線がいっぱい

東京メトロ中野車両基地です。
車両基地の中野検車区と、車両工場の中野工場から構成されるそうで、ものすごく広い敷地にたくさんの車両と建物がありました。
日曜日だったことも幸いしました。

 

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6:13 方南町交差点

都心から郊外に向けてのあるきろく恒例の環七通りです。
ここから環八通りとの交差点まで、今回はどれくらいの時間がかかるでしょうか?

 

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6:27 大宮八幡宮

平安時代中期の武将、源頼義により1063年に建立された神社で、「東京のへそ・子育厄除八幡さま」として親しまれているそうです。

 

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6:32 井の頭通りと合流します

この交差点で井の頭通りと出会い、しばらくの間一緒に北西方向へ進みます。
吉祥寺付近では井の頭通りは都道7号線支線であることは、これまでも何度か触れてきましたが、この辺りでは都道413号線を名乗っています。
ちなみに2枚目の写真は、井の頭通りからあるいてきた道を振り返っての写真です。

 

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6:42 浜田山駅入口

ここで都道413号線とはお別れして、名称も人見街道となり、西へ向かいます。

 

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6:53 環八通りとの交差点

恒例の「環七→環八」時間ですが、今回は40分でした。
都道3号線は39分、都道4号線は42分でした。

 

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7:08 京王井の頭線を渡ります

久我山駅の脇で踏切を渡ります。
写真には収めませんでしたが、富士見ヶ丘駅寄りの井の頭線神田川との間には、沢山の電車が停泊していました。

 

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7:15 牟礼橋

本日の最難関ポイント、牟礼橋です。
上北沢駅入口交差点で国道20号線と分かれた放射5号線は、都道14号線バイパスでもあるのですが、玉川上水にかかるここ牟礼橋で合流します。
ただし、合流の仕方が地図を見ただけでは良く分からないポイントなのです。

 

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歩行者及び車による玉川上水交差部周辺の交通動線(経路)

地図で見る限り、車道同士は合流していないように見え、都道14号線はどのように引き継がれるのか、と不思議に思っていました。

 

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人見街道はどこまでが都道14号線なのか?

都道検索システムの地図でも、人見街道と放射5号線の両14号線は交わりません。
そして、人見街道における都道14号線は御嶽神社の手前、信号機まで至らずに途切れており、そこから都道110号線に変わっています。

 

 

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7:25 14号線→110号線の境目はどこ?

地図(都道検索システム)ではこの辺りで110号線に変わるのですが、何もそれを示すものはありません。
向こうに見える信号機の位置や、右側へ向かう道(と記しましたが、その先は民家の敷地に入るシャッターがありました)との関係から、この辺りと推測する限りです。

 

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7:22 御嶽神社バス停と距離ポスト

時間が前後しますが、先に信号機の向こうにあるバス停まで行って、何かないかと探しました。すると、御嶽神社バス停の足元に距離ポストを発見しました。
都道110号線の9.2kmポストでした。
都道110号線は14号線とは逆方向、つまり府中からこの牟礼橋付近14号線との交点までを、ほぼほぼ人見街道として走る路線です。
少しだけ違和感があったのは、これまで距離ポストは、すべて起点から終点方面に向かって左車線側にあったのですが、110号線としてみるならば右車線側にあることです。更には、14号線のこれまでの距離とほぼ同じであることからも、14号線と110号線の境界がどこなのか、14号線として人見街道から放射5号線・東八道路への接続がどうなっているのか、などなど分からないことだらけで、この辺りを10分以上ウロウロしてしましました。

 

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7:28 東八道路の左車線側に移り、起点方向を振り返る

さて、そろそろ前に進むことにします。

 

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7:40 新川天神社

祭神は菅原道真公であり、もとは野川村天神山に鎮座していたものを、寛永16年(1640年)に当地に遷座しました。現在の社殿は、昭和32年改築のもののようです。

 

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7:43 東八道路に移って初めての距離ポスト

10.1kmポストがありました。
東八道路に移ってからは初めての距離ポストです。

 

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7:48 新川交番前交差点

都道117号線は、起点が世田谷区内の国道20号線交点、そして終点をこの交差点とする道路です。なお、吉祥寺通りの名称は、この交差点を挟んで、三鷹の森ジブリ美術館井の頭恩賜公園を通り、さらには吉祥寺駅前を経て青梅街道へと至ります。

 

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8:09 野崎八幡前交差点

あるきろく20200924、都道12号線を調布から田無へ向かう際に通りました。
9:46に同じ角度で写真を撮りました。

 

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8:22 人見街道都道110号線)と交差します

都道14号線とは切り離すことのできない、人見街道都道110号線と交差します。
人見街道は府中方面から野川公園の南側に沿ってここに至り、三鷹方面へと進みます。

 

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8:25 秋を感じる風景 野川公園の中を走る都道14号線

緩やかに右にカーブを曲がると、奥にはきれいな山並み、道路の両側には緑から紅葉に変わりつつある樹木が連なっていました。
とてもきもちのよい風景です。

 

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8:36 ヘキサ第1号発見!

久し振りにヘキサ標識と出会いました。
都道11号線をあるいたとき、都道3号線との重複区間でお会いして以来です。

 

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8:46 府中運転免許試験場と多磨霊園と距離ポスト

多摩地域に住む方であれば、誰もが一度は来たことがあるであろう府中運転免許試験場。その南側には、有名な物故者も多く眠る多磨霊園があります。
そして、ここに16kmポストがありました。

 

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8:50 ヘキサ第2号発見!

14分で2本目に出会いました。
このあともまだ会えるのでしょうか…。

 

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8:58 前原交番前交差点

17kmの距離ポストを越えてすぐ、都道15号線との交差点である前原交番前交差点に到着しました。
次回のあるきろくは、この都道15号線を府中市の八幡宿交差点から清瀬市に向けてあるくことになります。

 

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9:36 府中栄町三丁目交差点

都道14号線はこの府中栄町三丁目交差点では、立体交差により都道17号線である府中街道と、おまけにJR武蔵野線をくぐります。
地上の交差点では、南北に走る府中街道と丁字路として交差します。
立体交差は歩行禁止ですので、丁字路交差点で横断歩道を渡り、武蔵野線のガード下をくぐって向こう側に進みます。

 

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9:38 武蔵野線をくぐる

こんな感じの歩道が設けられています。
トンネル内の蛍光灯にも、都道14号線の管理ステッカーが貼ってありました。

 

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9:44 ヘキサ第3号発見!

本日3本目のヘキサ標識です。
お祭り認定とまではいきませんが、見つけるたびにテンションが上がりますね。

 

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9:48 西原町一丁目交差点

都道17号線バイパス、「新」府中街道との交差点です。
現在完成している東八道路としては、ここまでとなります。

 

今日は、この先国立府中インター入口交差点まで、道路予定地を追いかけます。

 

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9:52 事業計画の看板と、隙間から見る予定地の現況

西原町一丁目交差点から1,300m向こうの国立府中インターチェンジ入口交差点までが事業予定地となります。衝立の向こう側には、すでに車が走れそうなスペースが広がっています。

https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/content/000007415.pdf

少々古い資料ですが、東京都北多摩南部建設事務所の事業概要説明会資料が見つかりましたので、URLを貼付します。

 

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9:58 西原町交番の近く

一枚目の写真は、東八道路方面を眺めたものです。
この地図をじっくり見ると、西原町一丁目交差点から、何も建物がない空白地帯が道路形状になって表現されています。

 

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10:04 西原町公園近く

写真からは除いていますが、ポツンポツンと家屋が残っています。

 

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10:06 富士見通りより一本北側の路地

JR南武線を越えるためのアプローチ部分です。

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10:18 国立府中インター入口交差点から事業計画地を望む

国立府中インター入口交差点に到着しました。
都道14号線としては、事業計画区間も含め、ここが終点になります。
歩道橋の上から、事業計画地を望みます。

東八道路は「東京八王子線」として、この先、国道20号線日野バイパスを抜け、圏央道の高尾山ICにまで至る都市計画道路です。この計画自体は、昭和21年(1946年)に決定したとのことで、70年以上経った今もなお継続中の壮大な計画事業になっています。

 

ということで、本日のあるきろくはここまで。

スマートウォッチの計測によると、
 時間 : およそ4時間半
 歩数 : およそ36,000歩
 距離 : 25km弱
でした。

 

次は、都道15号線をあるきます。
先ほど交差した際にも記しましたが、旧甲州街道上にある府中市の八幡宿交差点から、清瀬市に向けてあるきます。

あるきろく20200924

2020年9月24日 あるきろく 都道をあるく(第11回)

 

今回は、初めて2日続けてのあるきろくです。
あるきやすい気候になったこともあり、昨日の疲労感も残っておらず、また今回の都道12号線は距離がそれほど長くないことから、いざ出撃です。

 

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8:56 下石原1丁目交差点

今回の都道12号線は、本線とバイパス支線それぞれの起点が隣接しており、その両方を確認してスタートしようと考えました。
先に、バイパス支線の起点を確認するためにこの交差点に来ましたが、起点を示すものはありませんでした。
実地調査と帰宅してから確認したことで分かったこと。
 ・都道12号線の道路名称である「武蔵境通り」のバイパス支線は、
  この交差点を起点としてるが、国道20号線との交点である
  下石原交差点までは、都道19号線であること
 ・都道19号線は主として「鶴川街道」を名乗るが、下石原1丁目交差点から
  下石原交差点までの間は「武蔵境通り」となること
写真に写る矢印看板を見ても、「19 武蔵境通り」となっています。

 

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8:58 都道119号線を東に向かいます

甲州街道である都道119号線を東へ、都道12号線本線の起点である小島町1丁目交差点に向かっています。
頭上の標識からも、次の交差点から都道12号線が武蔵境に向かう様子が分かります。

 

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9:00 小島町1丁目交差点

都道12号線本線の起点となる小島町1丁目交差点です。
何か起点を示すものは?と探しましたが見当たりませんでした。
そんなこんなですが、都道12号線のあるきろくをスタートします。

 

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9:02 0.1kmポスト

主要地方道」というには寂しい雰囲気の道路、そして起点ポストなどもない中での不安なスタートでしたが、その不安を吹き飛ばしてくれる、ありがたい距離ポストです。

 

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9:04 小島町交差点と距離ポスト跡

甲州街道である国道20号線との交点である小島町交差点です。
その手前には、0.2kmポストを外した跡がありました。
土台も少し欠けています。

この先一旦、バイパス支線と国道20号線の交点である下石原交差点に向かいます。

 

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9:07 下石原交差点

バイパス支線と国道20号線の交点です。
①「武蔵境通り」の矢印看板に記載の番号が左右で「12」「19」と異なりました
②「主19」「終点」の記載がある距離ポストがありました
③「主12-1」の起点を表す距離ポストがありました
実際に現場に行かないと分からないことはたくさんあるものです。

では、本線に戻ります。

 

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9:11 0.3kmポスト跡

都道12号線は、国道20号線を越えると電気通信大学の敷地に挟まれながら北へ向かいます。
電柱の足元に、距離ポストの跡がありました。

 

 

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9:19 1kmポスト跡 たぶん…

0.4kmポストは埋め込みタイプ。
0.5kmは取り外されていました。
0.6~0.8kmは見当たりませんでした。
0.9kmはカトリック教会のレンガ壁の前にありました。
そして1kmポストは、中央高速自動車道の下で見つけました。
たぶん、これだと思います…たぶん。

 

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9:24 御塔坂橋南交差点

ここでバイパス支線と合流します。
合流後の左車線側からバイパス支線を振り返りました。
幅も広く、見通しもよい、走りやすそうな道路でした。

 

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9:26 御塔坂橋

野川を渡ります。
昨日の都道11号線でも、何度か渡りました。
なお、橋の上に1.3kmポストが埋め込まれていました。

 

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9:29 深大寺入口交差点

深大寺への入口、右折する道は深大寺通りです。
今回あるいてみて思いました。
深大寺に行く、となると、当たり前のように調布駅からバスで、と思っていましたが、たいした距離ではないな、と。
調布駅からまっすぐ歩いてくれば、30分もかからずに着く距離ですね。
30分を長いととるか、短いととるかは人それぞれでしょうが。

 

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9:34 神代植物公園

2kmポストがありました。
神代植物公園も駅から遠いイメージがあって、頻繁に行こう、という感じではありませんでした。
実際に、今まで1回か2回、バラのきれいな季節に来た、くらいです。
駅から程よい距離の散歩をしながら、と考えれば全然遠くはないし、今後はたびたび訪れよう…かな?

 

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9:44 都立調布北高校と3kmポスト

高校受験を控えた中学生の頃(三十数年前)、当時は学区制度があった都立高校ですが、当然ながら自分の学区のそれぞれの高校がどこにあるかは興味のあるところです。
自分の該当する第10学区には十数校あったと思いますが、学区内で最もどこにあるかイメージの湧かない学校でした。
深大寺もそうですが、この辺りにおける位置や距離の感覚がなかったんだろうな、と思います。

 

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9:46 野崎八幡前交差点

野崎八幡前交差点では、都道14号線「東八道路」と交差します。
都道13号線は、あるきろく20200823にも記した通り、現在は欠番となっていますので、次回にあるくのはこの道路となります。

 

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10:06 塚交差点

都道134号線「連雀通り」との交点、塚交差点です。
頭上の標識では、都道12号線は直進となっていますが、「新武蔵境通り」を名乗るこちらの通りはバイパス支線とのことです。
本線はここで左折し、都道134号線に少しの間相乗りして行きます。

 

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10:10 日赤病院南交差点

頭上の標識にある通り、この交差点で改めて「12 武蔵境通り」の表示が表れます。
右折して、武蔵境駅方面に向かいます。

 

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10:13 武蔵野赤十字病院

久し振りに訪れた、武蔵野赤十字病院…。
もう7年前になるでしょうか、血尿が出て、街中のクリニックで紹介状を書いてもらい、ここに通院することになりました。
潜血ではなく、トマトジュースのような血尿が出たので、これは人生終わった!と思ったものです。
結果としては大病ではありませんでしたが、出なくなるまで5年くらいかかり、その結果、一時期は重度の貧血になり日常生活にも支障が出てしまいました。
今では血も出なくなり、安穏としておりますが、この病院でおこなった膀胱内視鏡検査の辛い思い出が残っています。

 

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10:22 JR中央線をくぐります

武蔵境駅のすぐ東側で、中央線をくぐります。

 

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10:29 すきっぷ通り

中央線をくぐってから、迷いに迷った武蔵境駅周辺です。
何故迷ったかというと、普通の感覚ならば中央線をくぐった後は直進と思うはずです。
でも、下調べによると、線路に沿って駅前ロータリーに向かっている都道12号線。
それはそれで進みましたが、さて駅前に着いた後、北に向かうのにどの道を入っていくのか、またこれで悩みました。
地図で見ると、某ファーストフードチェーン「M」の脇を北上するように見えましたので、その道をあるいていきましたが、正面に立ちはだかる建物。
地図では、建物に遮られることはありません。
一旦、駅前まで戻ります。
都道検索システムを目いっぱい縮尺を大きくすると、「M」脇の道ではなく、一本隣の大手コンビニチェーン「F」の脇の道であることが判明。
それが、この「すきっぷ通り」です。奥には、その向こうに続いていく道も見えます。

 

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10:32 すきっぷ通り出口

200mくらいの商店街を抜けて、「普通の」道路に戻ります。
なかなか難易度の高い武蔵境駅近辺でした。

 

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10:38 国木田独歩文学碑

玉川上水を渡る桜橋にある碑です。
文学作品には疎いものですから詳しく存じ上げませんが、碑に刻まれている文章は「武蔵野」第六章の書き出しとのこと。

「今より三年前の夏のことであった。自分は或友と市中の寓居を出でて三崎町の停車場から境まで乗り、其処で下りて北へ真直に四五丁ゆくと桜橋という小さな橋がある」

三崎町とは、現在の神田三崎町でしょうか。
水道橋駅から武蔵境駅まで電車に乗って、そこからここまであるいた、ということですね。

 

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10:43 境浄水場西交差点

都道7号線「井の頭通り」と交差します。
「井の頭通り」ですので、都道7号線の支線となります。
双方の矢印看板が立つその足元に、距離ポストが2つ並んでいます。
じっくりと見てみることにします。

 

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7.1kmポスト

7.1kmポストということは、ここまであるいてきた都道12号線の距離ポストですね。

 

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10.4kmポスト

井の頭通りとしての都道7号線支線は、環八通り交点を起点としています。
そこからの距離では、約7kmということで、先程「7.1km」は都道12号線のものだといったそばから怪しくなってきました。
ただし、都道7号線本線である五日市街道の10km地点は、この交差点すぐ近くの武蔵野大学バス停そばにありました。
ということはやはりこの10.4kmも、あるきろく20200723のスタート地点からで、どこかのルート、例えば、関前三丁目交差点から、こちらも都道7号線支線にあたる「新武蔵境通り」(ついさっきまで、都道12号線支線の名称でしたが。)を伝い、関前一丁目交差点で井の頭通りに入り、ここに至る距離、なのでしょうか。距離感としてはしっくりきますが、確証が持てません。
いつの日か、都道7号線については、この辺りの支線巡りをして、丹念に距離ポストを追いかける必要がありそうです。

 

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10:48 柳橋交差点

都道7号線の本線、五日市街道と交差します。
あるきろく20200723には、この交差点の写真をアップしていませんでしたが、撮影履歴に1枚だけ写真が残っていましたので、下に掲載します。
撮影の向きも異なるので、定点観察とはいえませんが…。

 

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2020年7月23日7:34の柳橋交差点

この日は途中大雨になりました。
柳橋交差点から先、30kmほどあるきました。

 

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10:57 西東京市向台町の分岐

都道12号線は左へ参ります。

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形バラバラの距離ポストコレクション

8.3kmから100m間隔でしっかりと距離ポストは設置されていたものの、何故にまぁこんなにバラバラか?
同じ種類でそろえた方が、何かと良いかと思うのですが。

 

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11:05 西武新宿線田無駅そばの踏切を渡る

「あるきろく 都道をあるく」を始めてから、何度も訪れる田無駅
今回もまた後程、お世話になります。

 

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11:11 田無町交差点

都道5号線青梅街道と交差します。
あるきろく20200321で、この道を青梅まであるいています。

 

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11:13 9.1kmポスト

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11:14 9.2kmポスト

終点を目前に控え、丹念に距離ポストを拾うことにします。

 

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11:15 都道4号線 所沢街道との交点

終点を示す表示は何もありませんが、矢印看板は片矢印であり、おそらくは終点ではないか、と思われます。

 

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田無町三丁目交差点 地図のみ

これまで何度か出てきましたが「新武蔵境通り」も並行して北上し、田無町三丁目交差点で都道4号線にぶつかりますが、その最後の数百mが、また都道12号線支線となっています。
都道4号線を東に向かい、こちらに終点を示すものがないかと捜索しましたが、矢印看板すらない状況であったため、写真を撮らずに退散してしまいました。
今更ですが、写真だけでも取っておけばよかったと…。

 

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11:19 都道4号線の16kmポスト

あるきろく20200315では気付きませんでした。
新宿三丁目交差点から16km地点です。

 

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11:21 田無町一丁目交差点

あるきろく20200315、あるきろく20200321でこの交差点には来ております。
都道4号線と都道5号線が分岐し、都道4号線はここから名称を「所沢街道」と変え、都道5号線は都道4号線から「青梅街道」の名前を引き継ぎリスタートします。
さて、今では当たり前のように目に入る都道5号線の起点ポストですが、当時はどのような扱いであったか、両方の記事を振り返ってみます。

 

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あるきろく20200315

青梅街道と所沢街道それぞれの矢印看板をできるだけ大きく撮ろうとしています。
よって、グラウンドレベルには気持ちが向いていません。

 

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あるきろく20200321

1枚目の写真は、あるきろく20200315と同じアングルを意識したようで、やはりグラウンドレベルは無視です。
2枚目の写真は、二股に分かれ行く街道の様子を収めようと、だいぶ引き気味のアングルでの撮影となっています。
その結果、意識はしていませんでしたが、都道5号線の起点ポストが写りこんでいました。

 

 

と、過去の写真も振り返ったところで、今回のあるきろくもここまで。

 

 

スマートウォッチの計測によると、田無町一丁目交差点までを含んでですが、
 時間:2時間半弱
 歩数:15,000歩
 距離:11km弱
でした。

 

次は、今回のあるきろくにも登場した都道14号線をあるきます。
山手通りの清水橋交差点を起点に、国立インター入口交差点まであるきます。
ただ、終点近辺は、ずっと昔から工事中でなかなか完成しない様子です。
普段は車で表面をなぞっているだけなので、この未成区間についても、実際の工事の進捗度合いを見たりしながら、あるきたいと思います。

再三言いますが、都道13号線は欠番です。

あるきろく20200923

2020年9月23日 あるきろく 都道をあるく(第10回)

 

気が付くとだいぶ涼しくなっていました。
むしろ朝晩は寒いくらいです…。

 

さて今回は都道11号線。
大田区蒲田から、調布市までをあるきます。

 

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6:02 東蒲田二丁目交差点

京浜急行電鉄京急蒲田駅から2~3分あるいた交差点、国道15号線から分岐する東蒲田二丁目交差点が、今回のスタートです。
パラパラと雨粒が落ちてくる中、多摩堤通りをあるいていきます。

 

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6:10 蒲田五丁目交差点

道なりに真っすぐ行くと、JR蒲田駅にぶつかります。
都道11号線は、この交差点を右折し、そして10mと行かぬうちに左折して、JR線の下をくぐっていきます。

 

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6:14 JR線をくぐって、横を見ると蒲田駅ホーム

JR線を蒲田駅のすぐ北側でくぐります。
くぐり終えて、左側に目をやると、大宮行の京浜東北線が出発を待っていました。

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6:23 東急池上線 蓮沼駅

蒲田駅付近の賑わいの余韻が冷めやらぬうちに、駅が現れました。
蒲田と五反田を結ぶ東急池上線蓮沼駅です。

 

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6:33 多摩川一丁目交差点

環八通り都道311号線)と交差します。
今回は、環七通りの外側をスタートし、都道9号線と同様に、南北方向の路線となるため、あるきろく恒例の「環七→環八 タイムトライアル」はありません。

 

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6:34 東急多摩川線と交差します

環八通りを渡ると一方通行になりました。
そしてすぐに踏切が現れます。
蒲田駅多摩川(旧称・多摩川園)駅を結ぶ東急多摩川線です。
多摩川」を名乗る駅名は、小田急線の和泉多摩川駅京王相模原線京王多摩川駅がありますが、東急電鉄は社名を冠として付けず、です。
「東急」と付けていただいた方が、どこにあるかのイメージがつけやすいのですが。

 

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6:36 国道一号線と交差します

立て続けに大きな幹線道路と交差します。
でも、なぜ国道1号線なのに第二京浜なんだろう?
そこで、「第一京浜国道15号線」「第二京浜国道1号線」について、調べてみました。
なるほど…ね。

 

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6:49 下丸子交差点

都道11号線は、この交差点を右折します。
大きな交差点ではありませんが、ここを起点とする都道111号線が多摩川方面へと伸びています。都道111号線は、多摩川を越えて神奈川県に入ったのちも、県道111号線として横浜市神奈川区まで進んでいきます。

 

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6:50 4kmポスト

下丸子交差点がまだ見えるところに、4kmポストがありました。
平坦で、整備された歩道をあるいていますので、そんなに意識はしていませんでしたが、普段より速いスピードであるいています。

 

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6:52 東急多摩川線踏切を再び渡る

この辺りでは、都道11号線はアルファベットの「C」のような形をしていて、その結果、東急多摩川線と再び交わります。

 

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6:57 千鳥三丁目交差点

環八通りとも再び出会いました。
ここで都道11号線は左折をし、ここから100mほどですが、環八通りとの重用区間になります。

 

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7:00 区民プラザ入口交差点

環八通りとの重用区間もすぐに終了し、都道11号線はこの交差点を左折します。
すこしややこしいのですが、ここまでは「都道11号線」=「多摩堤通り」でしたが、この辺りでは、若干様子が異なります。
多摩堤通りは、ひとつ前の写真にある、千鳥三丁目交差点を左折、ではなく、その一本手前の道に入っていきます。
地図で見ると、「アスク下丸子保育園」と書いてある交差点を左折し、駐車場マークを通り、ファミリーマートの裏で、環八通りと別れた都道11号線と再合流します。
先人達のHP等を見ても理解できませんでしたが、実踏により確認し、理解できました。
では何故、この道を都道11号線としなかったのか、については、東京都の建設事務所辺りで聞かないと分からないんだろうな…。そもそも、教えてくれるのだろうか?

 

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7:07 5kmポスト

やはりこの1kmは時間がかかってしまいました。
鳥三丁目交差点近辺でグルグル行ったり来たりしましたので。
さて5kmポストです。
狭いながらも、分離歩道があるのに、埋め込み式でした。

 

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7:21 新幹線と横須賀線をくぐる

折角なので新幹線の姿を収めたいと思い、数分待ちました。
が、なかなか来ないので、致し方なくあるき始めると、ガードの真下にいるときに、新幹線が走り抜けていく音が聞こえました。
人生なんてそんなものです…。

 

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7:29 丸子橋

「あるきろく20200215」以来の丸子橋です。
同じアングルで撮ってみました。

 

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7:45 多摩川緑地広場硬式野球場多摩川の距離ポスト

ここが有名な多摩川グラウンドなんですね。
思っていた以上に、何もないので驚きました。
そして、すぐそばに多摩川左岸の河口からの距離ポスト、14km地点です。

 

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7:59 9kmポスト

東京都市大南入口」というバス停近くに9kmポストがありました。
たまたまバス停そば、ということで撮影できましたが、丸子橋を過ぎてからというもの、車道と分離した歩道ではなく、川原から車道にはみ出る草を時にかき分けながら、白線の上をあるく状態が続きました。だいぶ歩くペースも落ちています。

 

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8:07 世田谷区野毛二丁目付近

車通りの少ないタイミングで撮影です。
こんな感じの白線歩道をあるき続けています。
正面に二子玉川のビル群が見えてきましたが、ここで環境が変わるとよいのですが…。

 

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8:20 謎めくポイント

今回の行程を下調べしているときに、謎に感じたポイントに到着です。
都道検索システム、昭文社の県別マップル東京都道路地図などでルートや目印などをあらかじめ確認するのですが、二子玉川駅の手前の数百mだけ、主要地方道の色ではなくなるのです。何で途切れているのか?と不思議に思いつつ、今日を迎えました。
県別マップル東京都道路地図でも、2015年版では途切れていますが、2012年版はちゃんとつながっているのです。
で、実際に現地を訪ねてみて分かったこと。
この区間は世田谷区が管理している(設備に世田谷区の区章がついている)こと。
何故なのか?については、傍らの公園に都市道路計画事業の公告看板が立っていたのですが、読んでも何のことだか分からず、これが関係しているのか分からず、でした。

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8:34 玉川東陸閘・玉川西陸閘

まず、初めてみる漢字で読めませんでした。
「りっこう(りくこう)」というそうです。
で、まず思ったのは、これって土手?堤防だよな?ということ。
向こうにも建物はあるけど、見た目からしてこの向こうに川が流れていても不思議ではない雰囲気です。
そこに、この陸閘です。
国土交通省関東地方整備局荒川上流河川事務所のHPに陸閘の説明を見つけました。
見出しには「堤防の切れ目 陸閘 ~川と人とをつなぐ施設~」とあり、概略説明として「砂利採取などの利用が盛んだったことから、人や車が堤防を乗り越えることなく河川敷まで行き来できるよう堤防に通路と『門』が整備されました。」とあります。
普段はこのように通り道になっていますが、洪水の危険が生じたときには、ここを塞いで堤防の役目を果たすそうです。
勉強になりました。

 

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8:41 玉川通りとの交差点

国道246号線玉川通り」と交差します。
矢印看板には、東京都のステッカーが輝いています。
ここは再び都の管理に戻ったようです。
さて、二子玉川駅を越えてもなお、堤防の向こう側に建物が並ぶ構図が続きます。

 

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8:46 多摩川河口からの距離ポスト

川が見えない位置にある距離ポスト。
やはり異様です。
堤防より川側に立つ建物は、保険の水災保障って受けられるのでしょうか?

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9:11 新井橋で野川を渡る

頭上には東名高速道路が走り、足元には野川が流れています。
たまたま、埋め込み距離ポストもあったので、同じフレームに収めました。
起点から14.2kmということです。

 

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9:22 都道3号線と合流します

都道3号線との合流です。
「あるきろく20200308」をご覧いただいていれば、この後に起こることはお分かりでいらっしゃいますね。

 

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9:24 ダブルヘキサ標識

都道11号線では初めてのヘキサ標識であり、かつ都道3号線とのコラボレーションです。
都道3号線は、東京都内においてヘキサ標識がお祭り状態で立っていました。
このころはヘキサ標識ばかりに目を奪われ、当時気が付かなかったものもありますが…。

 

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9:28 都道3号線の7kmポスト

「あるきろく20200308」の時には全く気にも留めていませんでしたし、見たんだろうけど、記憶の片隅にもない。
とりあえず、三軒茶屋から7kmです。

 

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9:39 植栽に隠れた8kmポスト

今なら、こんなところに隠れていたって見つけ出せます。
でも前回あるいたときには、露出していても、気付かなかったのです。
意識して行動するか、無意識に行動するかでは、やっぱり違うものです。

 

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9:45 狛江三叉路交差点

都道3号線とお別れの時が来ました。
都道11号線はこの交差点を左に曲がり、再び北上していきます。

 

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9:51 小田急線をくぐる

狛江駅のすぐ東側で、小田急線をくぐります。

 

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9:58 松原交差点

都道114号線「松原通り」と交差します。
都道114号線は、吉祥寺駅の北側(八幡宮交差点)から和泉多摩川駅近く(狛江交差点)までの一般都道です。

 

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10:11 小田急バス狛江営業所

バスの営業所って、何かワクワクします。
この路線図を見るだけで、3分くらいあっという間に時間が過ぎてしまいました。
実際に乗るわけではないですが、ここでこの系統に乗ったら、こういうルートで終点まで行くのね、とか。
妄想族にはたまらない遊びができる、いいツールです。

 

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10:15 18.8kmポスト

狛江三叉路を左折してからでは初めての距離ポストだと思います。
東京慈恵会医科大学附属第三病院を背にしての撮影です。
バス停には、多くの患者さん、お見舞いの方がいらっしゃるので、病院を撮影するには勇気がいりました(ので、撮影していません)。

 

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10:23 もうすぐ旧甲州街道との交点、を示す標識

都道11号線は旧甲州街道に合流し、甲州街道国道20号線)との交点を終点とする、とされています。
その旧甲州街道にもうすぐ到達します。

 

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10:26 国領駅

1枚目は現在の国領駅舎。
線路は2012年8月に地下に潜りました。
2枚目は、調布駅方面の線路跡地。
線路跡地に新しいビルなどが建って、昔とは違う街並みになった調布駅と比べ、持て余している感満載の光景です。

 

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10:27 国領駅入口交差点

甲州街道と合流します。
距離ポストは「19.85km」とまさかの小数点以下2ケタ表示。
なんか終点っぽい雰囲気も出ているんだけど、終点とは書いていない。

甲州街道国道20号線)との交点である旧甲州街道入口交差点を目指します。

 

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10:33 旧甲州街道入口交差点

甲州街道である都道119号線は、この交差点で甲州街道である国道20号線と分岐し、起点としています。
国道20号線とほどほどの距離感を保ちつつ西へ進み、再び行動20号線に合流します。

 

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10:39 都道119号線 起点ポスト


さて、都道11号線の終点を示すものは見当たりませんでした。
残念!

 

ということで、本日のあるきろくはここまで。

スマートウォッチの計測によると、
 時間:約4時間半
 歩数:3万歩弱
 距離:21km強
でした。

 

次は、都道12号線をあるきます。
これまでにも、9号線、そして今回の11号線と南北方向に走る路線もありましたが、これら2路線は、多摩川の流れとともに、厳密には南東から北西方向へ、というのが正解の路線でした。
ですが、12号線は調布市小島町から西東京市田無町に至る「ザ・垂直」路線です。

あるきろく20200830

2020年8月30日 あるきろく 都道をあるく(第9回)

 

もう8月も終わろうとしていますが、まだまだ猛暑日になる日が続きます。
こんな暑い日にあるくと、結構ダメージを受けるものです。
しかしながら、今回の都道10号線が比較的短距離であることからも、暑さはどこかに置いておいて、いざ決行です。

 

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8:05 日本橋交差点

都道10号線は、ここ日本橋交差点を起点とし、千葉県浦安駅前が終点です。
この地図は、東京都の都道検索システムの画面ですが、緑色が都道を、オレンジ色が国道を示しています。
日本橋交差点は、「あるきろく20200126 甲州道中をあるく(8日目)」で通過して以来です。

 

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8:06 国道1号線の距離ポスト 0.2km地点

都道10号線の起点ポストはどこか?と、交差点をあっちに渡り、こっちに戻り、で歩道の縁をさがしました。
すると、国道1号線の距離ポストが、交差点の東京駅寄りにありました。
都道10号線の起点ポストは見当たりませんでした。

 

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8:12 江戸橋一丁目交差点

昭和通りである都道316号線と交差します。
この地下では、東京メトロ東西線都営地下鉄浅草線が交差しています。

 

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8:19 茅場町交差点

新大橋通りである都道50号線と交差します。
都道50号線も都道10号線と同じく、千葉県(市川市)を目指して伸びる道です。
この地下では、東京メトロ東西線東京メトロ日比谷線が交差しています。

 

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8:21 霊岸橋

日本橋川から分かれる亀島川に架かる橋です。
橋の名称は、江戸時代初期にあった霊岸島、霊岸寺が由来とのこと。
葦の茂る低湿地を埋め立てて、現在の中央区新川1丁目、2丁目辺りに島ができました。
そこに建てられた寺が霊岸寺であり、島の名称も霊岸島となったそうです。
この霊岸寺は、明暦の大火の後に深川に移転しますが、今もなお清澄白河駅のすぐそば、深川江戸資料館と同じ区画に「霊巌寺」として現存します。
なお、橋の北側の眺めは、ご覧の通り水門のみです。この向こうに日本橋川が流れているようです。

 

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8:24 1kmポスト

日曜日の朝なので車通りは少ないですが、普段は相当多くの車が通ると思われます。
距離ポストの汚れ方が凄かったです。
最初の1kmは、20分弱とだいぶスローペースで入りました。

 

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8:30 永代橋

隅田川に架かる国の重要文化財でもある永代橋は、古くは江戸時代、元禄11年(1698年)に架橋され、赤穂浪士が討ち入りの後に渡ったとも言われています。
1807年には富岡八幡宮の例祭に訪れた参拝客の重みに耐えられず落橋、1923年の関東大震災では焼け落ちた、という歴史の後、現在の橋は1926年に震災復興事業第一号として架橋されました。
北の方角には東京スカイツリーが、南の方角には湾岸のタワマンが聳えているのがよく見えます。

 

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8:34 福島橋

大島川西支川に架かる橋です。
こちらも江戸時代、文久2年(1862年)の尾張屋板江戸切絵図・本所深川絵図には記されており、現在の橋は昭和4年に架けられ、昭和41年の拡幅工事を経て今に至るようです。
東詰には、次の一万円札の顔となる、明治から大正にかけて活躍した実業家である渋沢栄一の居宅跡がありました。

 

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8:40 門前仲町交差点

清澄通りである都道463号線と交差します。
またこの地下では、東京メトロ東西線都営地下鉄大江戸線も交差します。

 

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8:45 富岡八幡宮

門前仲町と言えば富岡八幡宮です。
江戸最大の八幡宮で、江戸時代初期の寛永4年(1627年)に創建されたとされます。
当時のこの辺りは、永代島と呼ばれる低湿地であったようですが、砂州を埋め立てることにより社有地を広げ、また後に整えられた庭園は庶民からも人気の名所であったようです。
また、現在も毎年8月に行われる深川八幡祭り江戸三大祭りの一つに挙げられます。
アーケード街には、富岡八幡宮を紹介する江東区の看板があり、見えてきた鳥居はとても立派なものです。

 

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8:48 汐見橋

平久川に架かる橋です。
この橋も、尾張屋板江戸切絵図・本所深川絵図に記されていたそうです。現在の橋は、平成5年架橋とのことです。

 

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8:52 舟木橋

川のないところに橋が現れました。
下に見えるのは自転車置き場です。
何だろう?と思っていたら、路傍に解説板がありました。
平成14年に撤去した、とありますが、撤去とともに川を埋め立てた(もしくは暗渠化)ということなのでしょうか…。

 

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8:53 木場五丁目交差点

三ッ目通りである都道319号線と交差します。
一般的には呼ぶことはありませんが「東京都市計画道路幹線街路環状第3号線」、つまり「環状3号線」として整備されている道路です。
「環7」「環8」はそのままに呼ばれているのに、どうしてこちらはそのようにならなかったのでしょうか?

 

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8:57 沢海橋

大横川に架かる橋です。
最近の某深夜番組で、満潮になったら、水が引くまで通ることができない低い橋をくぐる、すなわち「リンボー・クルージング」と題してとして紹介され、実際に某タレントさん達がこの橋の下をくぐっていったようです。

 

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9:04 東陽町駅前交差点

四ツ目通りである都道465号線の起点となる東陽町駅前交差点です。
起点ポストを発見しましたが、「特例都道」ということで「特」の文字が刻まれています。
「特例都道」とは何か?と調べましたが、「都の特別区内で、道路法第7条第1項の規定によらず、道路法第89条によって区間を定めた道路」ということです。
何のことだか全くわかりません…。

 

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9:13 5kmポストと越中島支線

東陽町を過ぎ、数分あるくと5kmポストがありました。
今回は10km程度の距離と見込んでいますので、大体半分まで来たかなぁ、という感じです。
この5kmポストを越えてすぐ、架線のない単線の線路を踏切で渡ります。
路線の戸籍としては、JR総武本線であり、その貨物路線とのことです。
小岩から越中島貨物駅へ至ることから、越中島支線と呼ばれているようです。

 

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9:14 日曹橋交差点

越中島支線の踏切を越えて、ものの数秒で、日曹橋交差点で明治通りにぶつかります。
日曹橋という名称ですが、日曹橋そのものは昭和58年に撤去され、現在では橋は存在しません。
日曹橋は、この交差点のすぐ南側で洲崎川にかかっていた、ということです。
また、「日曹」という名称についても、その昔日本曹達という会社の工場がこの地にあり、それが由来となっているようです。
日曹橋交差点では、そのまま真っ直ぐ都道10号線および永代通りの名称が、そのまま東に向かって伸びています。しかし、最近までこの日曹橋交差点は丁字路だったようです。そして都道10号線も、明治通りである都道306号線とともに北上し、荒川に向かっていたようです。
ということで、あるきろくはここで左折、明治通りに入り北上します。

 

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9:20 南砂四丁目交差点

明治通りの名称を借りて北上した都道10号線は、この南砂四丁目交差点でも、右折して葛西橋に向かう葛西橋通りと、もう少し明治通りで北上し、もう一つ先の交差点から旧葛西橋に向かう清州橋通りとに分かれます。
今日は、ここで葛西橋通りに入り、葛西橋を目指します。

 

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9:28 南砂六丁目交差点

丸八通りである都道476号線と交差します。
平成26年まで、丸八通りは北から走ってきて、この交差点を終点としていたようですが、現在は南へ延伸され、延長された永代通り都道10号線支線)と南砂町駅前交差点で合流して終点となっているそうです。


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9:41 葛西橋西詰

荒川を渡る葛西橋の西詰に到着しました。
現在の葛西橋は1963年に完成しましたが、それまではここから300mほど上流に(旧)葛西橋が架かっていました。
南砂四丁目交差点から明治通りとして北進した都道10号線の支線は、境川交差点からは清州橋通りとなって(旧)葛西橋まで伸びています。
一旦、(旧)葛西橋に向かって都道10号線の本線をはずれます。

 

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9:47 旧葛西橋交差点

葛西橋西詰から神明通りを通り、旧葛西橋交差点まで来ました。
写真では、西方から清州橋通りをやってきた都営バスが、神明通りに入っていくところを写しています。
1972年までは、都電が清州橋通りを、この旧葛西橋交差点まで来ていたそうです。
メンズショップ マツザカヤの右側にゆるく曲がる道を進むと、(旧)葛西橋に到達します。

 

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9:51 東砂六丁目交差点

今回一番の痛恨のミスを犯しました…。

ここ東砂六丁目交差点に到着し、都道10号線「支線」の終点ポストがないか、交差点をぐるぐると探しました。でも、ありませんでした。
もちろん、すべての終点にポストがあるわけでもありませんし、ここもそんなもんだろう、と交差点を右折し、葛西橋に向けて歩みを進めました。

帰宅する電車の中で、都道検索システムでルートをおさらいしたところ、なんと!交差点の先堤防まで緑色に塗られているではありませんか…。
もしかしたら、堤防の辺りに終点ポストが立っているのかもしれない、と思うと、悔しくて悔しくて「夜も眠れません(←ウソ)」。

 

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9:57 葛西橋西詰を東側から眺めます

葛西橋西詰交差点に戻ってきました。

 

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9:59 葛西橋バス停

頭上は葛西橋の導入部分です。
導入部分は自動車専用道路で、歩行者は堤防沿いの階段を上って合流します。
この導入部分の下に、バス停がありました。
橋脚と橋脚の間をうまく使った、バス停&転回場所でした。

 

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10:03 葛西橋

階段を上り、葛西橋を渡り始めます。
1963年の架橋は先ほど記しましたが、全長が727.4mの鋼カンチレバー突桁式吊補剛桁橋、とのことです。読んでも、まったくどんな種類の橋なのか分かりませんが…。
727.4mのうち、荒川を渡る部分が565.2m、中川を渡る部分が162.2mとのことです。

清州橋通りの延長線上に存在した(旧)葛西橋は、1928年に架橋された木橋脚の橋でした。路線バスも通っていましたが、1950年には老朽化のため崩落事故も発生したそうです。復旧の後は、車の通行は禁止され、仮設の人道橋として使用されてきたそうです。
そして、現在の葛西橋の架橋とともに、その役目を終えたとのことです。

 

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葛西橋 航空写真

1960年ごろのものと思われる葛西橋の航空写真です。
新旧の葛西橋がともに写っています。
まだ、現在の葛西橋は架橋中と思われます。

 

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10:10 荒川・中川の中提

首都高速中央環状線の足元です。
荒川と中川を並行させながらも合流させないのは、やはり治水上こちらが合理的なのでしょうか。地図だけを眺めていると、とても不思議な感じがします。
さて、この中提が憩いの場的な場所になっていることは、今回初めて知りました。

 

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10:17 葛西橋東詰

葛西橋を渡り江戸川区に突入しました。
橋を越え、最初の信号・横断歩道のところに8.2kmの距離ポストがありました。

 

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10:20 葛西橋東詰交差点

船堀街道である、都道308号線と交差します。
船堀街道は、荒川・中川に並行して南北に京葉道路から湾岸道路までを走る路線です。

 

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10:29 9kmポスト

そろそろ終点を意識して、距離ポストを改めて注視していきます。
8.2kmからの800mで12分かかりました。ペースは少し遅めですね。

 

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10:42 長島町交差点

環七通りである都道318号線と交差します。
環七通りの本線は、長島陸橋で頭上を飛び越していきます。
城東をあるくのは今回が初めてですが、環七通り、明治通りは城西、城東とで交わったことになります。

 

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10:51 浦安橋が見えてきました

浦安橋が見えてきました。
頭上の看板標識も、直進方面は千葉、船橋、と東京の地名が消えました。

 

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10:53 浦安橋の側道にて

浦安橋も導入部分は自動車専用道路で、歩行者は堤防近くまでは側道で進み、階段、スロープで上がっていきます。
側道は車道幅も広く、妙に膨らみの大きな形で側道が始まります。
その始まりの部分に距離ポストがありました。
数字は砂ぼこりにまみれ、薄く消えかかっていましたが、何とか「10.8」という文字を読み取ることができました。

 

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10:56 浦安橋に到達しました

旧江戸川に架かる浦安橋です。
現在の橋は1978年に架橋されたもので、その前の橋は1940年に架橋されましたが、それ以前は渡し船で川を越えていたそうです。
ここからは、都県境の表示や距離ポスト(終点ポスト)やらに注意しながら進みます。

 

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10:57 11.1kmポスト

やはり数字は薄くなっています。

 

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10:59 11.2kmポスト

こちらは数字はある程度残っていますが、排気ガスの影響でしょうか、煤けています。

 

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10:59 都県境看板現る

文字がかすれていますが、東京都と千葉県の都県境を表す看板です。
都道の終点ポストはありませんでしたが、先程の距離ポストが最後の距離表示でしたので、都道10号線の本線部分は11.2~11.3km程度であったことになります。

 

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11:00 街路灯に疑問

1枚目の写真。
手前の黒茶色の柱は、東京都が管理する街路灯です。
東京都のステッカーが見えます。
その奥には、すごく細かいのですが、青白い街路灯が見えます。
こちらは千葉県が管理する街路灯です。

2枚目の写真。
1枚目の黒茶色の街路灯の位置です。
これまた小さく写っているのですが、先程通り過ぎた都県境の看板が奥に見えます。

そうなんです、都県境を越えていると思われる位置に、東京都が管理しているはずの街路灯が1本あるのです。これは何を意味するのでしょうか?

 

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11:02 チーバくんがお出迎え

浦安橋東詰でチーバくんがお出迎えしてくれました。
正直言うと、チーバくんの正面からの姿を見たのは初めてのような気がします。

 

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11:05 東京メトロ東西線の高架と道路標識

目の前に高架が見えます。
東京メトロ東西線の線路です。
そして頭上の標識看板では、複雑な交差点を示していますが、もうどこにも「10」の文字がありません。
終点は間近です。

 

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11:08 浦安駅前交差点

千葉県が東京都と同じようなポストを立てているのか分かりませんでしたので、念入りに交差点付近を見てみましたが、少なくともこの交差点には起点・終点ポストはないようです。
矢印看板で、それぞれの県道の進む先を表現していましたが、これで管理しているのでしょうか?
県道10号線を直進する方向は、県道242号線となります。
矢印看板が、交差点の向こう、某牛丼チェーン店の前に立っていました。
したがって県道10号線は、千葉県としてみると、浦安橋の中ほど(とは言っても、3分の1くらい)からの数百m程度で終了となります。

 

 

ということで、本日のあるきろくはここまで。

スマートウォッチの計測では、
 時間 : 3時間5分
 歩数 : 約18,200歩
 距離 : 約13km
でした。

今回の距離計測は、葛西橋手前で旧葛西橋方面へ足を延ばしたことを考えると、かなり正確な数値のような気がします。

 

 

さて次回は、都道11号線をあるきます。
起点は大田区東蒲田、終点は調布市国領町です。
第一京浜国道15号線)の東蒲田二丁目交差点から、甲州街道の旧甲州街道入口交差点までの道のりです。
都道(&神奈川県道)9号線は多摩川の右岸に近いところを沿うように遡上しましたが、都道11号線は多摩川の左岸を同じように遡上する道路となります。
長い距離に亘り、「多摩堤通り」という名称が名付けられていることからも、その性格が見えてきます。

また20kmを越える距離となるようなので、早く涼しくなってくれることを祈るばかりです。