あるきろく20200815
2020年8月15日 あるきろく 都道をあるく(第7回)
梅雨が明けた途端、酷暑がやってきました。
酷暑と新型コロナウイルスの感染拡大とが相俟って、外出を控えるべきであることは言うまでもありません。
しかしながら、あるきろくは先に進みます。
さて、今回は都道8号線を、九段下から目白、練馬を経て西東京市に向かいます。
とにかく、暑さにやられないよう、注意しながらあるきます。
靖国神社を背にして、靖国通りを神保町方面を向いて写真を撮りました。
交差点から左手に向かう「目白通り」をこれからあるいていきます。
今回初めて出会った距離ポストです。
写真タイトルに「飯田橋駅」と書きながら、駅の写真を撮り忘れました。
横断歩道がなく、歩道橋が架かる飯田橋交差点に1kmポストがありました。
神田川に沿って西に進んでいると、この看板が現れました。
「ふ~ん」という感じです…。
交差点手前の頭上看板では、8号線は直線と右折の二手に分かれます。
直進する道は「新目白通り」、右折する道が「目白通り」です。
新目白通りを進むと、5km先で目白通りと合流するようです。
ここでは、目白通りを進みます。
さて、江戸川橋で右折して、すぐにこの目白坂下で左折します。
よくお名前はお聞きしますが、はじめてお目にかかりました椿山荘。
ここにあったのですね。
それにしても目白坂下からここまでは、驚くような急坂でした。
4kmポストの向こうに、歴史を感じさせる赤レンガの塀と建物がありました。
数十メートルあるいたのち、この目白通りを挟む形で、日本女子大学の敷地となっていることを知りました。
椿山荘を越えた辺りから、進行方向左手の建物の隙間から、ちらほらと新宿の背の高い建物が目に入ってきましたが、ここ千登世橋は眼下に明治通りと都電荒川線が走り、幅広い眺望が得られました。
残念ながら、撮影のタイミングでは、都電は走ってきませんでした。
目白駅脇の門は何度かお目にかかったことがありましたが、正門は初めてです。
風格ある門構えです。
JR山手線の目白駅です。
こじんまりと佇む、可愛らしい駅舎です。
山手線を越え、都道8号線は郊外へ向けて放射線状に伸びる趣を強めます。
ということは、「山手通り」「環七通り」「環八通り」とどこかしらで交差します。
江戸川橋で別れたもう一つの都道8号線「新目白通り」と、ここで合流します。
道路の形状を見ると、「新目白通り」の先にこれから進む「目白通り」が続き、ここまであるいてきた「目白通り」の先には「新青梅街道」が続く、そんな十字路です。
「新青梅街道」も起点となるこの交差点では「440」という大きな番号を背負っていますが、西に進むと「245」となり、最後は「5」、つまり都道5号線となります。
都道5号線は、あるきろく20200321で踏破しました。
環七通りとの交差点です。
環七通り本線は豊玉陸橋で頭上を越えていきます。
10km到達です。
1時間50分ほどかかりました。
雨の中あるいた都道7号線のペースより、やや遅いですかね。
ここまでに、ペットボトルの水を2回購入し、飲むだけでなく、頭からかぶったりと暑さ対策をしながら、あるいてきています。
それにしても、歩道橋の下、目立つことなく立っていました、距離ポスト。
10kmポストを超えた辺りから、道端の雰囲気が賑々しくなりました。
西武池袋線の高架がちらっと見え始めたころ、練馬区役所がありました。
練馬区役所バス停には小さく「練馬駅」とも書いてあったのですが、あるいている最中は駅がどこにあるかわからないままでした。地図で見て、この位置関係だったことを知ります。
ここで一旦、西武池袋線の北側に回ります。
高架橋はいくつも見ましたが、丸みを帯びたデザインにお花があしらわれており、優しい感じのする高架橋でした。
環八通りとの交差点です。
環八通り本線は、練馬中央陸橋として頭上を越えていきます。
環七通りから環八通りまで34分でした。
これまでの最短記録かと思いきや、都道2号線では27分であるいていました。
関越自動車道の練馬ICへのアプローチポイントとなる谷原交差点です。
交差点のスケール、交通量から、横断歩道はなく歩道橋で道路を越えていきます。
谷原交差点を過ぎてすぐ、「目白通り」はそのまま真っ直ぐ関越道を目指して伸びていますが、その番号は都道24号線となります。
進むべき都道8号線は「富士街道」として西に向かって左折します。
1枚目、引きの写真でお分かりのように、右側を直進するのが目白通りです。
2枚目、よく見ると距離ポストが立っていますが、これは都道24号線の起点ポストでした。
そしてあるきろくは、富士街道を進むことにします。
地図には、別れたばかりの「目白通り」に「8」が附番されています。
でも、先程の距離ポストしかり、遠く見やる頭上の看板標識からも、「目白通り」は「都道24号線」となったことは間違いありません。
落合南長崎駅の上(西落合一丁目交差点)から谷原交差点までは、大きな広い道路でしたが、この辺りは生活道路の雰囲気が漂っています。
15年ほど前に、板橋区の成増駅近くに住んでいたころ、たまに石神井公園駅まで来たことがあります。とは言っても、吉祥寺に向かうバスで通過しただけですが。
ただその頃は、線路も高架ではなかったし、駅舎も古めかしいものだった記憶なので、今回とても驚きながら眺めておりました。
練馬駅の西でくぐった線路を、再びくぐり、西武池袋線の南側に回ります。
ここからは、西武新宿線に向けてあるくことになります。
いつしか練馬区を抜け、西東京市に突入しておりました。
何気なく眺めながら通り過ぎた後に、慌てて写真を撮りに戻りました。
保谷市と田無市が合併して、西東京市が誕生したのが2001年。
19年経ちますが、まだまだ昔の名前で出ています状態でした。
この後も、気にしながらあるいてみると、同じ住所表示看板でも「保谷市」と「西東京市」が隣り合うように掲げられていたり、「保谷市」のマンホールが残っていたり、といろいろでした。
落合南長崎駅では都道440号線として旅立っていった新青梅街道も、出世魚の如くここでは都道245号線となり、再会を果たしました。
この地図を見ていると、この交差点の成り立ちが手に取るように分かりますね。
一番最後にやってきた新青梅街道が、いきなり主役に躍り出た、みたいな感じです。
先ほどの新青梅街道との交差点と、同様のパターンです。
それを更に進化させたケース、とでも言いましょうか。
都道233号線が、都道8号線を分断してしまいました。
仕方がありませんので、横断歩道のある交差点まで迂回します。
保谷中南交差点で横断歩道を渡ります。
1枚目の写真は、先程あるいてきた都道8号線を、都道233号線越しに眺めています。
2枚目の写真は、この先あるいていく都道8号線です。
何だか、寂しい雰囲気が漂い始めてきた、と思うのは私だけでしょうか?
都道8号線を間違いなくあるき続けていることの証明が、地面に埋まっていました。
このように道幅も狭く、新しい道路に虐げられているような感じも否めない都道8号線ですが、しっかりと管理はされているようです。
惜しむらくは、20kmポストもその昔は、先程迂回をせざるを得なかった都道233号線辺りに立っていたのではないか、ということです。
20.7kmの埋め込みポストです。
20.2km以降は、100m間隔で埋め込みポストが必ずありました。
深い愛情を注がれていることが確認できて、とてもうれしく思います。
西武柳沢駅前は一方通行の道でしたが、駅を過ぎてしばらくすると2車線道路となり、歩道には植え込みがある明るい雰囲気になりました。
その植え込みの中に、21kmポストがありましたが、埋め込みタイプながらしっかりとした体裁のものでした。
今回こそは、終点ポストにお目にかかれるかも、と期待して、目前に迫った終点を目指します。
都道4号線青梅街道に合流し、都道8号線は終点となります。
期待した終点ポストですが、2枚目の写真のこれではないかと思います。
色から想像するに…。
1枚目の写真の右下に写っているように、そのロケーションも抜群というか、絶妙な位置であり、間違いないと思うのですが、残念ながら壊れた状態でした。
ということで、本日のあるきろくはここまで。
スマートウォッチの計測では、時間は4時間と数分、歩数は35,100歩、距離はおよそ26kmでした。
距離ポストのみで考えると、21.5kmくらい?まぁ、いいか。
さて次回は、都道9号線&神奈川県道9号線をあるきます。
9号線は起点が神奈川県川崎市で、終点が府中市とされています。
あるきろく20200113で通った、甲州道中の府中高札場のある交差点が終点です。
あるきろく20200723
2020年7月23日 あるきろく 都道をあるく(第6回)
今年の梅雨は長いです。
毎日毎日、何でこんなに降るんだろう?というくらいによく降ります。
さて、今回は都道の中で最長の7号線に挑みます。
東京メトロ丸ノ内線の新高円寺駅あたりから、JR五日市線の武蔵五日市駅前まで歩きます。 お天道様が顔を出していないので、暑さに苦しむことなく、歩けそうです。
新高円寺駅から地上に上がり、すぐ目の前に地図看板がありました。
その看板越しに、旧五日市街道の起点があります。
今日あるく都道7号線は、江戸時代初期に成立したとされる五日市街道をほぼきれいになぞって進みます。
このスタート地点は、別道ですが。
青梅街道を100mくらい新宿方面に戻ると、「五日市街道入口」交差点に到着します。ここが、都道7号線の起点です。
今日は、ここをスタートにして、武蔵五日市まで歩いていきます。
不意に現れた1kmポスト。
この先を期待させてくれます。
地図を見ると分かりますが、現在ポイントを中心にくねった道があります。
左側の善福寺川を挟み、河岸との高低差をクネクネした道で上り下りしたそうです。
写真では、左側が都道7号線で、右側に分岐する道が五日市街道の旧道です。
善福寺川を渡ります。
ここで、雨脚が若干強まってきました。
今日は傘は持たず、リュックサックごと雨を遮るよう、ポンチョを被りあるきます。
旧道は、尾崎橋を渡るとミニストップの裏手を回り、この交差点で都道7号線と交差します。交差した先は郵便局を回り込む形でまた都道7号線に戻ります。今度は、青山自動車工業所の前を通り、またまた都道7号線と交差していきます。本当に何回も何回も曲がりながらの道です。
説明板は尾崎橋にあったものと同じですが、もっといろいろなところに、このように歴史を残すものがあっても良いですね。
環八通りである都道311号線と交差して、さらに西へと向かいます。
横断歩道を渡りながら左側を眺めると、同じ都道7号線が「井の頭通り」として走っている様子が見えました。
環八通りを越えてからは、たまに抜けているところもありましたが、100mおきに距離ポストが設置されていました。
3.6km地点の距離ポストは、舗装をきれいにした際に、数字が見えないところまで埋められてしまったようです。
距離がはっきりとすることで、あるくスピードのコントールができるし、ゴール時刻の目安もついて、くじけそうになっても頑張れるのです。
杉並区から武蔵野市に入りました。
吉祥寺駅から北に走るサンロードです。
一時期、「密」の象徴的な映像がここでよく撮影されていました。
ここでは距離ポストは埋め込み式でした。
この7.7kmを過ぎてすぐ、街道の右手に成蹊大学のキャンパス入口があります。
安◯首相の出身校としても有名ですが、同窓の皆様は今何を思っているのでしょう。
環八通りと交差した際にも触れましたが、都道7号線は支線が多く、別名称の通りとして吉祥寺近辺を縦横無尽に走っています。
武蔵野大学前で「へ」の字に曲がり、これまでの北西方面から南西方面に向きを変えて進みます。
ここからしばらくは、中央に緑地帯を挟んだ通りとなります。
旧道をトレースするのは緑地帯の向こう側の道(吉祥寺方面の車線)ですが、距離ポストを抑える必要上、手前の道(小金井方面の車線)をあるきます。
10kmで1時間45分でしたので、正確な距離は分かっていないものの、40kmあるくとして、ここではゴール時刻を13時頃と見込みを立てました。
都道7号線グループである井の頭通りは、この関前五丁目を起点としています。
あるいているときには気付きませんでしたが、井の頭通りの延長線上にある道は、あるきろく20200321に出会った、あの自転車専用道でした。結構グレートな交差点です。
これよりしばらく、玉川上水と五日市街道は並行しています。
玉川上水は1653年にできた、と解説板には記載があります。
五日市街道については、「歴史の道 調査報告書集成 20 関東地方の歴史の道10」の記載によると、
・五日市街道はその昔、伊奈道と呼ばれていたこと
・その伊奈道は、1590年の徳川家康江戸入府以後、江戸城築城などの土木工事に伊奈の石工が重用されたが、その石工たちが江戸との行き来の際に利用した
ということです。
で、五日市街道が先なのか、玉川上水が先なのか、ということですが、どなたかご存じでしょうか?
最近は訪問していませんが、広くてよい公園です。
小金井橋にこの碑と解説板がありました。
解説板に描かれている絵だけでも、きれいな桜が思い浮かびます。
ぜひ、春に来てみたいものです。
玉川上水の両側に道路がある構図は変わりませんが、この喜平橋で、五日市街道は橋を渡り、玉川上水との位置関係を入れ替えます。
これもあるので、五日市街道が先か、玉川上水が先か、がとても気になるのです。
普段の生活では馴染みのない西武鉄道ですが、あるきろくではよくお世話になります。
ここでは西武多摩湖線との交差です。
国分寺市に突入しました。
武蔵野市に突入の後、頭上の市境看板はこれまでありませんでした(それとも気付かなかっただけ?)が、西東京市、再び武蔵野市、小金井市、小平市ときての国分寺市です。
この手前で、国分寺市から立川市に突入しました。
20kmポストは立川市若葉町にありました。
地図で見ると、赤丸の位置からポイントマークの位置まであるいたことになります。
イメージ的には、だいぶ西まで来たような気がしますが、まだ見込んでいる距離の半分しかあるいていないことになります。
ちなみに、この10kmも1時間45分とペースをしっかり守れています。
少しだけ近未来的な景色の砂川七番交差点です。
頭上を多摩都市モノレールが走っています。
なお、この辺りをあるいている頃、雨脚がすごくなり、写真撮影が疎かになります。
歩道も水浸し、車の跳ね上げる水にも注意しながらの道中となります。
しばらく別行動であった玉川上水と再会する天王橋です。
立川市一番町に位置します。
20kmポストのあった若葉町からこの辺りまで、西に向かって砂川十番~砂川一番という呼び名があります。モノレールの砂川七番のように。
でも、これらは現存の町名ではありません。
1963年に立川市に編入するまで、この辺りは北多摩郡の砂川町でした。
そのまたはるか昔ですが、江戸時代に、年貢徴収の単位として、西から順に「一番組」「二番組」というように集落ごとに名付けたのが由来のようです。
さて、この天王橋には、古くからの道標があるとのことでしたが、豪雨により探す意欲を削がれ、交差点の写真のみを撮影して、先を急ぐのでした。
このY字の交差点で、都道7号線は緩く左に曲がっていきます。
ここからしばらくは、あえて都道7号線をはずれ、真っ直ぐの道を進むことにします。
先ほどの交差点から10分あるきました。
正面および右手には米軍横田基地が広がります。
あるいてきた道は、基地にぶつかり不自然な急な角度で左に曲がります。
もともと、五日市街道は地図上の赤線の位置にありましたが、朝鮮戦争にともない横田基地が拡張されることになり、1956年6月の東京都の告示により、五日市街道の付け替えが行われることになったことによるものです。
横田基地を迂回することになった都道7号線に戻り、西に向かってあるきます。
踏切に出会いましたが、単線でしたので、八高線かな?と思いながら踏切名称を見ると、横田基地への引き込み線でした。
横田基地を迂回する都道7号線・五日市街道は、南北にはしる国道16号線を数百m並走し、ここ第五ゲート前交差点で、再び単独行動に移ります。
基地の拡張がなければ、先程の急カーブのところからここまで真っ直ぐ来ることができました。
なお、交差点を曲がってすぐに30.2kmのポストがありました。
この10kmは2時間ちょっと。
「旧」五日市街道を回ってきたこともあり、あるいてきた距離はこれよりも長く、また豪雨によるペースダウンもあり、20km地点までと比べて20分/10km程度時間がかかりました。
ということで、ゴール時刻を13時30分に修正して、先に進みます。
八王子~高崎(正式には、倉賀野)を結ぶ八高線です。
この辺りは電化されましたが、高麗川~高崎は今もなお非電化区間です。
青梅線、新奥多摩街道、奥多摩街道、そして五日市街道は、多摩川に沿うようにして狭い範囲に寄り添いながら川上へと向かって行きます。
ただし、五日市街道に関しては、その昔はきっと、この交差点では曲がることなく多摩川岸まで直線で進み、そこに渡しがあったのではないかと思うのですが…。
多摩川を渡る多摩橋です。
雨脚は弱まりましたが、川の流れは結構激しいです。
橋上には、32.2kmと32.3kmの距離ポストがありました。
橋を渡るとあきる野市に突入し、自治体としては目的地に到達したことになります。
多摩川を渡り、小高い丘に登ると、これまでにはなかったのどかな景色がありました。
急にゴールが近いように思え、ウキウキしながら今日はじめてGoogleMapで武蔵五日市駅までの距離を出してみましたが、まだ7~8kmあることが分かり、逆に萎えてしまいました。
秋川駅北口のロータリーを越えたのち、踏切で五日市線の北側から南側に移ります。
単線であることだけでなく、踏切で眺めた線路脇の雰囲気がもう「街中」ではないような気がしました。
観覧車がものすごく近くに見えました。
サマーランドには、いつも車で行きますし、南側からのアプローチなので、このような見え方は初めてです。
ここで37kmなので、あと3kmくらい?…と気持ちを引き締め、先に進みます。
ここでも、都道7号線同士が合流します。
一方は、睦橋通りという名称です。
都道7号線は、横田基地を迂回し国道16号線と並走する際、北に回る今回のルートと、一旦南へ向かい拝島駅前から幅広い一直線でここまで来る睦橋通り、の2本で多摩川を渡っています。
交差点の名称通り、左側が新しい橋、道路です。
右側の若干細い道が古くからある五日市街道です。
地図を見ると、古い道は川を渡らずしてひかれています。
新しい道は2本の橋で秋川を越えて、右手からの旧道と合流します。
実は、ここでアクシデントが発生しました。
左足小指は、以前から血マメができやすいのですが、ここで急にマメが破裂したような痛みに襲われ、普通に歩けなくなりました。
もう少しでゴールだから…と、我慢しながら左足を引きずるようにあるいています。
足の痛みでさらにペースダウンをしましたが、ついにゴール地点が見えてきました。
頭上の看板標識も、ぶつかる丁字路の左右がともに都道31号線であると記しています。
この地点の距離ポストは41.1kmです。
41.1kmポストから、それこそ100mか200mの距離ですが、写真を撮った時間差が8分あります。
ここまで、100m間隔で行く先を示してくれていた距離ポスト、都道5号線(青梅街道 → あるきろく20200321)の時と同じく、終点ポストを期待し、この交差点周辺をくまなく探しました。
が、見当たりませんでした。
致し方なく、五日市街道がここから始まりますよ、的な標識を撮影したのが13:30ということになります。
結果的には、途中で修正こそしましたが、見込んでいた通りの時刻の到着でした。
ということで、本日のあるきろくはここまで。
スマートウォッチの計測では、時間は6時間45分、歩数はおよそ63,000歩、距離は46kmくらいでした。
距離ポストの数字とは若干誤差がありますが、横田基地に分断された旧道をあるくところで、2kmくらい遠回りしたので、こんなものでしょうか。
また、今回は距離ポストばかりに注目しましたが、単独自立版のヘキサ標識は1本もありませんでした。
さて次回は、東京都道8号線をあるきます。
九段下から谷原交差点を経て、田無へと向かう道です。
名称では、目白通りと富士街道になります。
ゴール地点は、都道4号線をあるいた、あるきろく20200315のなかで、都道4号線と都道5号線が分岐する田無1丁目交差点を示した地図にさりげなく出ています。
新宿側から見て、「田無1丁目」の一つ手前の交差点に該当します。
あるきろく20200606
2020年6月6日 あるきろく 都道をあるく(第5回)
新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、4月・5月はあるきろくも自粛いたしました。
3月21日以来、2か月半ぶりのあるきろく。
今日は、都道6号線をあるきます。
都道6号線は、ここ大森警察署前交差点で、国道15号線(第一京浜)と分岐してスタートします。
起点から、大鳥居交差点までは国道131号線との重用とのことで、しばらくの間、道路標示も「国道131号線」として先を進みます。
街路灯に貼られているステッカーの管理番号も、「6」ではなく「131」でした。
ここで初めてヘキサゴンで「6」号線の表示が現れました。
大鳥居交差点は、環八通りとの交差点で、左折すると羽田空港、右折すると蒲田を抜けたのち、これまでに歩いた都道2号(田園調布署前交差点)、都道3号(三本杉陸橋)、都道4号線(四面道交差点)などと交差します。
ここまで重用区間の相方であった国道131号線は、ここで左折し、環八通りとして羽田空港へ向かいます。
大鳥居交差点から単独の都道6号線となり、街路灯の管理番号も「6」となりました。
距離ポストを発見しました。
大鳥居交差点あたりにもあろうかと捜索しましたが、発見できず、ここで本日初めてお目にかかりました。
主要地方道である都道6号線、起点から0.3km・・・ということは、公的には起点は大鳥居交差点ということなのでしょうか?
目の前には大師橋。
多摩川を超えると神奈川県に突入です。
それにしても、ものすごい勾配です。
大師橋を「上っていきます」。
写真で見ても、急勾配であることがよく分かります。
大師橋の中ほど、坂を上り切ったところにモニュメントがありました。
旧大師橋を偲ぶものです。
さて、都道2号線も都道3号線も東京都から神奈川県へ渡り、そのまま県道2号線、県道3号線となりましたが、ともに多摩川を渡る橋の中央部には都県境を示す看板がありました。
でも、大師橋のこのモニュメントの辺りをいくら探しても、都県境を示すものが見つからないのです。
帰宅途中に、電車に乗りながら地図を見ると、この辺りの県境は大きく蛇行していて、大師橋では、すでに通り過ぎた「大師橋」の文字が書かれた辺りが都県境であったようです。
気付かぬうちに神奈川県に突入していたわけですが、多摩川を渡り切り、標識により、改めて神奈川県に突入したことを認識します。
国道409号線と交差します。
左折すると、東京湾アクアラインです。
いいものにお目にかかることができました。
この3月に、京浜急行電鉄では6つの駅名が改称されました。
改称よりも、この地上線の跡がいい味を出しています。
現在はこの地下を電車は走っていますが、線路の残るこの風景をいつまでも残してほしいものです。
国道132号線と交差する、塩浜交差点です。
今回のあるき始めは、国道131号線との重用区間でしたが、その国道は大鳥居交差点から羽田空港へと向かって分かれていきました。
ここで交差する国道132号線は川崎港を目指す道路です。
Wikipediaによると「港国道」という言葉があり、説明として「日本の重要港湾・飛行場と主要国道を結ぶ一般国道について、国道愛好家が名付けた俗称」とあります。
国道131号線、132号線ともに、この「港国道」と定義される路線とのことです。
「産業道路」という名称だけあって、広い通りを大型ダンプカーがひっきりなしに走っていきます。
したがって、ほとんどの交差点に、立派な歩道橋が設置されています。
ゴミ…
さらにゴミ…
またもやゴミ…
ゴミだらけ…
塩浜交差点辺りから、この先鋼管通り交差点辺りまで、このような状況が続きます。
車道と歩道の間に樹木が生い茂り、車通りが多い中、環境を保つための整備はされているのですが、それを破壊するかのように絶え間なくゴミが投棄されています。
あと一つ言わせていただくならば、くわえタバコの自転車がものすごく多い、です。
あるいていて、あまり楽しくはなかったですね、残念ですが…。
今日は、6号線をあるかないと、7号線に辿り着けないからあるいている、という感じになってしまいました。
左手にはバスロータリーがあり、その先の線路を越えると、JFEスチール(←日本鋼管)の工場などがあります。今もなお、昔の名前が地名として残っています。
この交差点を右折して国道1号線に至る道路は、「市電通り」とこれまた昔の名前で出ています、状態です。
【川崎市電】
開業:1944年
廃止:1969年
京急川崎駅辺りから国鉄川崎駅前を通り、日進町交差点からは市電通りでこの鋼管通り交差点に。そしてここまで歩いてきた県道6号線を川崎臨港警察署前交差点まで戻り、塩浜へと至る総延長6.7kmの路線。
廃止されて51年経ちながら、そのままに名称が残っているのはすごいですね。
立川方面から川崎に向かって南武線に乗ると、川崎の一つ手前の尻手から、通称「南武支線」がこの浜川崎へと分かれていきます。
いま初めて、浜川崎駅にこのようにお目にかかったのですが、目の前に聳える高架線(貨物線)の裏側には、JR鶴見線の浜川崎駅が隠れています。
工場の間を抜ける貨物線やら、通勤客を運ぶ旅客線やら、いろんな線路が絡み合う、非常にカオスな地帯です。
首都高の入口もある交差点です。
標識では、左折するとJR鶴見線の武蔵白石駅へと向かうとのことですが、地図を見ると「米海軍貯油所」という記載に目が惹かれます。
左折すると「末広町」とありますが、実はそこにはあのDASH海岸があります。
これも、あるいていた時にはつゆ知らず、帰宅後に地図を見て知ったことではありますが。
それにしても、右折しての「潮風大通り」。光るネーミングセンスを感じずにはいられない今日この頃です…。
生麦ジャンクションです。
ジャンクションの下、生麦交差点で県道6号線は右折します。
ジャンクションの下の大きな交差点です。
この交差点には横断歩道がなく、自転車も歩道橋を渡らなくてはなりません。
2つの歩道橋をL字に渡り、西向きから北向きに方角を変えてあるきます。
正面の交差点は丁字路ですが、右も左も国道15号線です。
つまり、あるいてきた県道6号線はこの交差点までです。
小さく写る県道6号線標識は、片矢印型です。
つまり、ここからですよ、という印です。
ということで、本日のあるきろくはここまで。
時間はおよそ2時間40分、歩数はおよそ19,700歩、距離は17kmでした。
都道6号線、県道6号線を通じて、自立のヘキサ標識は今回もありませんでした。
(矢印を兼ねた標識は、神奈川県に入ってから見かけましたが)
さて次回は、都道7号線(杉並あきる野線)をあるきます。
支線を含めると、その総延長は59.2kmであり、都道の中で最長の路線です。
基本は「五日市街道」をトレースするようあるこうと思いますが、1日であるき終えることは可能でしょうか…。
あるきろく20200321
2020年3月21日 あるきろく 都道をあるく(第4回)
3月は3週続けてのあるきろく。
第四日目は、都道5号線をあるきます。
今日のスタートは、先週通った、田無町一丁目交差点。
都道5号線は、新宿三丁目を起点としますが、この交差点までは都道4号線との重複区間です。
ということで、都道4号線と分岐するこの交差点から歩くことにします。
2枚目の写真で、右手が都道4号線(所沢街道)、左手が都道5号線(青梅街道)です。
道路の真ん中に出て撮影した理由。
ここからしばらく、都道5号線は一直線に西に進むので、それを撮りたかったのです。
ちなみに撮影したのは、地図ではヘキサ「5」マークがある辺りです。
西東京市から小平市に突入しました。
今日は、いくつの自治体を通ることになるでしょうか。
西武新宿線は高架区間が少なく、青梅街道とも踏切での交差となります。
一旦通り過ぎた後、戻ってまじまじと標識を見つめてしまいました。
自転車&歩行者専用の道もあるんですね。
都道同士の交差点ですが、いつもの街道標識がありません。
そこそこ大きな交差点なのですが。
ここまでにもいくつか道路に埋まっていたものです。
「主」は主要地方道、「5-1」は都道5号線の本線、「5.5」は田無町一丁目からの距離、を表しているものと思われます。
西武多摩湖線を踏切で渡ります。
すぐ目の前に、そのままの名前「青梅街道駅」があります。
都道4号線と都道5号線をつなぐ道路でもある府中街道と交差します。
府中街道はこの2つの交差点でクランクしながら南北方向に走りますが、所沢方面は都道16号線、府中方面は都道17号線と、この交差点で切り替わります。
府中街道を越えてすぐ、西武国分寺線の踏切を渡ります。
本日、早くも3つ目の踏切です。
ここまで一直線(厳密にはそうではなかったのかもしれませんが…)だった青梅街道ですが、視覚的にも明らかな曲線がここで現れました。
西武拝島線は高架で頭上を越えていきます。
高架をくぐり、本日3つ目の自治体となる東大和市に突入します。
都道5号線(青梅街道)は、ここで西向きから北向きに方角を変えます。
都道5号線同士が十字に交わる不思議な交差点です。
いま進んでいるのは、南北に走る「青梅街道」。
交差するのは、東西に走る「新青梅街道」。
バイパスの性格を持つ新青梅街道と、歩みを進める青梅街道の位置関係を表しています。
先ほどの奈良橋庚申塚交差点から、この先合流する瑞穂松原交差点までは、青梅街道はだいぶ膨らみながら西へ向かいます。
本日4つ目の自治体に突入します。
東京都内で、唯一「て◯ど◯」が敷かれていない市です。
少し手前で、西から南へと向きを変えた都道5号線は、この交差点で再び西向きに方向を変えます。
そのまんまの名前の交差点名です。
本日5つ目の自治体、瑞穂町です。
数少なくなった、町制のままの自治体です。
南部は米軍横田基地が占めています。
時計台とともに信号の上に見える表示に、ものすごく大きな興味が湧きました。
時計台の脇には、青梅街道と日光街道の昔の姿について触れた解説板がありました。
本日4つ目の踏切です。
奥に小さく見えるのが箱根ヶ崎駅です。
ここで新青梅街道と合流します。
本線はあくまでも青梅街道なのですが、道路形状を見る限り、新青梅街道に「青梅街道が合流する」ような感じです。
「東京環状」国道16号線との交差点です。
国道16号線がアンダーパスするのですが、地上に現れる道路には数多くの大型トラックなどが見えました。
双方の道路が広いこともあり、また周囲の建物の背丈も低いことから、空の見え方がこれまでと比べてとても雄大です。
青梅まで7kmの表示がありました。
あと2時間弱かな、できれば1時間半くらいで歩きたいな、なんて思いながら先へ進みます。
本日の目的地となる青梅市に突入します。
本日6つ目の自治体です。
遠くからも目を引く、茅葺の立派な建物です。
見学できるようですが、本日は写真だけを撮り、先を急ぎます。
都道5号線はこのY字路を左に向かい、この後急坂を下ります。
多摩川はもう少し先のようですが、おそらくは河岸段丘としてできた地形と思います。
先程の交差点から車道は坂を下り、JR青梅線をアンダーパスします。
今日は多くの路線と交差しました。
引き続き、坂道は下っていきます。
都道31号線「秋川街道」と交差します。
秋川街道は、写真右手から急坂を下ってこの交差点に辿り着き、さらに多摩川を渡って武蔵五日市へと抜けていきます。
実はすでに、あるきろく20190505でこの道はあるいています。
ただし、あるきろく初期であり、ただ黙々とあるくだけで、写真が全くと言っていいほどに残っていません(東飯能駅、青梅駅、武蔵五日市駅しか写真がない…)。
頭上の標識を確認します。
目の前の丁字路は、左に行っても、右に行っても国道411号線です。
そうです、この先の交差点が都道5号線の終点です。
都道5号線はここで終わりますが、青梅街道は国道411号線となって、奥多摩方面に向かいます。
さらには奥多摩を抜け、山間を抜け、甲府市酒折の山崎三叉路で甲州街道と合流します。
山崎三叉路は、あるきろく20190805で通っています。
植栽の中に、距離ポストを見つけました。
この円柱タイプは、新青梅街道と合流してから目にするようになりました(青梅街道では、地面に張り付けたような形でした)。
根元には「主5」の記載、距離は27.8km、そして「終点」であることを明示しています。
この距離は、北原交差点からの新青梅街道としての都道5号線のものと思われます。
ということで、本日のあるきろくはここまで。
時間は5時間45分、歩数は41,500歩、距離は31.1kmでした。
スマートウォッチによる計測からも、やはり距離ポストの数値は新青梅街道のもの、と考えられます。
ちなみになんですが、今回はヘキサ標識は一つも出現せず、でした。残念…。
あるきろく20200315
2020年3月15日 あるきろく 都道をあるく(第3回)
3月は2週続けてのあるきろく。
第三日目は、都道4号線&埼玉県道4号線をあるきます。
甲州道中あるきろくの最終日にも通った、新宿三丁目交差点です。
道路標識では、都道305号の「明治通り」となっていますが、ここから新宿五丁目交差点までは、都道305号線を上位道路として、都道4号線と都道5号線の3つが重複する区間となっているようです。
新宿三丁目交差点から新宿五丁目交差点までは、200mくらいでしょうか。
真っ直ぐ進む都道305号線との重複区間は、ほんのわずかでした。
新宿五丁目交差点から新宿大ガードまでは、都道302号線の「靖国通り」との重複区間となります。
なお、都道4号線と都道5号線は、しばらくの間、重複区間としてともに進みます。
新宿五丁目交差点から右手に歌舞伎町の雑踏を見つつ、新宿大ガードに至ります。
新宿大ガードの東までは「靖国通り」、新宿大ガードの西からは「青梅街道」として都道4号線(&5号線)は西に向かって進んでいきます。
新宿の副都心を左手に眺めながら、緩やかに坂を下った先に区界がありました。
中野区に入ってすぐ、坂を上っていきます。
坂を上がり切ると、中野坂上交差点です。ここで山手通り(都道317号線)と交差します。
本日はじめてのヘキサ標識です。
ポールではなく、頑丈な柱に据え付けられたものでした。
本日2つ目のヘキサ標識です。
これまでの2回と比べて、自治体跨ぎの回数が多くなりそうです。
蚕糸の森公園に面したところに、青梅街道の歴史が記されていました。
ラジオの交通情報(渋滞情報)でよく耳にする「高円寺陸橋」を通過します。
本日3つ目のヘキサ標識です。
日曜日の朝早くということもあり、幅広の道路も交通量はまばらです。
本日4つ目のヘキサ標識です。
1つ目から2つ目までが13分。
2つ目から3つ目までが23分。
3つ目から4つ目までが21分。
この4つ目は荻窪駅手前の天沼陸橋を渡り終えようとしている場所に立っていました。
正直言って、視認性が良い場所とは思えませんが、あえてここに立てているということは、もしかして、今までは適当に立っていると思っていましたが、均等に並んでいる?
今日は、環七~環八の時間は42分でした。
都道2号線の27分、都道3号線の39分から、さらに相互間の時間(距離)は離れた模様です。
こんなに立派な鳥居のある神社があるとは思ってもみませんでした。
本日5つ目のヘキサ標識です。
4つ目から31分と、これまでのリズムと異なっています。
やっぱり、ランダムに設置されているのでしょうか?
新宿区、中野区、杉並区に続き、本日4つ目の区をあるきます。
練馬区でも、青梅街道の歴史探訪がありました。
こんなんいくつあってもいいですからねぇ。
練馬区はあっという間に通過してしまいました。
ここで初めて、本日の目的地である「所沢」が標識に現れました。
この先の交差点から、都道5号線が青梅街道を名乗ることになります。
奥に小さく見えますが、都道4号線はここから「所沢街道」を名乗ります。
厳密には、都道5号線は新宿三丁目が起点ですが、ここまで重複期間をあるいてきましたので、次回のあるきろくは、この交差点からスタートすることにします。
この北原交差点では、新青梅街道と交差します。
新青梅街道も、ここから西の区間は都道5号線(支線、バイパス扱い)ですが、次回は本線である青梅街道をあるいていきます。
西東京市は50分で通過です。
小金井街道(都道15号線)と交差します。
左折すると、小金井を通り府中に至る道路です。
新小金井街道(都道15号線)と交差します。
先ほどの小金井街道も都道15号線でしたが、府中市や小金井市、小平市の辺りでは、新小金井街道は都道248号線であって、東村山市に入る辺りから都道15号線の支線となります。
右折すると、都道40号線となり「志木街道」の名称に。
都道4号線は一旦左折し、100mちょっと進んだのち、今度は右折します。
すぐに右折の交差点に辿り着きました。
ここを直進するのは、都道16号線「府中街道」です。
ついに埼玉県所沢市に突入です。
左に写る柱は街路灯ですが、ステッカーに記載の「管理番号」が都道の番号であることに本日気付きました。
埼玉県に入った後はどうでしょうか?
埼玉県に入ってすぐ、ヘキサ標識がお出迎えしてくれました。
ただし、都内では「所沢街道」という名称でしたが、「東京所沢線」という味気ない名称が付いていました。
埼玉県に入って最初の街路灯です。
④が県道4号線を表しているのでしょうか…。
右前方には、西武百貨店のサインが見え、所沢駅周辺の雰囲気が漂ってきました。
県道4号線「東京所沢線」は、この先のY字交差点を左側に進みます。
埼玉県内2つ目のヘキサ標識です。
標識看板がキレイです。
この先、五差路ですが、どの道にも「4」の数字がありません。
ついにゴール間近です。
どっちに向かっても、県道4号線ではありません。
新宿からの都道4号線&県道4号線は、ここで終点です。
この交差点から、東村山方面が県道4号線であることを教えてくれています。
ということで、本日のあるきろくはここまで。
時間は5時間、歩数は37,800歩、距離は28.3kmでした。
次は、都道5号線の重複区間ではない部分をあるきます。
今日も通った、田無町一丁目交差点から「青梅街道」本線を通って、青梅市に向かいます。
あるきろく20200308
2020年3月8日 あるきろく 都道をあるく(第2回)
早いもので3月になりました。
前回から始めました「都道をあるく」第二日目スタートです。
都道3号線は、三軒茶屋を起点に町田市中町に至る主要地方道です。
三軒茶屋で国道246号線から分岐して、「世田谷通り」として西に向かいます。
スタートしてすぐに、まさかの歴史探訪でした。
日曜日の朝早くということもあり、この下をくぐる環七通りの交通量も極めて少なかったです。
本日はじめてお目にかかりました、ヘキサ標識。
世田谷代官お膝元という強烈な「圧」に、ついつい写真を撮ってしまいました。
後から調べてみると、彦根藩世田谷領の代官を世襲した大場家の私邸かつ役宅であって、大場代官屋敷と呼ばれていたそうです。
主屋と表門が重要文化財に指定されているそうです。
上町銀座会も結構な「圧」をかけてきました。
都道3号線はここで二手に分かれます。
一方は上町駅前経由、もう一方はバイパスのような感じでショートカットするコース。
今回は、上町駅前経由で進みます。
19分振りのヘキサ標識です。
都道2号線にはヘキサ標識はありませんでしたので、なかなかの厚遇ぶりです。
(神奈川県道2号線は、ヘキサ標識祭りでしたが…)
はっきりとは聞こえませんでしたが、何かしらの音楽に合わせて舞っていました。
時刻からして、ラジオ体操であると思われます。
ちなみに、ここは馬事公苑です。
わずか11分で、次のヘキサ標識に出会えるとは、なんとまぁ!です。
都道2号線をあるいたときは、環七から環八まで27分でした。
今日は39分ということで、こちらの方が距離があるということです。
わずか9分で次のヘキサ標識に遭遇しました。
もう、お祭り認定をしてもよろしいでしょうか?
ちなみに、看板の向いている方向が気になるのは私だけではないはずです。
はい、お祭り認定です。
わずか10分で次のヘキサ標識登場です。
多摩堤通りは都道2号線とも交差しました。
この交差点が起点でしょうか?
それにしても、左に二子玉川、右に成城学園、とセレブな雰囲気を醸し出す標識です。
お祭り、大盛り上がりです。
おまけに2ついっぺんに登場です。
ということで、この辺りは3号線と11号線の重複区間ということです。
ここまでは、ずっと世田谷区内をあるいてきましたが、ここから狛江市です。
面積の広い市ではないので、すぐに多摩川に辿り着けるよ、な?
11号線とはここでお別れです。
11号線は京王線国領駅近くを越え、国道20号(甲州街道)に向かって行きます。
北向きに松原通り、南向きに和泉多摩川通り、そして西を見ると多摩川に架かる多摩水道橋。ようやく、神奈川県に入ります。
2号線と同様、都道3号線はこの先神奈川県道3号線となって先に進みます。
2号線と異なる点は、その後もう一度東京都道3号線に戻ることです。
神奈川県に入り、名称も津久井道となります。
多摩水道橋を渡り最初の標識でしたが、残念なことに字が読めない状態でした。
JR南武線と並行して走る府中街道との交差点です。
ここで右折すると、我が家まで道なりで帰宅できます(距離はそこそこありますが)。
神奈川県に入って、初めての3号線標識と思われます。
残念ながら、ヘキサ標識ではありませんでした。
この距離表示を見て、だいぶ落胆しました。
あるき始める前、とりあえず多摩川、とりあえず新百合ヶ丘を目指して頑張ろう。
そして新百合ヶ丘まで辿り着けば、町田まではすぐだ、と思っていました。
新百合ヶ丘から町田って10kmもあるの?
小田急線に乗っても、そんなに時間かからないのに…。
新百合ヶ丘駅を過ぎてすぐ、の辺りです。
新百合ヶ丘駅に近いところはすでに片側2車線、歩道もきれいに整備されていますが、少し離れると(登戸側も、町田側も)拡幅工事真っ只中、の状態です。
この通りはとにかく車が数珠繋ぎになりますので、道が拡がることはありがたいものです。
ここでも3号線標識は、ヘキサ標識ではありませんでした。
町田まで8km。
ゆっくり歩いて2時間の距離です。11時ゴールを目安にあるいていきます。
再び東京都に戻りました。
したがって、再び東京都道3号線となります。
調布方面から鶴川街道の名前を連れてきてくれました。
ここから都道3号線は終点まで鶴川街道を名乗ります。
また、この交差点を左に曲がり、山を越えるとこどもの国があります。
先の交差点を渡ると、こちらの標識にて都道3号線が鶴川街道であることを表示していました。
都道3号線はこの交差点で左折します。
真っ直ぐ進む道(都道57号線)は芝溝街道という名称のようです。
久し振りのヘキサ標識です。
振り返ってみれば、神奈川県内では1つもありませんでした。
前回の都道2号線&神奈川県道2号線とは反対の現象です。
この先、左折して町田市街に向かいます。
この坂を上った先に菅原神社があります。
この交差点から2~300mですが、都道3号線と都道18号線は重複区間、名称も鶴川街道と鎌倉街道が地図上併記されます。
標識や立て看板の通り、都道3号線は幅も狭く、どこに向かうのかよく分からない不可思議な道路となります。
2車線道路は都道52号線の鎌倉街道として、国道16号に向かっていきます。
すれ違うのもやっとな幅の道路となりました。
信号待ちの車列の通り、ゴール周辺はだいぶ寂しい雰囲気となりました。
しかし、車通りはひっきりなしなんです。
この交差点で、町田街道(都道47号線)にぶつかります。
鶴川街道は交番脇の道路にそのまま続きますが、都道3号線はここで終点です。
ということで、本日のあるきろくはここまで。
時間は4時間40分、歩数は35,400歩、距離は26.5kmでした。
次は、都道4号線&埼玉県道4号線です。
新宿大ガードから所沢にいたる道路をあるきます。
あるきろく20200215
2020年2月15日 あるきろく 都道をあるく(第1回)
甲州道中をあるき終え、若干の喪失感がある中、さて次はどこをあるこうか、考えてみました。
江戸の五街道や、近所でいえば鎌倉街道なども考えましたが、いずれもそんな簡単にはあるけない…と悩んでしまいました。
で、いろいろ考えた結果、都道を番号順にあるいてみることにしました。
これなら、基本的に都内で完結することから、そこそこの頻度であるけそうです。
早速、「都道をあるく」第一日目。
いきなりですが、都道に「1号線」はありませんでした。
以前は「東京大師横浜線」が該当しましたが、神奈川県道の番号(6号線)に合わせることになったため、現在は欠番となっています。
大崎広小路交差点では、環状6号線(山手通り)と交差します。
久し振りに訪れましたが、交差点に鎮座していた「ゆうぽうと」が駐車場になっていました。
都道2号線は都内では「中原街道」の名称です。
右側の道を、丸子橋に向かって進みます。
国道の標識は「おにぎり」と呼ばれています。
都道府県道は六角形であることから「ヘキサ(ゴン)」と呼ばれるようです。
五反田からしばらく上った丘の上から、一旦下り、その底に位置する交差点です。
大きな陸橋と立体交差します。
環七通りは都道318号線ですが、大崎広小路で交わる環状6号線(山手通り)は都道317号線でした。
多摩地区在住なもので、この辺りの区界は頭に入っておりませんが、とりあえず大田区に突入しました。
なお、都道2号線を歩いてみて感じることは、1970年代に建ったと思しき大型マンションが多いこと、外車のディーラーが多いこと、です。
大田区に入ってすぐ、中原街道と洗足坂の歴史を語る碑がありました。
確かに視界が急に開け、緩やかにカーブをしながら、洗足池に向かって下っていきます。
ボートにも乗ることができる大きな池があるんですね。
全く知りませんでした。
洗足池を越えると、また坂を上ります。
ここまでにも、結構起伏の多い道のりとなっています。
陸橋の向こうに見える建物は、田園調布警察署です。
ここでも都道11号線(多摩堤通り)と交差します。
都道2号線は丸子橋までですが、このまま橋を渡ります。
ここからは、神奈川県道2号線になりますが、引き続きこの終点を目指してあるきます。
かつては、複数の都府県を跨ぐ道路では整理番号(◯号線)が、都道府県ごとに異なることも多かったそうですが、現在では境界を跨ぐ都道府県道のほとんどで同一の番号が附番されています。
※都道1号は欠番となったのは、神奈川県道6号線に合わせたから、でした。
なお、ここから街道名称は「綱島街道」となります。
昨年の台風の時に、いろいろと取り沙汰された武蔵小杉のタワマン群です。
この種の標識は、今日初めてお目にかかりました。
この交差点を過ぎ、しばらくすると横浜市に入り、丘を上っていきます。
丘を上ると日吉駅、慶応大学がありました。
そこから再び坂を下り、箕輪、綱島といった地名を見ながらあるいています。
標識には「新横浜」という文字もちらほら見え始めます。
ここで初めて、道沿いにショッピングセンターに出会いましたので、トイレを拝借。
お腹も空きましたが、我慢してあるきます。
ここまで東急東横線と並行してきた神奈川県道2号線ですが、トンネルをくぐってきた東海道新幹線が東急東横線と神奈川県道2号線の間に入り込んできたあたりです。
交差点を右に曲がると、新横浜です。
大豆戸交差点は大きな歩道橋で渡りました。
で、この地名は何と読む?
ダイズド?
オオマメド?
左に小さく写るバス停で解決しました。
「マメド」と読むんですね。
「大」っていらんやろ!というのが、私の心の声です。
菊名駅を過ぎると、クネクネっとした上り坂になります。
上り切ったところで、道が二手に分かれます。
左手に分かれる道はジェットコースターのように下っていきます。
神奈川県道2号線は右に進みます。
ずっと高台をあるいています。
建ち並ぶ家々の間からは、度々絶景が目に入ります。
緩やかに下り始めました。
ヘキサ標識が、わずかな間隔で現れました。
映える絵面です。
ヘキサ標識の間隔がどんどん短くなります。
更に短い間隔で現れるヘキサ標識。
ヘキサ標識祭りです。
神奈川県に入ってから、しばらくは見なかったヘキサ標識ですが、ここにきて大売出し状態です。
右に行っても国道1号線。
左に行っても国道1号線。
ということで、ついに終点が見えてきました。
目の前に終点が迫ります。
スタート直後の中原口でお会いした国道1号線との再会をもって、都道2号線&神奈川県道2号線のあるきろくは終了。
時間は3時間半、歩数は25,700歩、距離は19.3kmでした。
Wikipediaでは、路線延長20.0kmってなってましたが…。
まぁ、誤差の範囲でしょうか?
次は、都道3号線&神奈川県道3号線です。
三軒茶屋から町田へ至る道路をあるきます。